今日もご訪問くださり、ありがとうございます。
朝から真っ青い空が広がっています。
今日もあついぜ。
熱中症には十分お気を付けください。
さて、つる姫は数か月前から読書というものを再開して
夏目漱石、太宰治、芥川龍之介、正岡子規などを乱読しています。
昔読みそこなったものを読んでいる、という感じです。
正岡子規。
恥ずかしながら知りませんでしたが、34、5歳で結核で亡くなったんですね。
11歳のころにはもう、漢詩を作っておられたとか。
意外にも野球が好きだった方のようで、野球のルールを説明したものは面白かったです。
>>攻者(防禦者の敵)は、ひとりづつ本基(ホームベース)より発して
各基(ベース)を通過し再び本基に帰るを務めとす。>>
>>走者(ラナー)ある事情のもとに通過の権利を失うを除外(アウト)という。>>
などなど、下手にカープが負ける試合を見ているよりもおもしろい(爆)
写生文と呼ばれる彼の文章を読んでいると
彼が病床で見た光景が、はっきりと浮かんできます。
そして、立って歩いていきたいところに行ける普通のことが
いかに幸せなことかと思うのです。
殊に印象に残った一節があります。
>>余は今まで禅宗のいわゆる悟りということを誤解していた。
悟りということはいかなる場合でも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで
悟りということはいかなる場合でも平気で生きて居ることであった。>>
つる姫は悟りは開けそうにないな。
それから、諦める、ということを聞かれた時の子規は
>>病気の境涯に処しては、病気を楽しむということにならなければ生きていても何の面白味もない。>>
と、答えています。
病気であることを楽しむ。
それは、出来そうにもないことですが
子規の本を読んでいると、思わず笑ってしまう件もたくさんあります。
ユーモアとお笑いの違いを感じます。
死、ということは究極ですが
誰しも何かを諦めて生きていると思うのです。
諦めなければなんでも叶うと、オリンピックのメダリストたちは口をそろえますが
そうもいかない人が多数だと思うのです。
どこまで頑張ってそれから諦めるか。
諦めるというのは、諦めないよりも決心の要ることかも知れないですね。
諦めが肝心とも言いますしね。
何でもかんでもすぐに諦めるのもどうかと思いますが
まあ、人それぞれということです。
病床から見上げる景色を、繊細に表現した子規の文章に
心を打たれたつる姫なのでした。
一日が始まり、時間が流れ暮れていく。
ただそれだけを感じて生きていられることは
それは、本当は究極の贅沢なのかもしれないですね。
このように昔の本を紐解きながら、ひとりで人生を考えているのであります。
へんじんと言われる所以です。
にんじんと言われたことはないですよ。
にんげんだもの。
さて、体の元気な者は
今日もきっちりお仕事をしましょうね働かざる者食うべからず。メタボ一直線。
学生さんは、ちゃんと学びましょうね知識を持っているってことは、決して損をしないです。それをいかに生かせるかも大事です。
今日も占いますぞ。
あなたが、今日最初に見た人の頭が禿げていたら
忘れものに注意しましょう。
旦那様が禿げている人は、たいへんだあ。
禿げた方の写真はないですよ(笑)
忘れ物しないでね。
素敵な一日になりますように。
感謝をこめて つる姫