枇杷葉子

つれづれなるままに日々の出来事を記録します。

「道徳も信用もないアメリカ人」

2013-06-27 06:42:14 | 字幕入り動画

中文字幕版
http://www.youtube.com/watch?v=yA4q8jJzvqU
「道徳も信用もないアメリカ人」は 03:40 から。

オリジナルは 2013-06-03 にアップされている。


#無無信美國人
道徳も信用もないアメリカ人

#在埃及金字塔
エジプトのピラミッドにて

小天爸:
#茄子! 謝謝,謝謝!
來,小天,爸爸再給你照一張。來,看著鏡頭啊。說,茄子!
「茄子 qie2 zi (ナス)」。ありがとうございます。
さあ、小天、お父さんがもう一枚撮ってやろう。さあ、カメラをみて。はい、ナス。


小天:
#我不喜歡茄子,為甚麼要喊茄子啊?
ぼくナスは嫌いだよ。どうしてとナスといわなきゃいけないの。

小天媽:
#哦,你說茄子的時候,嘴是笑的,照出來好看。
ああ、ナスといったときに口元が笑うでしょう。写真写りが良くなるのよ。

小天:
#可是我看天安門城樓的毛主席像就是閉嘴的。毛主席為甚麼不喊茄子呢?
でも天安門のにある毛主席の肖像は口を閉じているじゃない。毛主席はどうしてナスといっていないの。

小天媽:
#哎,這毛主席吧,也不愛吃茄子。哎,聽說他愛吃紅燒肉。
ああ、毛主席はやっぱりナスが嫌いだったのよ。紅燒肉が好きだったそうよ。

小天爸:
#甚麽呀? 那天安門城樓掛的毛主席像是畫的,不是照片。
何いっているんだい。天安門の毛主席の肖像は描いたもので、写真じゃないんだよ。

小天:
#媽媽,毛主席為甚麼要把他的畫像掛在天安門上呢?
お母さん、毛主席はどうして自分の肖像画を天安門に掛けたの。

小天媽:
#哎,他是中國人民的大救星,掛那供全國人民瞻仰唄。
えっと、中国人民の救いの星だから、全国の人民が仰ぎ見るために掛けたんでしょ。

小天:
#可是我們歷史老師不是那麼解釋的。
でもうちの歴史の先生はそうはいってなかったよ。

小天爸:
#那你們歷史老師是怎麼解釋的?
じゃあ歴史の先生はなんと説明したんだい。

小天:
#歷史老師說,古代人犯了大錯就要砍頭,把頭掛在牆上示眾。現在社會文明了,不掛頭了,就改成掛照片了。
先生はねこう説明したんだ。「昔の人は大間違いを犯すと打ち首になって、その首は見せしめのために壁に吊るされた。社会が文化的になった現代では、首は吊るさずに代わりに写真を掛けることにしたんだ。」とね。

小天爸:
#看來你們這個歷史老師可是真夠反動的。根本就不是這麼回事。
どうやらおまえたちの歴史の先生は間違いなく反動派だな。そんなことじゃないよ。

小天:
#那你說是怎麼回事。
じゃあどういうことなのか教えて。

小天爸:
#咳,其實吧,就跟咱們一樣啊。表示到此一遊,玩得高興了,就留個念。所以呀,這毛主席當年看到哎天安門城樓特別好玩,他就乾脆把自己照片給掛那了,表示到此一遊。不過呀,這一掛就是掛了好幾十年哪。咳,算了。別說這個啦。咱們啊,到那裡邊去看看。
うん、本当はなあ、おれたちと同じだよ。ここに旅行にきたといいたかったんだ。旅行で楽しければ、記念に何か残しておきたいだろう。つまりな、毛主席も天安門城樓を見に来た当時とても面白かったので、それで自分の写真を掛けたんだ。ここに旅行にきたという意味でな。ところが、それも掛けたまま数十年になってしまった。まあ、そういうことだ。この話は終わり。じゃあ、中へ入って見学しよう。

小天爸:
#哎,小天,你幹甚麽呢?
おい、小天、何してるんだ。

小天:
#怎麼了?
どうしたの。

小天爸:
#你瞅瞅,丁小天到此一遊。你怎麼能寫這個呢?
おいおい、「丁小天ここに旅行にきた」だって。どうしてこんなことを書いたんだ。

小天媽:
#這刻倆字兒又怎麼啦? 看你把孩子給嚇得。咱到哪去不都刻一 “到此一遊” 哇。再說了你也沒少刻呀。這天安門城樓不也是古蹟嗎? 這毛主席像也掛那了嗎?
ちょっと数文字落書きしたのがどうしたっていうの。 小天がびっくりしてるじゃない。どこへ行ったって「ここに旅行にきた」と落書きするじゃない。それにあなただってよくやってるでしょ。天安門城樓も史跡でしょ。それでも毛主席の肖像はあそこに掛かってるじゃない。

小天爸:
#可這兒它不一樣啊。這可是 3500 年前的文物。
だけどそれとは訳が違うよ。ここは 3500 年前の文化遺産なんだぞ。

小天:
#3500 年前的又怎麼樣?
3500 年前のものだからってなんなの。

小天媽:
#就是。你看。兒子這字兒多棒。
そうよ。ほら、この子の字すごいじゃない。

小天爸:
#唉呀,你是誤會了。我可沒說小天刻字不對。我是說呀,他用的現代漢字和這個古代文物它不匹配呀。要刻那也得刻甲骨文哪。哎,小天,爸爸教你啊。
ああ、おまえは誤解してるよ。おれは小天が文字を落書きしたことをいけないといっているんじゃない。小天の現代の漢字は古代の文化遺産と釣り合わないといいたかったんだ。書くなら甲骨文字でなきゃ。さあ、小天、お父さんが教えてやるよ。

當地人(現地の人):
#住手,這可是 3500 年前的文物。你們這是破壞文物。
やめなさい。3500 年前の文化遺産です。文化遺産に対する破壊行為ですよ。

小天爸:
#這 3500 年前它怎麼啦? 我們這漢字那可不止 3500 年呢。這同一文物上要是展示古代兩大文明成果,那不就更值錢了嗎?
3500 年前のものだからどうしたっていうんだ。おれたちの漢字は 3500 年どころの話じゃないぜ。古代の二大文明が同時に出現すれば、価値が増すだらう。

當地人:
#唉,無無信中國人啊!
まったく、「道徳も信用もない中国人」ね。

小天爸:
#哼,無無信中國人。嘿嘿,我們不是中國人,告訴你,我們已經移民美國了。你要罵你也只能罵 “無無信美國人”
ふん、「道徳も信用もない中国人」だって。へっへっ、おれたちは中国人じゃないよ。あいにくおれたちはアメリカに移民したんでね。あんたそれをいうなら「道徳も信用もないアメリカ人」といわなきゃ。



<課題メモ>

どうして “無無信美國人” という言葉がでてくるかは、落書き事件の発覚から経過、背景もふくめて、ふるまいよしこ氏の下記のコラムに詳しい。

無徳無信 到此一游 無栄無恥 無地自容
2013年05月31日(金)08時00分
http://www.newsweekjapan.jp/column/furumai/2013/05/post-687.php




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