骨からの骨、肉からの肉

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創世記41章

2021-02-17 11:28:00 | 日記
私ではありません。神がファラオを繁栄を知らせてくださるのです。


クリスチャンは月のようだ

と教わったことがあります。



月の表面はデコボコしていて褒められたものではないのに、

太陽の光を反射すると、途端に美しく輝く。



自分には良いものがなくても
神の栄光を表すことで
素晴らしい働きをすることができると。


私は私を誇ろうとしていないだろうか?


自分の得意とするところ
自慢できるところを
探していないだろうか?


このままの自分を主がどのように用いてくださるのか

それをへりくだって待つものでありたい。

創世記40章

2021-02-13 12:49:00 | 日記
あなたが幸せになったときには、どうか私を思い出してください。
ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さないで、忘れてしまった。



「人は心に計画を持つ」

と、箴言で語られている。



こうしてこうしたら、こうなるはず
これをしたら、きっとこうなる・・・




ところが
理屈は通っているのに、思わぬアクシデントが起きると、せっかく立てた自分の計画がモロモロと崩れ落ちる。


私にも若い頃、計画や目論みが随分とあったのですが、今残っているものは

ただ主の恵みだけ。


けれどその主からの恵みが、歳を経るに従ってどんどんと大きく、又、価値のあるものに変わっていった。


あれで良かったんだ
こうなるべきだったんだ

と、やっと最近になって気付かされている。


主の御言葉は、ずっと先を見通すことのできるサーチライトではなく
すぐそこの足元を照らす灯。


今この時を、主と共に歩めることができるように、そのことに集中できますように。





創世記39章

2020-05-23 14:03:00 | 日記
どうして、そのような大きな悪事をして、神に対して罪を犯すことができるでしょうか?



罪は、「神に対して」なのですか?



ポティファルに対して、ではないのですか?




神の正義を思う時、いつも私の頭を回転させなくては行けない。


視点を変えなくてはいけない。




誰にも迷惑をかけていなければ良いとか、
誰にも知られてなければ良いとか



それは私から見た世界。





けれど、私のうちには聖霊様がおられるから、



神様がいつも私とともにおられるから、





神を喜ばせること

神を悲しませる事


神と共に歩む生活とは、それをいつも思い浮かべる事なのかもしれない。










創世記38章

2019-09-11 11:33:58 | 聖書
あの女は私よりも正しい。




神さまの言われる「正しさ」がわからないことがよくある。



ユダの長男がどれ程悪い者で

主に殺されたのかわからない。


けれど、



少なくとも次男の罪が

神の目に、死に値するとは、

私の価値観では到底考えられない。





にもかかわらず、

タマルのした事は主の目にかなっていたようである。


遊女を装って、

妻の喪があけたばかりの舅を床に誘って
子供をもうけた・・・



そしてその子が

私の主
私の救い主キリストの先祖になる




タマルのした事が

神の祝福

私達の救いと希望へとつながっていく。




神様の正義がわからない。





けれど

自分の正義や価値観が絶対的に正しい訳ではない

ということだけでも

心に留めておきたい。









創世記37章

2019-07-26 13:07:19 | 聖書
さて、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。



自分のいたらなさのゆえに、どれだけ多くの人を傷つけてきただろう。


悪気があって言ったつもりはなくても、


さぞかしたくさんの相手を大きく傷つけたり

嫌な思いをさせていたに違いない。





人はそれぞれ、

自分を中心に物事を感じ、考えている。





その事に気付くのは、私は人よりもずっと遅かったと思う。



いや、

本当のところ、


もっと知るべき事があるのに、

まだわからない事が山ほどある。





主は愛をもって、忍耐しながら私を育ててくださっている。



今までを振り返ってみて、


もちろん、いい事ばかりではなかったけれど




だけど

無駄に辛かったことは何1つない。




1つ1つが、


私を成長させるために神が与えてくれた

「課題」だったのだと確信している。



そしてこれからも


たくさん学ばなければいけないのだろう。




イエス様の愛を感じながら、学んでいきたいと思う。