ぼくぽてちん忘備録

a chainless soul
ずーっと夏休み

五人論(平成時代の男の児)

2019-07-10 10:39:55 | 日記
平原宏一の初盆を迎えるんだよね
忌明けも過ぎて経つし
考えて今夏を穏やかに過ごしたいかなぁと
私たち、そう、聖慈の死から遡らなければならないと思うんだけど、
私たち四十そこそこの連中には到底死生観など備わってはなく、但し、死について意識して考えていたのは彼らの方であり、残された我々の方が、
もっとみっともなく、死なんてヤダヤダ
というなんら覚悟のないことが、比較的な考察により分かる
ここで言う彼らと我々は、五人論の五人の彼ら二人と残された三人である

そんな彼らの最期は、葛藤を迎え、容赦ない攻撃を喰らい、疑問を抱えながら、本意は限りなくゼロであろう

例え話として。
彼らと私たち以外の私の友人のお話。
私は今相談を受けている。その友人は公人で、精神疾患により入院する。家族や公人としての責務や色々なことを掲げているが、到底、軽薄な押し付けがましい言い訳としてそれらを利用している。造語を用いて表現すればそれは「利他的自己中心活動」に他ならない。これを以って更に関係のない人間を巻き込む。

これ程の精神的な野太さがあれば、平原は死なずに済んだのでは無いだろうか。
人間に、人の子であり、日本の男の児に、その生命に優先劣後はないが、やはり、惜しく思う。

執着が欲を育み、若しくは、欲が執着を育む
この大脳の発達した人間のみが持つ、対人ストレス、つまり同種のコミューンストレスが、更に承認や顕示を求め、ヒトはその生存に必要のない贅沢に走る

同種の他者だからでしかないと思う

解決は簡単だ思う
欲を満たしてくれない他者を受容する
理解した上でもう一度承認を求める
それでも満たされない場合
もう一度他者を受容してみる
出来ない場合
他者を受容できない自分を受容する
受容する
そして許可をする
そして手放してあげる

超簡単
しかも超自己完結

彼らはこれが出来る男の児だったと思う
それでも無念と恐怖に抱かれながら死んでいった


今朝はこんなもんかな
続きはライフワークの中で余生と共に沢山考えよう

梅雨も明けそうだし
人生で一番静かな夏休みをにこにこしながら過ごしましょうか!


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