今日の朝空
スマホの写真ではこの程度ですが、赤とチャコールグレーの雲のコントラストが、美しくも恐ろしいような空でした。
いつの頃からか、「終活」という事を意識するようになりました。
先日、緩和ケアで働いていた僧侶の方のお話を聞いたのですが、その方のお話は非常に胸を打ちました。
中でも、緩和ケア病棟は、「死」を待つ場所ではなく、「生き抜く」場所だという言葉に。
ずっと前から、今いる場所では死にたくない、という、なんとも虚しい思いを抱えている自分。
日々、美しくて広い空が見える、近隣には素晴らしい公園もあり、少し行けば海もある。
電車の駅は、選択肢がたくさんあり、どこに行くのも便利。
贅沢ですよね。
ただ、どこに住んでも、周りの人間との関りが、大きな問題になってしまう。
ここにきて、故意の嫌がらせを受けた事も、何度もありました。
自分に落ち度があるのか。ただの逆恨みか。
私の性格ですから、最後には自分を責める。
ここに住んだから、病気になったんだ、とまで考えたこともある。
「生き抜く場所」という言葉に涙したのは、私の人生、逃げてばかりだったからではないか、と、思い知ったからです。
逃げ道も、歩けば自分の道、などと正当化して。
先日、大根を千六本、数えて切っていた時、ふと天からの声が聞こえました。
爆
残りの人生がどれだけ残っているかわからない今、自分を責めてばかりで生きる必要はない。
我慢しなきゃいけない事はあるが、自分を責める事で、想いを丸め込むのは、馬鹿げてる。
私は、何か起こった時に、相手がわるい!と決めつける事ができないんです。
もちろん、最初は腹が立ちます。そして、その想いを引きずる。
最後には、そう感じる自分が悪い、となるんです。
もちろん、相手を許したわけではありません。
そこまで、神にはなれない。
要するに、自分に自信がないのです。
つるさんは、真面目だから。。と嫌味を言われた事もあります。
それは、なにか、枠とか型にはめていないと、自分を保てなかったからでしょう。
融通が利かない、というのでしょうか。
まあ、今までしてきたことを知る人は、つるさんみたいな行動をしてきた人が、そんなことはなかろうに、と思われるかもしれませんが、基本は、臆病で神経質で、殻から抜けきれない人間です。
とかいう私ですが、どん底だと思う状況から、いつも、自力でのこのこ這い上がってきました。
大きな病気をしたことが、逆に良かったのかもしれないと、思うようにもしてきました。
あれ以上最悪な事は、もう起こらないだろうと。
もう我慢しなくていいんだ、私は大きな病気を経験したのだから、という言い訳にもなりますし。
結局何が言いたいかと申しますと、死ぬ場所はここではない、という捉え方ではなく、生き抜く場所を本気で探そうという思いで、
鬱々としたものに、一旦区切りをつけました。
それは、物質的な「場所」というだけではなく、精神的在り方、という部分も。
後何十年生きられると思っているのだ。
お前は、もう我慢する必要はない、という、天からの声は、大根の神さまだったのでしょう。
今度また何かに迷ったりしたら、大根を切ってみる事にします。
生き抜く。
誰もが持たないであろう意識かもしれません。
生き抜いた先に、いつか死がある。
反面、死は前からやってくるのではなく、振り向いた時に、すぐそこにあるのかも知れません。
生かされる、という想いに支配されてきたこの数年ですが、また攻めてみようかなと思う、初冬の朝。
自分を責めるのではなく。
先日の孫の誕生日のシンデレラのドレス、かなりお気に入りのようです。
でも、
これは?白雪姫??
笑
訳の分からない記事になってしまいましたが、決して、鬱状態ではありません。
ちょうど年末でもありますし、何度かあった人生の節目を振り返って、
来年は、ピョ~~~ン!と。
喪中になりますが、新年のご挨拶、ご遠慮なく。
父もそういうの気にしない人ですから。
最後までお読みいただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫