彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
人間の理屈としては到底考えられないことを丸ごと信じるには、「何か」を強制停止しなければいけません。
「何か」とは、例えば自分の今までの経験や知識、世間の常識や倫理。そして私にとって一番厄介なのは、親からの教え。
ノンクリスチャンであった母からの教えは、亡くなってもう何年も経つのに静かに忍び寄りそっと私にささやくのです。
そんなうまい話があるわけない、うまい話には裏がある
世間に顔向けが立たない、人が見ている、人の嫌がることをしてはいけない
よくよく考えてから行動しなさい
などなど(笑)
転じて、私は子供達にどんな教えをしているだろうか。
神様のみこころに沿ったものになっているだろうか。
両親が神と共に歩む姿を、生涯見せ続けることができますように。
神の僕として従い続けることができますように。
