五次元世界へ誘う魂の道案内 ブログ

神性の自覚と向上で理想を実現する、生命表現、自尊心と目覚め、生き方

幸福を掴む生き方シリーズ ビジネス・マインドシリーズ
当旧HP 2003/5/14~移転2005/3/31---2022/10/26 ブログへ掲載

生命の個表現と理想の実現(主に霊脳通信1992年10月号より抜粋)

 人間は表現された生命そのものです。
 生命(魂・霊)は人間と一体になり、肉体をまとい生命の表現をするための道具(有機体の宇宙服)なのです。
 それが「あなた」という存在なのです。ですから、あなたは生命にとって非常に重要な存在であるわけです。
 人は皆それぞれに誰とも違ったところがあります。
 容貌・容姿・性格も違い。思考方法や感情も、信念や信条も、声や話し方も行動さえも違っているでしょう。
 このように人は皆それぞれに世界中の誰にも真似が出来ない方法で、本来の神性や仏性なる生命を表現するための必需品を個々に授けられているのです。
 もし不幸にして、自分の生きる拠り所がよく判らない人は、これから「あなたの出来ること、すべき事を行う術を学ぶ」ことが必要でしょう。
 何事にも主体性を持ち、自ら解決して行こうとする気持ちで、自分の心を安静にし澄まして清らかにし、霊性な波動を高め自己が本当に心底にどういうことを望んでいるのか、じっと己れの心の奥を内観しましょう。

 そして、自己の内なる声に耳を傾けましょう。
 暫くすると高級な指導霊(ハイアーセルフ)からの、智慧(インスピレーション)が聞こえてくるはずです。
 そうすればあなたは真理に叶った道を進むべき方向が明らかになります。
 高級霊からの内なる声に素直に従えば、あなたは自分の運命を全うすることが出来ると共に、自己の存在する意義を自覚できるようになります。
 さらに人生に於ける自己の活動範囲を拡げ充足させることです。
 そうすればいかなる場所に於いても、常に自己の使命と重要性を感じ取ることが出来るはずです。
 人は自己の中にある神仏(無限なる知性)の特質と属性と能力とを発揮して、地上に理想的な生活を営む園を実現するため、想像力・思考力・理性・祈りの特性と機能、それに選択と行為する力を与えられています。
 宇宙の大生命は分霊した人間を通してその精力・活力・平安・愛・喜び、智慧の光輝に満ちた特質を余すところなく表現して、その存在を是認されたいと願っているのです。

自尊心と神性な己の目覚め(同上号より抜粋)

 凡ての人間は自尊心を持っています。自尊心には深い心理的、精神的な必要性があります。
 人は自分の中にある自己を是認し、神仏(無限なる知性)の特質と属性と能力とに敬意を表しているに違いありません。
 神仏の心は凡ての人間の中に潜在的な良心として生きており、各自の自己とは神仏の実在と能力を意味しているのです。
 人間がこの世に在るのは自己を完全に表現し、神仏との一体感における充足と安全の意識を感じるためであり、存在を認めるためでもあるのです。
 人間は魂・心と身体の自分自身を切り離して生きることは不可能なのですから、自分自身をもっと好きになるように努めなければなりません。
 自分の内にある神性や仏性なる自己(人格・品性)を高めない限り、人類共通意識という強力なイメージの渦巻く劣等感と無力感と不安感などにさいなまれ、おそらくは無意識の内に自分自身を罪人だと見なすでしょう。
 自分を罪人と見なす人間が幸福で居られるわけがありません。
 何事につけ恐怖心が起こるのは、自己の内に「劣等感」があるからであり、人間が悪を為す時は、潜在意識が「どうせ自分はダメな奴だとか悪である。善いことなど出来るものか」と、思ったり「人生には何の意義もないではないか、快楽・享楽の本能を追求する機会を与えられた肉塊に過ぎない」と、考えたりしている時に無意識の内に悪事を為すのです。
 このような事を繰り返して生き様が堕落して行き、遂に自分の生き方に行き詰まって絶望するのです。
 精神世界に目覚めない人は、地球が高次元へ波動を移行するに伴い精神的な不安や満たされない感じが強くなり、安心できる何かを求めようと現象界の物質的(金品・地位・名誉)なものを追求して、それを掴んだと思っても本当の安心や満足感は得られず、次々と奔走しますが虚しさは消えず絶望感や孤独感に襲われるようになるのです。
 ですから、自らの幸福生活を望むのに、現象界の物質的なものを追求してみても結局は不可能だという絶望感の果てに、心機一転し心眼を開き現象を越えた魂・霊的な観方で、自分の人生を方向転換する必要があります。
 罪や悪の意識は一種の精神的な病気であって、ごく一般的なものでもあり、心・意識の観点を高次元なる神仏の意識にまで変えることにより、潜在意識から払い除くことが出来ます。

自己を向上させる生き方と人生観

 常に私たち人間は「過去のカルマ」の中から少しづつですが立ち上がりつつあります。
 困難とか苦労は神仏が私たちに与えてくれた試練であり、自己向上のチャンスなのだと考えて感謝しつつ素直に受け、そのお陰で自分は一回りも魂・力量が大きく強く高まり、徳も積めるのだと思い、何事にもベストを尽くして対処するようにしますと、全ての事象がスムーズに進展するようになるでしょう。
 つまり、あなたの受けるべき運命を最高のものだと想像し、その最高なる運命が自己に近づきつつあると信じることです。
 この様に明るく素直な精神の根本的な心得と態度が、あなたを今よりも一層幸福に健康に繁栄へと知らずに導くことになるでしょう。
 ところが、マイナス的な発想をする多くの人は、困難な出来事に出合うと自分の目標を軽々と放棄して、自分の心底に渦巻いている信念や願望を易々と諦めて無理矢理に自ら目と耳を塞ごうとすることから、本来の神性や仏性なる自己が考えているよりもずっと低いレベルの生活に甘んじることになるのです。
 昔から「玉磨かざれば光無し」と言われるように、自己の存在的な価値が無くなったと知った(思った)時から、その人の心は内部から死んでいきますから、内在する秘められた脳力・才能・天分は当然に発揮できなくなるわけです。
 人間として地上に生れた理由は魂・霊の体験学習でありますから、各自各々の過程・修行レベルに応じて様々な事象を通して試練を与えられるでしょう。
 ですから、誰もが気楽で何もかも都合のいいように程よく用意されて、難無くて死ぬまで保証された人生なんてあり得ないわけです。
 つまり、人間として生きるということは日々の中で起こる事象に対して、何かを選択することから始まるといえますが、人間だからこそ大きく困難な事象を目の前にすると心が揺れるのは当然でしょう。
 その時に人生の指針となる真理や倫理を知っているか知らないかで、物事に対する観方から受け取り方を始め思考内容や判断が違ったものとなり、運命の分かれ道となってしまうのです。
 つまり、どういう人生観と思いで毎日の生活を送っているかが大切なわけです。
 中には、霊能者が観ると本来は小さな器(人格・品性が低い)であるのですが、無理をして恰も大きな器になったつもりや、大きな器であるように振る舞う人もおられます。
 しかし、所詮は小さな器なのですから、時が経てば何時か化けの皮も剥がれて、やがて二進も三進も行かなくなるのが落ちです。
 ですから、急場凌ぎで自己を何とか取り繕ってみても意味はなくなります。
 先ずは自己の器である人格・品性として魂・霊的なレベルを知り、それに見合うような生き方で魂の進歩向上を目標に努力しましょう。

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