#津和野街道 新着一覧
十王堂市
左側への脇道が山代街道の名残り道 江戸期、津田の町の中心地であった十王堂市は津和野街道筋で山代街道の分岐点でもあり、御制札所で高札が立てられていた。また、
津和野藩御船屋敷家中の寄進物
天満神社の玉垣正覚院の石燈籠 佐方八幡神社の狛犬佐方八幡神社の石燈籠御船屋敷には元文元...
津和野藩御船屋敷旧跡
津和野藩主の亀井家は江戸時代大名の重要な勤めであった参勤交代などの往来に際し津和野街道を東上して廿日市に宿泊しここから海
鷺舞奉納
中央市民センターの掲示板に津和野街道交流記念事業のパンフレットが掲示してあり、今月11日に厳島神社の平舞台で津和野弥栄神
津和野散策-太鼓谷稲成神社
一昨日old倶楽部の親睦旅行で津和野~山口方面を訪れ、津和野太鼓谷稲成神社を参詣した。江戸期津和野藩主は参勤交代などで津和野街道を通り廿日市の御船屋敷に宿泊し、
西国街道-道しるべ碑
宮内地区の畑口橋交差点脇に建立されている道しるべ碑で、寛政5年(1793)の刻銘があり「南無阿弥陀仏 右ハ石州道、左ハ九州道」とある。津和野街道の分岐点は時代により位置が替わって
西国街道-道しるべ碑
宮内地区を通る旧西国街道で御手洗川に架かる砂原大橋の袂に建立されていた道しるべ碑で「右 石州道」「左 九州道」と刻されており、現在は宮内市民
旧津和野街道
宮内地区の下明石にある小道でこの道は旧津和野街道の名残り道である。この先のお茶屋垣内で津和野藩藩主の参勤交代の際には休息していたということである。ここから野稲原に向かって街道道
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