昨日は、ペルーという国の事を視聴していました。
ペルーは、行ってみたかった国のひとつでしたが、私が大変勘違いしてたのは、「鳥葬」という葬儀方法は、この辺りで行われていると思っていた事。
コンドルが死肉を食べる。。などという事でそんな風な印象があったのかもしれません。
実際には、チベットなどで今も行われているところもあるそうです。
魂を抜くため、僧侶が読経をし、解体師が遺体の処理をし鳥に与える。
聞いただけでは、とても恐ろしいというか、気持ちが悪いというか、何とも言えない儀式ですが、その考え方にも国によって、文化や宗教によって違いもあるでしょう。
チベットで鳥葬が広まったのは、その地形や天候などから、火葬にする樹木も少なく、土葬にするには土壌が堅かったという事もあるようです。
人間と生き物を一緒にするなと思われるかもしれませんが、肉体を持つ生物の命が終われば、残るのは躯だけ。
インドでは火葬にした後の灰を、聖なるガンジスに流し、同じ河で沐浴をする。
死生観が変わったというか、意識したのは、東日本大震災と、自身の病でした。
いまは、自然界の生き物の生き方を観ていて、考える事が多いです。
生き物たちは、それぞれの生死が他と絶妙に関わって、バランスをとり、全体の命の循環のひとつになっている。
昨日は久しぶりに普通の映画(笑)も観たのですが、その中に、「地球に人間はいなくなっても困らないが、蟻がいなくなったら困る」というようなセリフがあり、大きく頷いてしまった自分もいました。
私は以前、死んだら宇宙葬にしてくれ、などと話していました。
星空が大好きだったから。
でも、今は違います。宇宙が何でもかんでも受け入れてくれると思ったら大間違い。
人が、河や海が何でも受け入れてくれると思ってしたことのように。。。
朝っぱらから生き死にの話をしてるんじゃない、と思われる方もおられましょうし、夜読んでくださっている方もおられましょう。
近年では、日本でも葬儀の在り方、葬り方も昔とは変わってきました。
私は、家族葬でいいと思うし、お墓は要りません。
そこに私はいません。眠ってなんか~~いません~~~。
子孫に残せば、お墓の管理のこともありますし、命日やお彼岸にお墓に戻ってくるのも大変です。
(笑)
死者やお墓を持つ方への冒涜と受け止められる方もおられるかもしれませんが、これもまたあくまで私自身の見解で、それぞれの死生観を否定する気持ちは全くありません。
実際、家族や縁者が集まる法要やお墓参りは、亡くなった人が生きている人を繋いでくれる儀式でもあり、素晴らしい事だと思います。
すべて、生きている者のため、生きている者の想いが大切なのだと。
ペルーから葬儀の在り様まで、私の思考は果てしなく続くよ、どこまでも、野を越え山越谷越えて。
コロナ、減りませんね。むしろ先週の同じ日より増えておりました。
この年度末年始、このまま7派が来るかもですね。
そういえば、インカ帝国が滅亡した理由の一つは、天然痘で人々が弱っていた事もあるようですが。
今の文明も、滅亡するんでしょうか。いずれ。
やはり、宇宙を目指している場合ではないと思うんですが、お金と地位のある人の避難場所でも確保したいのかしら。
ソメイヨシノ、続々開花ですね。
今の季節を楽しみたいものです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫