追憶の道
子どもたちの靴が削った地面に残る水溜りの上で
高さの違うブランコたちが、揺れるのを待っている。
乗ってみようかなと思ったが気恥ずかしい。
大人になって不便な事の一つは
子どもの頃には何も考えずにできたことが、無邪気にできなくなることである。
雨粒を纏った草花が、涙を我慢して通り過ぎる私を労わるように見つめている。
昨夜の雨は、私の代わりに天が流してくれた涙だったかもしれない。
泣きじゃくりながら歩くことが出来ないのも大人の不自由である。
花びらの隙間に小さな虫がいる。
ここで雨をしのいで朝を待ったのだろうか。
よく見かけるピンクの昼顔と似た青い花。
祖母ならどんな花の名前でも答えられるだろうと思う。
この花は知っている。
友人から球根をもらって東京の小さな庭で次々と蕾を開かせている玉すだれ。
東へ帰る朝
高校を卒業して上京してからも、夏休みやお盆には必ず里帰りをした。
上京する前日は祖母の家に泊めてもらう。
お盆が終わる頃、東京に向かう新幹線の自由席はとても混んでいる。
しかし、祖母の家に泊まって朝一番の広島始発の便に乗れば
福山からでも、かなりの確率で座ることが出来たからだ。
早朝の道を、祖母が駅までの道を途中まで一緒に歩いてくれる。
学生の頃は、別れる朝にティッシュで包んでお小遣いをくれた。
まだ明けきれない道の途中で
どんな言葉を交わして別れたのか思い出せない。
つい振り向いてみる祖母は、背筋をまっすぐにのばして
一度も振り向かずにあの坂の上の家を目指して戻って行った。
青春の影
20代は辛かった。
幾度も挫折して、それでも前に向かって頑張れたのは
2人の夫を亡くして、4人の子どもを一人で育て上げた気の強い祖母が
長女の母を嫁に出して、生まれた初孫の私を
宝物のようにかわいがってくれたお蔭だと感じた。
街灯もまばらなほの暗い道を
東京に帰ったらまた頑張ろう・・と思って歩いた足元の道を
いくつもの季節を超えて、未来の私が歩いている。
もしあの頃はよかった、と思うとしたら
疑う事を知らないで、ただ保護者の愛情を受けて育った時代かもしれない。
物心ついてからの自分が「あの頃がよかった」と思う時代は、ない。
今が一番幸せだ、と心からそう思える。
ナス
駅の近くまで戻ると、高架下でお年寄りが数人で朝市を開いていた。
いつもの旅の途中なら、荷物になる買い物をする事はないが
今日は法事の後、車で実家に行く事になっている。
地元の方達と話をしてみたいとも思い
昨夜から細胞が欲している茄子を購入した。
小さ目ではあるが、5本入って100円はお安い。
東京のスーパーでは、安くても税抜き198円である。
お金を払う時おばちゃんに、写真撮っていいですか?と聞くと
「あんた、雑誌かなんかやってる人?」と隣にいたおじちゃんが言った。
雑誌の取材のお姉さんかと思ったのだろうか。
そうです、という勇気も洒落たセンスもなく
去年死んだ祖母の一周忌のために東京から帰省しましたと答える。
最初はよそもんか?という感じで引き気味だった皆さんも
この辺のもん(この辺りの人)かと安心したのか
とてもいい笑顔になってくれた。
まあ実はもっと「奥」の神石のもんじゃが。
ここまで様々な事を乗り越えてきたからこんな素敵な笑顔になれるのだな。
年を重ねた皆さんの愛くるしい笑顔に触れ
これから先の人生がますます楽しみになった。
年を重ねる事は、怖い事ではない。
三個目の城
予想通り空の雲も何処かへ流れて行き、夏の終わりの青空が広がってきた。
駅前まで戻って来たが、まだ時刻は8時前である。
目をあげると、珍しくもなんともない福山城が
上ってきてくださいな、と手招きしている。
はい、わかりました!上りますとも!
つい昨日もう上るのは懲り懲りだと思った私が、迷うことなく足を進めた。
実はこのお城は平山城で、かつては運河で海に繋がっていたらしい。
山の上の城とは違うのだ。
石段の数はたかが知れている。
階段を上ろうとすると、遠くで猫が背伸びをしていた。
犬を飼いつつ、もともとねこ派の私は
近寄ったら逃げるだろうなあと思いつつ、カメラを構えて近づいた。
猫は嫌ならすぐに逃げるが、そうでもない相手は逃げないで様子を見ているか
あるいは、すり寄って来るのを知っている。
近づく私をちらっと見て、彼(彼女)はさっと石垣の上に飛び乗った。
媚びる事もないが、逃げようともしない。
絶妙な視線のずらし方だ。
それにしても、何とも綺麗な猫ちゃんだ。
凛とした瞳。
高貴で精悍な顔つきだが、
鼻くそのような小さな模様があることでチャーミングさも兼ね備えている。
意外とあっさり立ち去る私を見送って
この猫ちゃんもお尻を振り振りどこかに立ち去った。
雨は結構降ったらしい。
天守閣のある広場の足元には轍が交差して、新しい靴に泥をはね上げる。
ちなみに私の実家の方では、歩いていて脚の後ろの方に泥が跳ねあがる事を
「ちりばねがあがる」という。
歩き方が悪いと「ちりばね」がいっぱい跳ねて、ズボンやふくらはぎの裏側が泥だらけになる。
隙間に大小の石を詰め込んだこの石垣を見て思い出した。
いつも城の石垣を見ると
どうやってこんな風に、きちんと角を作って石を積み上げることが出来たのだろうと思っていたが
昨日見た竹田城址の石垣は、今まで見た石垣の中でも特に美しいと感じた。
調べてみたら竹田城の石垣は
自然の石を、石の声を聞きながら積むと言われる、「近江穴太(あのう)衆」と呼ばれる人たちの
穴太流石積み技法で作られたと書いてあった。
石の声を聞きながら石を積んでいく。
なんと素晴らしい仕事なのだろう。
まだ青い松ぼっくり
苔に覆われた古い巨木の幹からは、違う植物が生えている。
鳥や虫や植物をはぐくみながら、何百年もその下を通り過ぎる人たちを見下して
立っているのだろう。
城の周りの木の葉は、そろそろ色を変え始めようだ。
雨が洗ってくれた空が真っ青に輝き
雨の恵みを受けた植物や小さな命たちの一日が始まる。
遠くで懸命なツクツクボウシの声が聞こえる。
南天の実もまだ青い。
この状態は、100点満点のうち何点くらいだろう。
こういうくだらない事をつい書くのが私の難点なのである。
同級生
福山城を後にして、ホテルに戻る前にコンビニでパンを買った。
私は常日頃ご飯党であるが、何故かこの旅では小麦を選ぶことが多かった。
朝起きて出かける前にも食べたのだが、法事は11時からである。
このまま突入すると、読経中に絶対にお腹の虫が騒ぐと思ったからだ。
パンと缶コーヒーで二度目の朝ごはんを済ませ
9時前になっても誰もいない受付の箱に
二度と泊まらないであろう、サービスをしないのがサービスのホテルの
非常にアナログなルームキーを返して駅に行き
福塩線のホームで電車を待った。
今日の電車移動に18切符は使わない。
しかしこうしてみると、五日分(五回分)11850円の18切符の何と割安なことか。
使い様にもよるが、一日当たり2370円で乗り放題なのである。
今回は立ち寄りながら福山まで来たが、東京から順調に行けば
その日のうちに山口まで行けるはずだ。
ちなみにこの大阪と宝塚の印は息子に使わせてやったのだが
この気前の良さを後に後悔することになる。
府中駅に着いた。
遥か奥地の神石高原地帯からやって来る、母と弟との待ち合わせまで40分ほどある。
開業100周年なんだ。
祖母の生きていた年とそぼ同じ、いやほぼ同じである。
この福塩線沿線も今はほとんどが無人駅になっている。
ここには私が真っ赤なほっぺで山奥から出てきて、下宿して通った高校がある。
この町で3年弱を過ごしたが
今にして思えば、我が青春の影はここから始まったようにも思う。
高校時代と言えば、青春が輝く時である。
しかし私の場合、正直そうとは言えない時代だった。
もちろんこの町に何らの恨みもないければ、わずか三年では愛着もない。
しかし、この町に来て初めて食べたお好み焼きはとても美味しかった。
生地の上にそばをのせる!?
文明開化の音が聞こえたものだ。
さて、母たちとの待ち合わせ時間まであと20分という時になって
ふと思いついてこの町に住む同級生にメールしてみた。
「へへっ^^今府中・・・」みたいな。
すると「すぐに行ってみる」と返信が来た。
すっかり忘れていたが、同級生の自宅は駅から300メートルだそうだ。
まさにグリコ一粒分の距離である。
日曜の朝をゆっくり過ごしていたであろう同級生と、ほんの数分の再会だ。
ここに来ることは予めわかっていたのだが
自分のために敢えて時間を作ってもらうのは申し訳ない、という気持ちがあった。
私はこう見えてもとても謙虚なのだ。
福山でニアミスの同級生とも
元気な顔で再会できることを楽しみにしている。
良い響きだ。
同級生。
つづく
ついつい長くなり申し訳ないです。
この後、実家に行って初めての素晴らしい体験をするので
今しばらくお付き合いください。
ご訪問ありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫