言葉 第二弾

見かけたもの 聞いた事 本等からの、言葉、   
自らも発した言葉を ここに残します。
第一弾も、並行して更新中

人生の賭け

2024-11-22 20:11:00 | 日記
「賭け」というと、ギャンブルのイメージが浮かぶのが、何か悪いことのように思っている人がいます。

しかし人生において、自分の進むべき道を 右か左か選択をすることがよくあります。 
これもまた、ある意味では賭けなのです。

人生の賭けをするとき、大切なことは、どんな結果であっても迷いや後悔を残さないということです。
そのためには、日ごろからつねに自分の心を統一し、迷いを断ち切ることが必要となります。
だから、日常生活における禅定の実践はたいせつなのです。

【般若心経 二十六文字の宇宙】






賭けといえばギャンブル
賭けと言えば 道の選択
そう、何でもかんでも、ギャンブル、、、いや、違った💦
真剣に見定める賭けです。

心静かに、修めて納める事で責任を持って 結果に左右されずに歩めるということね。

そして、静かに決定した選択は、自分にとって絶対的に安定した選択なんだと 後になって気づけるものだと思う。






100万回生きた

2024-11-20 10:14:00 | 日記



実は100万回生きてるの

生まれて死ぬのを100万回くりかえしてるの。 いろんな時代の、色んな国で。
《百万回 生きたきみ》



輪廻を多く繰り返して、生まれてきた魂
過去世から培ってきた智慧だったりするものが染み付いて、今世では賢者の様な風格をともなった人格者の様に生きる人もいる〜〜
と、聞いたことがある。

さて、自分は死んだ事の記憶も 転生の記憶もないから、確信めいたことは言えないが、どうやら その様であるかもしれない、という表現しか出来ないが。

だけれど、今世、経験してもいないのに 
どこからかの情報を得たわけでもないのに、ポッと浮かぶ映像とか このことを 何故か知っていると言うことは 誰にでもあるはず。

なぜか分からないけど、この場面が頭に何度もよぎるとか 
心の深いところで、この感覚は懐かしく記憶しているというような、不思議な感覚。

不思議なというより、自分の中では不思議でも何でもない、自分の一部として存在する感覚

とても、不思議であって、当たり前的な感覚
避けられない感覚

そういうの、あるよね。







奇跡とは、あなた自身から始まる

2024-11-16 05:17:00 | 日記

考えを手放し、目の前の扉を開けてください。
奇跡とは、あなた自身から始まるものだということを思い出して。

《風の谷のあの人と結婚する方法》


生まれてきたこと自体が、既に必然ではあると思うけれど、奇跡とも言えると思う。
生きていることは 必然であり奇跡的なこと。

人はなぜ生きてるの?
「奇跡の人」は、更なる奇跡的なことをするために生きてるの?


これは、⒈のブログの下書きに残されていたもの
こっちに持ってきた。













真実であると教えられていたことが、

2024-11-16 02:29:00 | 日記



真実であると教えられていたことが、後世の人の発見によって、誤りであるとわかる。
そうやって人の知識は更新されてきた。

《獣の奏者》王獣編

アップデート
私の脳もアップデートしたい



少しでも楽しく生きるための知恵

2024-11-15 18:10:00 | 日記


全く同じ出来事でも、見方を少し変えるだけで、不吉な出来事が吉兆に変わります。

よい出来事に遭遇したときでも、「こんなところで運を使ってしまった。悪いことが起こらなければよいが」って心配してしまう人と、

悪い出来事に見舞われても、「ここまで不運が続いたら、あとはもう良くなるしかない」って思える人では、心の持ちようがミミズと龍くらいに違う。

不運に見舞われたり、失敗したとき、私が魔法の呪文として使っているのは、「これにて 厄落とし」
という言葉。

どんな時でも、これで厄落としって思うと、
落ち込みの大きさが半分以下になって、心がリセットしやすくなります。
《コーヒーと楽しむ 心がリセットされる40の物語》


母もこの厄落とし効果を実感していた。
良く使っていた言葉は 「不幸中の幸い」
厳しい中に幸を見つけては、胸を撫で下ろしていた。
私も一緒に 。。