平成を盛大に反省してみようかな
あれあれ?相当反省できない思考になっている
頑固だなぁ
拘ってきたからね
大衆には流されないように生きてきたと思っているよ
平成元年は、小学校6年生の時に卒業学校だから中野区立江古田小学校6年2組藤井唯一先生の担任だったなぁ
もう死んだようだし、いまだから言うけど、彼にもとても虐げられたなぁ、彼は「にんじん新聞」というものを毎日書いていて、それを皆に帰りの会の時に読み聞かせるんだけど、兎に角ませていた私のことが嫌いだったようで、ちょくちょくその紙面で伏字で私を罵倒する記事を書き、級友の前で特定せずに反省を促す行為を繰り返していたなぁ
あれあれ?相当反省できない思考になっている
頑固だなぁ
拘ってきたからね
大衆には流されないように生きてきたと思っているよ
平成元年は、小学校6年生の時に卒業学校だから中野区立江古田小学校6年2組藤井唯一先生の担任だったなぁ
もう死んだようだし、いまだから言うけど、彼にもとても虐げられたなぁ、彼は「にんじん新聞」というものを毎日書いていて、それを皆に帰りの会の時に読み聞かせるんだけど、兎に角ませていた私のことが嫌いだったようで、ちょくちょくその紙面で伏字で私を罵倒する記事を書き、級友の前で特定せずに反省を促す行為を繰り返していたなぁ
彼は、兎に角行事が好きで前面に出るタイプなので、この「にんじん新聞」も含め人気があった
私の5,6年を御担任いただいたが、4年の頃に一度、怒られているんだよね
結局御担任いただいた2年間ずっとそのことも言われ続けていた
いま考えると相当執拗だったな
卒業式の日に母が彼に挨拶しに行ったんだよね
「すみません。息子も一緒じゃなくて」って言ったら返ってきたのが
「お母さん。息子さんは私のこと嫌いですから!」って言ったらしいんだよね
いま断言できるけど、おれは藤井先生がとても好きだった
正直担任に決まった時は嬉しかった
ただどんだけ頑張っても、彼は執拗だったんだよね
小学校の時分で頑張ることと言えば「笑うこと」位しかないんだよね
それでも全員の前でひっぱたかれたこともあるし、その上で「藤井先生をなめんなよ!」ってすごい剣幕で言われたよ
私の5,6年を御担任いただいたが、4年の頃に一度、怒られているんだよね
結局御担任いただいた2年間ずっとそのことも言われ続けていた
いま考えると相当執拗だったな
卒業式の日に母が彼に挨拶しに行ったんだよね
「すみません。息子も一緒じゃなくて」って言ったら返ってきたのが
「お母さん。息子さんは私のこと嫌いですから!」って言ったらしいんだよね
いま断言できるけど、おれは藤井先生がとても好きだった
正直担任に決まった時は嬉しかった
ただどんだけ頑張っても、彼は執拗だったんだよね
小学校の時分で頑張ることと言えば「笑うこと」位しかないんだよね
それでも全員の前でひっぱたかれたこともあるし、その上で「藤井先生をなめんなよ!」ってすごい剣幕で言われたよ
いま考えれば器量がねーおっさんだなぁって思うけど
だからそれ以来、私は本当に嘘笑いをするんだよねずっと
母の彼氏の前でもずっと嘘笑いをしていた
大衆の人気心理、動機が心底嫌いになった
うん。彼はすごい人気があった。青梅マラソンに毎年出ていてゴールで生徒待たせるの
それを感想文に書かせて自賛して、読み聞かせる
思い返してはいるけど、当時のませている私自身気づいちゃっていたんだろうな
げろ吐くほど気持ちわりーなこいつって
でも学校では、にこにこしてた
目立ちたくなくて、テストの点数も調整していた(当時頭良かったから全部満点取れたと思う)
100mもあの歳で13フラットだったし
でも学校ではへらへらしてたな
んで外に行ったんだろうなぁ
いま生き残っている原型はここから始まっているのかもしれない
お陰でいま生き残っているんだけどね
昨夜の曇りメガネは久しぶりに笑ったよ
後庵さんありがとうごちそうさまでした
なんだっけ
反省か
はは。したことないんだろうな
生きるために改善
をしたことしかないんだろう
帰属するコミュニティもなかったし
昭和はずっと転校とお留守番で泣いてたからね
泣き声で何度も警察来てたよ
虐待なんて言葉がまだ無い昭和時代
虐待どころか親がいないんだからいつだって
ただいつも頑張っていたのは覚えていて
「あきくんにマクセル君(当時のロボット)買ってあげるからね」
って言ってくれていた
マクセル君って単語でまだ泣けるわ
なんだっけ
反省か
まだ全くする気がないから
もうちっと続けてみよう
退院後、初の良い機会だ
ここはすごい静かだ
ずっと聞いてたヒカルさんも少し止めます
昭和51年→昭和64年=
惨めな泣き虫から卑屈で惨めなヤンキーへ
総理大臣は中曽根、竹下の記憶が強いな
安倍って中曽根の通算日数超えてんだ
大衆の人気者かな無関心、関心をそらすプロだということかな
「民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。
実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。
これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」
-ウィンストン・チャーチル
だからそれ以来、私は本当に嘘笑いをするんだよねずっと
母の彼氏の前でもずっと嘘笑いをしていた
大衆の人気心理、動機が心底嫌いになった
うん。彼はすごい人気があった。青梅マラソンに毎年出ていてゴールで生徒待たせるの
それを感想文に書かせて自賛して、読み聞かせる
思い返してはいるけど、当時のませている私自身気づいちゃっていたんだろうな
げろ吐くほど気持ちわりーなこいつって
でも学校では、にこにこしてた
目立ちたくなくて、テストの点数も調整していた(当時頭良かったから全部満点取れたと思う)
100mもあの歳で13フラットだったし
でも学校ではへらへらしてたな
んで外に行ったんだろうなぁ
いま生き残っている原型はここから始まっているのかもしれない
お陰でいま生き残っているんだけどね
昨夜の曇りメガネは久しぶりに笑ったよ
後庵さんありがとうごちそうさまでした
なんだっけ
反省か
はは。したことないんだろうな
生きるために改善
をしたことしかないんだろう
帰属するコミュニティもなかったし
昭和はずっと転校とお留守番で泣いてたからね
泣き声で何度も警察来てたよ
虐待なんて言葉がまだ無い昭和時代
虐待どころか親がいないんだからいつだって
ただいつも頑張っていたのは覚えていて
「あきくんにマクセル君(当時のロボット)買ってあげるからね」
って言ってくれていた
マクセル君って単語でまだ泣けるわ
なんだっけ
反省か
まだ全くする気がないから
もうちっと続けてみよう
退院後、初の良い機会だ
ここはすごい静かだ
ずっと聞いてたヒカルさんも少し止めます
昭和51年→昭和64年=
惨めな泣き虫から卑屈で惨めなヤンキーへ
総理大臣は中曽根、竹下の記憶が強いな
安倍って中曽根の通算日数超えてんだ
大衆の人気者かな無関心、関心をそらすプロだということかな
「民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。
実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。
これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」
-ウィンストン・チャーチル
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