またきってしまった。
何度も何度も何度も。
友達に電話して、助けてと言っていた。
近くだからすぐに車を走らせてくれて、びっくりしたようだった。
もう2度としない。そう決めたのに。
もうカッターナイフはにぎらない。そう決めたのに。
今朝はようやく落ち着いた。
友達にはすごくすごく迷惑かけた。
ごめんなさい。
今日、カッターナイフを捨てた。
一昨日だったか、朝方目が覚めてしまった。
薬を常時飲んでいるせいか、寝ている途中で目が覚めると
頭痛がするので、そのまま無理やり眠ってしまう。
でもその日は、トイレに行きたくて、ベッドからおりて立ち上がると
めまいとふらつきで、どこに自分がいるのかわからなくなって
倒れそうになったので、側にある椅子につかまったけど、一緒に倒れてしまった。
近くのタンスに頭をぶつけて、しばらく起き上がれなくて…
そんなとき友達からメールがあって、音のほうへ手を伸ばして、やっとベッドに戻れた。
そして電話して、今のことを言ったら、「いくから」とすぐ来てくれた。
おでこにたんこぶ。
ふらつきやめまいは、薬のせいかもしれないとのことで、様子を見ることに。
頭は痛かったし、ぐるぐるまわって気分が悪かったし、パニックになってこわかったけど、友達からメールがあって、方向がはっきりできたおかげでよかった…
…みぃはそのとき、ベッドの上で寝ていた…
一部始終を見てたはず…
…… 何思ったのか、そのあと、ふとんにもぐりこんできた。
…ぬくかった…
「ふふっ」っておもわせてくれた、ひとつのメール。
なんだかうれしい。
ここだけの仲間なのに、違うの。
心の何かが解除されていくよう。
たったひとつのメールなのに、文字の向こう側からのエールが
とってもうれしい。
みんないいひとたちばかり。
ありがとう。
今年、私の一番の出来事……
大好きだったおばあちゃんが、6月に亡くなりました。
今年に入ってからは認知症が一段とひどくなり、これまでは私はなんとかわかってくれるときがあったのに、もうずっと私の名前は出てきませんでした。
5月半ばに、飲食を一切受け付けなくなったので、身体のどこかが悪いのではと、ホームから連絡が入り、入院して検査してもらうことになりました。
検査…胃腸の検査は、私たちでも辛い検査ですよね。
それを90歳になるおばあちゃんに…と、かわいそうでたまらなかった。
ごめんね、ばあちゃん、って思いました。
数週間検査が続きました、が、全く悪いところはない。
お医者さまも少し困った様子で、もう少し様子を見ましょう、ということに。
病室では点滴だらけ。トイレもチューブにつながれている。
ばあちゃんはトイレにつれていけばできるのに… 病院はそこまでは無理だったようでした。
また何週間か入院している間も、一口も食べようしない、飲むこともしない。
看護師さんは根気よく口へと運んでくれてもつぐんでばかり。
私も、これはかぼちゃだよ、ばあちゃん好きだったよね、と、声かけて口もとへスプーンで運ぶ。すると、「まぁええ」と向こうを向いてしまう。
食べてくれたことがあった。今日は珍しく少し食べてくれたんですよ、と運んでくださっている方に声をかけてお膳を返したあと…
ばあちゃんはそっと前掛けの中に吐き出し隠そうとしていた。
…がまんさせちゃったんだ、と思うと、泣けてきて
「大丈夫、大丈夫、片付けておこうね、ごめんね、いらんかったんやね」なんとか口すすぎのお茶を楽のみで、少し嫌がるけれど、きれいにしなきゃいけないと頑張ってさりげなくあげた。
6月に入り、お医者さまが、このままでは同じことだから、胃瘻(いろう)という治療か、口からの食事を根気よく続けるかどちらかの選択をせまられた。
胃に直接栄養を送る…
どこも悪くないばあちゃん、嚥下障害もない、肺に入ってしまうようなこともない。
ばあちゃんの悪くない身体に穴を開けて…
父と弟は胃瘻を望まなかった。私も、いっぱい悩んだ。
少しでも生きていてほしい。だけど、ばあちゃんは自分から望むことができない。
私たちが決めなければならない。口からの食事となると、退院し、グループホームへ戻ることになる。点滴もはずされる。
すなわち、「看取り介護」
私は、仕事中も起きている間中常に考えた、考えたけれど… 「看取り介護」を選ぶことにした。
グループホームの方々は、胃瘻になっても看取り介護となっても、誠意を持って精一杯尽くさせていただきますと、心からありがたい言葉をいただいていただけに、看取り介護を選んだ私に、「もうひとがんばりよ」と励ましてくれた。
「看取り介護」は「ターミナルケア」とも言い、数年前に介護の勉強でならっていただけに、精神力体力気力が必要だなと感じていた。
本人がやすらかにおだやかに最期まで暮らせるように…
私は仕事に行く前、朝早く出て会いに行き「じゃあ、ばあちゃん、しごといってくるね。かえったらまたくるで、まっとってね」と必ず声をかけ、帰りには、「きょうはどうやった?ちょっとそとはあめがふっとるわ。かおいろいいやん」などと、毎日欠かさず、入院していた頃からやっていた。
私になにができるだろう、と考えても、どうしようもできない。今、できることを、精一杯、やるだけ。奇蹟を信じて。
仕事は残業が多く、夜の8時くらいになってしまってた。朝も8時くらいにばあちゃんとこへ出かけ、帰りも8時。昼間のことは、ホームの方々に話を聞き、いつも感謝していた。ふとなにげなく思い出した、ばあちゃんはスイカが大好きだったこと、夏は「めしよかスイカのほうがええ」というくらい好きだったこと、それを介護員さんに伝えると、翌日すぐに食べさせてくれて、少しですけど食べましたよ!と、とても喜んでくださった。もちろん私もすごくうれしかった。すごく、うれしかった、けど…
2日後くらいだったろうか、私がたまたまその日は珍しく、半年以上も続いていた残業がない日となり、早くばあちゃんとこへ行けると思って喜んでいった日。
夕方ごろから、息が荒いとのこと、確かにこれまでとは全く違う息のしかた。苦しそうに汗もかいていた。血圧はまだ正常で、そのうち、血圧が測れない状態になって、
真夜中、日にちが変わった頃… 最期のひと息を、大きく吸い、はいて、そのまま眠ってしまった。
永遠に。
思い出していてもしんどいです。ごめんなさい。
でもちゃんと自分の中でもきちんと忘れないようにしたいのです。
ばあちゃんは私が行くと、これうまいから食いな、よおけ食わんか、これうまいで持ってけ、これでうまいもんでも買いな、と、いつも食べることに気を使ってくれた人が、自ら食べないと口をつぐむほどになるなんて。
なぜ、どうして、ばあちゃんは何を思っていたの…
認知症だから?それだけ、なんだろうか。
未だに納得いかないでいます。
そして、あのときの選択肢に、最後まで考えてもわからなくて、どちらも選べなかった、というのが正直な気持ちです。
だから、後悔ばかり。
もしあのとき、もしああしていたら、もし、もし…
亡くなったのは6月27日でした。そのあと私は10日ほど休み、仕事もそうも休んではいられず、出ましたが、8月のお盆休み中に49日の法要がおわり、報告がてらグループホームに伺うとみなさん、口をそろえて、ばあちゃんがまだいてるみたい、とか、もっとお世話したかったとか、大変やったね、元気にしてる?とか、本当に心温まる言葉をかけてくださって、ばあちゃんはきっと、幸せだったんだろう、と、思えました。
よかった、ここの方々におまかせして…
私も…
いつか治ったら、ばあちゃんを看取ってくださった方々のような気持ちで人と携わりたいと、再び思うのです。
2005年12月4日。誕生日でした。
その日を、最後に、昨日まで。ここで出逢えた仲間の方々への不義理を、どうぞお許しください。
たくさんのコメントをお寄せ下さり、みなさんの心のあたたかさに泣けてしまいました。
今はまだ、自分のブログを、こうして書くので精一杯ですが、これから時間はかかるかもしれないけれど、これまでに仲良くしてくださったみなさんのところへ、ゆっくりとおじゃましようと思っています。
あれからいろんなことがありました。
日々、疲れやすいなと思っていたけれど、持病の腎臓からくるものだろうと思ってました。
でも、腎臓の数値はいつものようなのに、のどのあたりの違和感、肩こりや背中の痛み、集中しなきゃいけない仕事にもなかなかできなくて、病院から、心療内科を勧められました。
「うつ病ですね」
うつ病、よく聞く言葉だったけど、まさか自分がそうなるなんて。
でも薬で治りますから、少しずつですけど大丈夫ですよ、
と、先生は言って下さいました。
その後、自分の家族や友達や仕事やいろんなことが次々とあって、すべてをひとりでなんとかしなきゃいけない、と思えて、とにかく自分が頑張らなきゃいけないとだけ思い、身体のこと、心のことなど、後回しにしてきました。
と、言うか、ごまかしてやってきたのかもしれないです。
この9月にはもう、仕事もできなくなりました。
なにもかもが不安で不安でたまらない。集中できない、とかく不安な気持ちが、常にあって落ち着かない。
全般性不安障害、という名前もついてしまいました。
そして今、まだ病院の先生には話していないこと、とうとう自分の腕を傷つけてしまいました。
リストカット、なんて、言われてるけど、醜いものです。
でも自分をどうしても許せなくて、なさけなくて、不安で、つい何度も何度もカッターナイフで腕を傷つけています。
いけないことだとわかっている、でも、何かの衝動でカッターナイフに手が伸びてしまう。
し終わった後に、自分は思いきり泣いてる。
カッターナイフは机のすみに投げ飛ばしたまま。
バカな人間、存在価値なんてないようにさえ思える。
2005年までの私のブログが、まるでうそのよう…
ネコのみぃは元気です。みぃがいてくれるから、私もここにいられるのかもしれません。
これからも、薬に頼ることになるけれど、自分自身とも戦っていかなければ生きていけません。
いろんなこと… また、少しずつ話していきます。もしかしたら、ブログすることで、何かが変わるかもしれない。
何もする気がない自分が、ここに来たのは、ひとつの進歩じゃないかと。
読んでくださった方、ありがとうございます。