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神の企み

前回のベンジャミン・フルフォード氏の引用部分はユダヤ教やキリスト教の教義の概略を知っているならば、人類支配の道具として利用されてきた両宗教を痛烈に批判すると共に、その教義の持つ、ある種の子供だまし的な滑稽さを、強烈に揶揄していることが感じ取れるだろう。

ジャーナリストや宗教学者の考えではなく、ユダヤ教やキリスト教へのニュートラルな立場からの見方はないかと本を探してみたら、橋爪大三郎著の「世界がわかる宗教社会学入門」の中に次のような興味深い指摘があった。ちなみに橋爪氏の専門は理論社会学、宗教社会学、現代社会論である。

●世界がわかる宗教社会学入門  橋爪大三郎(著)から引用 

キリスト教は、律法を(外形的に)守れば救われるという考え方(もっと一般的に、人間が自分の行為や主体的努力で救われるという考え方)を、徹底して斥けます。救済は神の胸元三寸で決まり、人間が口を出す余地は皆無です。神を信じることは救済の条件のひとつですが、信仰さえも人間の自由意志でなく、神がわれわれを信じさせてくださると考えて神の恩恵とみなします。(だから、無信仰=神に見放された、という意味になるのでした)

人間はもともと神に逆らうように出来ている(原罪)、ゆえに自己努力では救われない、この事実をよくわきまえて、イエス・キリスト(神の愛)を信仰するーーーこうした「マナイタの上の鯉」状態に自分を投げ出すのが、キリスト教徒の正しいあり方なのです。

(中略)
日本人には救われる為には善行を積めばよい、という感覚があります。しかし一神教ではそれは、主人に対して賄賂を使うようなものです。「善行を積めば救われる」というのは、日本の仏教や神道の基本ですが、その論理を突き詰めれば、人間と神が対等になってしまう。これは一神教には容認できない発想です。

(引用終了)

霊的真実として、人間は本来現実を創造する(想念を具体化する)能力を持っている。また宇宙の摂理は、徹底した自助努力、自己責任の世界である。自らが持つ能力を生かせばさまざまな夢や希望を実現することは十分に可能なのである。

しかしながら一神教は、神への「絶対的な隷属関係」を強制した。また人類を一種の無知状態にし、人間の持つ大きな能力を自ら過小評価させることによって、神の意思無くしては何も出来ないという、「精神の奴隷状態」に人類をおいてきたのである。現世においてもすべては神の意思にゆだね、死後の世界をも神の審判にゆだねる。人類に対し「重度の神依存症」を蔓延させることが、一神教の神の真の企みであったのだ。では一神教の神とは何なのか?その正体は次回で・・・

続く


世界がわかる宗教社会学入門

筑摩書房

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