先日、細木数子さんがお亡くなりになった話を聞いたばかりで、今度は寂聴さんの訃報。
以前から感じていたのですが、11月は有名な方の訃報が多い。
忘れもしない、高倉健さんが亡くなったのも7年前の11月。
その訃報を聞いた夕方、私は入院したのですが(笑)
健さんのファンではありましたが、ショックでそうなったわけじゃないという確信はあります。
今時期体調を崩している人が身の回りにも多いのですが、そういう季節なのかもしれないなと。
彼女が残した言葉に、
「不倫にしろ何にしろ、人を愛し、人に愛されたということだけが、最後に残ります」というものがありますが、
彼女自身、夫の教え子と不倫、わが子を残して家を出た、という過去をお持ちのようです。
不倫にしろ人を愛することに変わりはないとは思いますが、不倫の経験がおありだから正当化した、という風にも取れます。
愛とは何ぞや、という話にもなると、どちらかいうとジーザス系。
そういう過去をお持ちの寂聴さん、その生き方に賛否ありますが、得度された後の説法に心を救われる方は多かったようです。
私の祖母も寂聴さんの話のCDを聞いていました。
女性は、嫁姑問題の相談が多かったそうですが、聞いてもらっても何しても、解決しない問題は人生に沢山あります。
辛い時、迷ったとき、誰かに聞いてもらいたい、助けてほしい、と思う事は誰にでもある。
そんな時、宗教に向かったり、占いに頼ったりすることもあるでしょう。
そんな人の弱さにつけこむ人も少なからずいます。高い仏像や水晶玉を買わされたりとか。
ただ、それによって本当に救われたと思う人もいるみたいですから、細木数子さんの占いにしても、寂聴さんの説法にしても、結局はそれらを自分がどう受け止めるかでしょう。
逆に、物や金で解決することも沢山ありますが、結局それも本人の気持ちの問題なんじゃないかな。
最後に頼りになるのは家族ではなく友達、というような寂聴さんの言葉もあります。
確かにな、と思いますが、家族というしがらみを持たなかった(であろう)彼女に、家族の何がわかるのかとも思います。
そして、家族が仲良し、きれいごとだけではない事は事実ですから、よき友というのは宝物でしょう。
母親として、子どもを置いて家を出る事が出来た時点で、私的にはアウトですが、反面、そのように生きた方だからこそ、人が持つどんな感情も否定せず、受け入れてくださる広い心をお持ちだったのかもしれません。
少なくとも、不倫が文化だと言い切るのとは違うんじゃないかなと思うけど、何が違うのかと聞かれれば、うまく説明はできませんが。
人間色んな部分で、自分を抑えたり我慢することも必要ですが、自分のやりたいように生きるには、強くないとダメですよね。
家族や他人の反応が怖くて、自分の思うように生きられない事もある。
苦しい時の神頼み、私も今、どの神さまでもいいから助けてほしいと思う状況ですが、以前こんな面白いものを読みました。
受験生 「神さま、何でもしますから、ボクを○○大学に合格させてください」。
神さま 「そうか、なんでもするとな。それなら、しっかり勉強しなさい」。
案外深いですよね、こういう事なんだなあって、笑える。
またも話があちこちしました。すいません。
瀬戸内寂聴さん、遅れましたが細木数子さんのご冥福をお祈りします。
今日書いたことも、私が知りえた情報からの個人の感想ですが、彼女たちが人々の心に何か残して逝った事は、まぎれもない事実です。
この時期から、窓辺のサンキャッチャーが、部屋に宇宙を作ってくれます。
さて、もう金曜日、泣いても笑っても一日。
昨日は近所の商店街の八百屋さんでめっちゃ面白いことがあって、嫌な事も10分くらい忘れて、おばさんたちと大爆笑だったのですが、それはまた別の時に。
笑えるっていいですね。しあわせ。
最後までお読みいただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫
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