10月からパパは職場復帰
松葉杖さえあれば日常生活に支障がないまでに回復しています
しかし・・・今回はアクセルを踏む右足の関節を手術したため
車の運転はしばらくNG アクセル踏めても急ブレーキは危険すぎる
なので毎朝ひろみちゃんがパパを仕事場まで送ります
もちろんポパイも一緒にお見送り
仕事柄パパの昼休みはドーンと長く 夕方改めて出勤するので
朝昼・夕夜と1日2往復の送り迎えがあり ちと大変
まぁ・・・ココまで回復して仕事を頑張ってくれるので
お安いご用だ
今日も笑顔でポチッとな!
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いつもの明るい話題はここまで
今日のタイトルの重い話題に入ります
読みたくない人はポチ!してスルーして下さいね
パパが職場復帰した日 同じマンションの方から
1階のおばあちゃんが痴呆がひどくて老人病院に入院したと聞きいた
もう退院して来ることはないだろう って・・・ショックでした
なぜなら おばあちゃんは私にとって恩人と言える人だったから・・・
このマンションに越してきた頃 れなとんはヤンチャの絶頂期
ドタンバタンと大声で親子げんかを繰り広げていました
引っ越して来たばかりなのに・・・近所にやらしいなぁっ
玄関のチャイムが鳴ると苦情を言われるのではとドキドキしたもんです
そんなある日 エレベーターホールでおばぁさんに声をかけられた
「あんたは見ん顔だけど どこの部屋の子かえ?」
『○○号室の××です いつも大きな声で親子ゲンカしてすいません』と言うと
「どこの家でもある事だで気にせんでいいよ 賃料は納めとるんだろ?
なら遠慮はいらん!大きい顔してエレベーターに乗っていきゃぁ!」
数日後 またおばあさんに会った
「あんたんとこの子 金髪でお人形さんみたいな娘だろう?」
『はぁ・・・。』
「あの娘はエエ子だよ!いつ会っても自分から大きな声で挨拶してくれる
それはアンタがエエ風に育てたんだでね ワガママ言えるのもアンタが甘えられる
エエお母さんだって言うことだわ 自信を持ちなさい」と言ってくれた
有り難かった
ずっと人目を避けてコソコソ暮らしていたし 何より育児の失敗を責めていたから
おばあさんの一言でなんか氷のような心が じわっと溶け出して
やわらかい自分になれた 自然と近所の方とも交流できるようになった
何より おばあさんはマンション内でなかなかの人だったので
仲良くしている私には 誰も文句を言えなかったのかも知れない
おばあさんはポパイを可愛がってくれたし
会う度に 昔飼っていたポリっていう犬の話もしてくれた(何百回聞いたかわからん)
おじいさんのデイサービスの車をポパイと見送ったり
できるだけおばあさんの話し相手になろうと思っていた
7月に入り おじいさんが入院してしまい一人暮らしになると
おばあさんの痴呆は急激に進んだらしい
「この子は 何て名だったけね?」ポパイの名前を忘れてしまっていたり
いまにして考えれば思い当たることは多々あった
悔やまれてならないのは パパの入院中に2回
「コーヒー屋に行くけど ご馳走してやるでアンタも来うせん!?」
おばあさんに誘われたのに 私は体調が悪くて2回とも断ってしまった事
「元気になったら付き合ってね」とおばあさんは笑っていた
その数日後おばあさんは入院してしまった
あんなに良くしてもらったのに・・・
少々お腹が痛くても おばあさんに付き合えば良かった
私ってまだまだ甘いなぁ~って悔いが残る
まずは自分の都合から入ってしまう私
相手の気持ちに寄り添うまでの修行が足らん 反省&凹んだ3日間
今日、部屋の片付けに来ていた娘さんと話をして
お世話になったお礼を伝えた
『おばあさんに会えますか?』と訪ねたら
首を振り「もう誰のこともわからないんです」って事だった
悔いを残さないために その時その時
出来ることを精一杯やろうと心に刻んだ
明日も笑顔でポチッとな!
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おばあちゃん ありがとう
松葉杖さえあれば日常生活に支障がないまでに回復しています
しかし・・・今回はアクセルを踏む右足の関節を手術したため
車の運転はしばらくNG アクセル踏めても急ブレーキは危険すぎる
なので毎朝ひろみちゃんがパパを仕事場まで送ります
もちろんポパイも一緒にお見送り
仕事柄パパの昼休みはドーンと長く 夕方改めて出勤するので
朝昼・夕夜と1日2往復の送り迎えがあり ちと大変
まぁ・・・ココまで回復して仕事を頑張ってくれるので
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パパが職場復帰した日 同じマンションの方から
1階のおばあちゃんが痴呆がひどくて老人病院に入院したと聞きいた
もう退院して来ることはないだろう って・・・ショックでした
なぜなら おばあちゃんは私にとって恩人と言える人だったから・・・
このマンションに越してきた頃 れなとんはヤンチャの絶頂期
ドタンバタンと大声で親子げんかを繰り広げていました
引っ越して来たばかりなのに・・・近所にやらしいなぁっ
玄関のチャイムが鳴ると苦情を言われるのではとドキドキしたもんです
そんなある日 エレベーターホールでおばぁさんに声をかけられた
「あんたは見ん顔だけど どこの部屋の子かえ?」
『○○号室の××です いつも大きな声で親子ゲンカしてすいません』と言うと
「どこの家でもある事だで気にせんでいいよ 賃料は納めとるんだろ?
なら遠慮はいらん!大きい顔してエレベーターに乗っていきゃぁ!」
数日後 またおばあさんに会った
「あんたんとこの子 金髪でお人形さんみたいな娘だろう?」
『はぁ・・・。』
「あの娘はエエ子だよ!いつ会っても自分から大きな声で挨拶してくれる
それはアンタがエエ風に育てたんだでね ワガママ言えるのもアンタが甘えられる
エエお母さんだって言うことだわ 自信を持ちなさい」と言ってくれた
有り難かった
ずっと人目を避けてコソコソ暮らしていたし 何より育児の失敗を責めていたから
おばあさんの一言でなんか氷のような心が じわっと溶け出して
やわらかい自分になれた 自然と近所の方とも交流できるようになった
何より おばあさんはマンション内でなかなかの人だったので
仲良くしている私には 誰も文句を言えなかったのかも知れない
おばあさんはポパイを可愛がってくれたし
会う度に 昔飼っていたポリっていう犬の話もしてくれた(何百回聞いたかわからん)
おじいさんのデイサービスの車をポパイと見送ったり
できるだけおばあさんの話し相手になろうと思っていた
7月に入り おじいさんが入院してしまい一人暮らしになると
おばあさんの痴呆は急激に進んだらしい
「この子は 何て名だったけね?」ポパイの名前を忘れてしまっていたり
いまにして考えれば思い当たることは多々あった
悔やまれてならないのは パパの入院中に2回
「コーヒー屋に行くけど ご馳走してやるでアンタも来うせん!?」
おばあさんに誘われたのに 私は体調が悪くて2回とも断ってしまった事
「元気になったら付き合ってね」とおばあさんは笑っていた
その数日後おばあさんは入院してしまった
あんなに良くしてもらったのに・・・
少々お腹が痛くても おばあさんに付き合えば良かった
私ってまだまだ甘いなぁ~って悔いが残る
まずは自分の都合から入ってしまう私
相手の気持ちに寄り添うまでの修行が足らん 反省&凹んだ3日間
今日、部屋の片付けに来ていた娘さんと話をして
お世話になったお礼を伝えた
『おばあさんに会えますか?』と訪ねたら
首を振り「もう誰のこともわからないんです」って事だった
悔いを残さないために その時その時
出来ることを精一杯やろうと心に刻んだ
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おばあちゃん ありがとう