QOOTESの脳ミソ

日記や旅の記録(現在進行中および過去の旅)がほとんどですが、たまに「腹黒日記風」になっているのでお気を付けください。

過日、エチオピア航空機内で改めて観た「ショーシャンクの空に」が良かった。

2024-09-22 15:50:05 | Books, Movies & Music
やはり時差ボケなのだろうか、非常に眠くて寝ていたらさっき(15時頃)宅急便のベルで起きた。受け取ったがきっと(こんな時間に呑気に寝やがって)と思われていることだろう。ごめんなさい。

昨日のブログでケープタウンへの行きのエチオピア航空で観た映画「ショーシャンクの空に」の話を書いたら、Youtubeにそれに関連した動画が出てきて、ネットって怖いなと思いつつも、それらのいくつかを観たら全部面白かった。特に興味深かったものが一つ。この動画だ。

1994年の映画なので今更ネタバレに気を遣わなくてもいいとは思うが、もしまだ観てないが観てみたいのでネタバレは困るという方がいたら、この下は読まないでくださいね。


この動画は映画が公開されてからずっと後のもので、当時の脚本家と主演の二人(ティムロビンスとモーガンフリーマン)による対談の一部。脚本家自身が元々書いた映画とは違うクライマックスについて話している。

彼によると、本来彼が書いたクライマックスはモーガンフリーマン演じる「レッド」がティムロビンス演じる「アンディ」に呼ばれてメキシコに行くバスに乗っている場面で終える予定だった。そのバスにはこれから彼を待っている未来の象徴としての意味を持たせていた。スティーブンキングの原作でもそんな感じの終わり方になっている。

だが、「この二時間超という長い映画を辛抱強く観てきた観客に、何らかの形で二人が長い時を経て再会するというカタルシスを提供するのは我々の責任なのではないか」と言われ、その構想は制作陣によって否定された、と言っている。

そうやってあの美しいクライマックスのシーンが生まれたわけだ。

実際の場面の切り抜きもあったので貼ってみる。


改めてモノを作る人々のすごさというのを感じずにはいられない。

それに加えて、「我々にはその責任がある(owe)」と言う表現が実にアメリカ人らしいなというところが非常に興味深いし、僕はそういう彼らの言語表現が非常に好きなのである。(oweの訳し方が間違ってたらごめんね(笑)。)

僕だけかも知れないが、owe(負う)って言う動詞は英語の勉強をしている時にもっとも肌感覚に落とし込むことが難しかった単語の一つだった。それなのに、当のアメリカ人がいろんな場面でいろんな使い方をしてくるので本当に厄介だった(笑)。

同じようにdeserve(価値がある)という動詞も最初はめんどくさい単語だった。今では自分でも使うことができるが、ちょっと日本語にはない動詞なので。日本語だと動詞ではなく同じ意味の形容詞を使う。帰国子女とかハーフ(ハーフの友達が最近自分たちのことは「ダブル」って呼べとかうるさいのがいるけど、私はハーフでいいのよと言ったのでここではハーフで行く(笑))だと日本語を一切orほとんど介さないので僕のような困難は感じていないと思う。

映画はどちらかと言えば好きだが元々映画館に足繁く通う方ではない。というか映画館にはほぼ行かない。去年久しぶりに行ったがあれは10年超ぶりの映画館だったと思う。

じゃ、自宅のテレビで観るかと言うと、それがそんなに観ない。実は一番映画を観るのは国際線の機内だったりする。

(そんなに海外旅行をしているのか)と言われるかと言われれば若干逆で、それくらいの頻度でしか映画を観ないということになる。

ただ機内だとなぜか普段よりも感受性が高まっているので、映画にしてもオーディオプログラムの音楽にしても心に染み入ってくることが多く、より楽しめる。聞いたことのないアーティストの歌をなんとなく聴いてみたら、意外に良くて降りてからCDを買うことも多い。映画は新作もたくさん入っているし。

以前ANAの機内エンタメで歌手のJUJUさんの特集番組があってご本人がゲストで出られていたことがある。ANAのプログラムなので番組中に彼女の旅に着いても聞くのだが、彼女がこんなことを言っていた。原文通りではないが書いてみると、

「飛行機の旅ってすごく楽しいじゃないですか。なんか疲れたなと思うと、長距離の国際線に乗ってどこかに行くんです。座ると、映画も音楽もたっぷり用意されていて、眠くなったら寝ればいいし、(おなかすいたな)(のどが渇いたな)と思えばCAさんにお願いすると何か持ってきてくださるし。あんな快適な空間ってないですよね。」みたいな意味のことをおっしゃっていた。

彼女はきっとJFK行きのファーストクラスの話をしているんだろうが(笑)、僕は飛行機に乗っているのが好きなので、エコノミーユーザーでも彼女の気持ちはわかる。

「本日は皆さまの迅速なご搭乗へのご協力のおかげで〇〇分早く到着いたしました」って言われると、本当に残念な気分になる(笑)。

山崎 朋子『サンダカン八番娼館』金子光春『マレー蘭印紀行』(追記しました)

2024-06-20 16:17:35 | Books, Movies & Music
Youtubeで著名人が出しているニュース解説動画を観ていたら、ハワイだのアメリカ本土だのドバイだのに「パパ活」目的で出かける日本人女性が問題になっていると言っているのを題材にしていて、そういえば『サンダカン八番娼館』を中学生のころに読んだなぁと思い出した。

本の内容がないとわかりにくいので追記します。細かいところまでは覚えてないしデリケートな話になるのであらすじとして読んでいただきたいのですが、戦前の日本から東南アジアにわたって(か、渡らされたか)現地で娼婦として生きていた「からゆきさん」と呼ばれる方の物語です。その言葉を下敷きにバブルのころに日本に渡ってきた東南アジアの女性を「じゃぱゆきさん」と呼びます。

バブルも終わりのころ、バンコクのショッピングセンターのベンチでコーヒーを飲んでいたら、若いインドネシア人の女の子が話しかけてきたことがありました。
「あなた日本人?ワタシ、来月日本に行くの。日本で芸能プロダクションやってる人にスカウトされて歌手になるのよ☆」と言われたので、
「それ詐欺だからやめておいた方がいいよ。酷い生活させられるよ。」と言ったのだが、彼女はケラケラ笑うだけで信じようとしない。「じゃ、調べてみるからその会社の名前教えて。で明日15時にここで会おうよ。」「いいわよ、明日15時ね!」と言って彼女は去っていった。

インターネットもなかった頃の話なのでそのあと僕がどうやって調べたのかは忘れたが、とにかくそんな会社はないという確認をして翌日そこに行ってみたけれど、彼女は現れなかった、と言うことがあった。変なことばかり思い出すなぁ。年は取りたくない。

本の話に戻る。
中学生男子には少々刺激が強い内容の書籍だったが、こんな世界もあったんだなぁという感想の方が強かった。それよりも、主人公の取材対象だった元「からゆきさん」のおばあちゃんが帰国してから暮らしていた、(書籍内では少しだけ触れられていた)故郷の長崎の隠れキリシタンの集落の描写になぜかすごく惹かれてずっと行ってみたいと思っていた。

いまだに行けてはいないが、40年前にその本を読んでから今に至る間に教会をはじめとする長崎の隠れキリシタン関連のモノは世界遺産にもなった。16年ほど前に仕事の関係で東京に住むようになったが、その頃に飲み歩いていて知り合って今でもしょっちゅう一緒に飲んでいる友人が偶然子供のころ軍艦島に住んでいた人で、それで興味を持って軍艦島にも行ってみたが(非常に美しく、建物は趣があった)、長崎・五島あたりの教会群や集落はまだ敷居が高い気がして行けていない。

その数年後ちゃんぽんでも食いに行こうとふらっと長崎に行った時に、アパホテルの真裏に「日本二十六聖人記念館」という施設があり見学に行ったら、さまざまな展示物の中に隠れキリシタンの儀式の資料動画が流されていて、一見クリスチャンの儀式には見えないがひそやかで厳かでなにか侵してはいけないような、画面から伝わるそんな空気に引き込まれて見入ってしまった。

興味のある人は見てみるといいと思う。今のことだからネット上にも公開されているのかもしれない。

逆に書籍から昨今の「国境を越えるパパ活女子」や「からゆきさん」のことを思い出したことも去年あった。一部バックパッカーの皆さんにはバイブルとなっているらしい金子光春の『マレー蘭印紀行』を読んだ時だ。彼がもっとも旅をしていた時代は、ちょうどからゆきさんと同じ大正から昭和に変わる頃だと思う。

その紀行文の中で、彼はマレー半島を南下するときに某商社の支社に厄介になっていたのだが、そこでの描写で「近頃はマレー半島のからゆきさんたちも中国からくる安い娼婦に「市場」を奪われる形で、西はサウジアラビアにまで移った者も多い」(思い出して書いているので原文そのままではないです。スミマセン。)というのがあった。

団塊ジュニアの世代なので幕末から明治大正の世界のイメージはそれほどないし、政財界の要人以外で日本人がそんなに遠くまで行って、しかも暮らしているイメージなんてそれほどなかったので新鮮な驚きだった。

それに娼婦の世界の市場競争が世界規模で(少なくともアジア内で広く)ダイナミックに展開されていたことにもびっくりした。

人間ってたくましい。

それを考えると、傍から見えるような超円安でパパ活女子が国境を越えているという単純な構図ではなくて、実は彼女たちの間でもっと激しい市場競争が繰り広げられているのかもしれないなぁとなんとなく思ったのだ。

ま、お金のない僕には一生相まみえるタイプの女性たちではないから個人的な興味は全くないけれども(笑)。

三浦綾子『泥流地帯』『続泥流地帯』

2024-06-14 19:42:10 | Books, Movies & Music
前回好きな作家を村上春樹と書いたが、正確には村上春樹さんと三浦綾子さんの二人だった。二人とも甲乙つけがたいくらい好きなのに一人だけを挙げたのがなんだか申し訳ないような気がするので、少し。

三浦綾子さんの小説は『氷点』が最も有名だが、僕は小学5年生の時に読んだ『泥流地帯』が最も好きで、二番目が樺太を舞台にした『天北原野』、三番目が『塩狩峠』で、その順番に読んだ記憶がある。

彼女の小説の特徴は背景にキリスト教徒の思いが垣間見えること(しかし、単にきれいごとばかりを描いているだけではないような気がする)と、主人公たちをこれでもかこれでもかというくらい苦難が襲うことだ。昼のメロドラマに通じるものもあるかもしれない(笑)。

彼女の本も最初は母に勧められて読んで見たら面白くて芋づる式にほかの作品も読みたくなった。『泥流地帯』は十勝岳の噴火に襲われた家族がその中でさらに運命に翻弄される物語、『天北原野』は樺太で終戦を迎えた人々がこれまた苦難を強いられる物語。沖縄地上戦の悲劇はよく語られるけれども、樺太から逃げる途中でソ連に船を沈没させられて死んだ人、樺太に取り残されて苦難の日々を送ったたちのことはそれほど語られないなぁとその本を読んだ後から思っている。

『塩狩峠』も実家の本棚にはあったが実際に手に取ったのは別のきっかけだった。中学3年の公立高校入学試験の1週間前おそらく受かると思い何もしていなかった僕に母が「どうせ受験勉強もせずに暇ならここ行って来たら?」と渡された、近所のキリスト教教会でアメリカ人宣教師が開いていた英会話の折込チラシ(うちはガッツリ仏教徒の家庭だが母はそういう面白そうなものが好きだった。)、それをきっかけに受験は置いといて教会で英語を教えてもらうようになったのだ。因みに教会はプレスビテリアン(日本語では「長老派」と言う)、末日聖徒いわゆるモルモン教ではない。別に宗教の是非をかたるつもりはないが、モルモン教のアメリカ人宣教師さんたちは日本語がやたらうまいので、英語を教えてくれると言ってもあまり英語の勉強にはならない(笑)。

テキストは聖書の物語を題材にしたもの。宣教師さんなのでときどき「神様は素晴らしいでしょう」というくだりが出てくるが(それはそれ、これはこれ)と思って純粋に楽しんでいた。

そこで勧められたのが『塩狩峠』だった。北海道の塩狩峠を走っていた汽車のブレーキが壊れて止まらなくなり、このままでは乗客全員が死んでしまうという事態に陥った時青年が身を挺してブレーキになりみんなが助かった、そして彼はキリスト教徒だったという小説だ。実話をもとにしていて、北海道には実際に塩狩峠という駅がある。事故が起こった塩狩峠は今の駅とは少し違う場所にあったようだ。

今の薄汚れた自分にはあまりに清らかすぎる話だが、当時の無垢な少年QOOTESの心には彼がキリスト教徒だったという点は気にならず純粋に響いた。

その頃の読書体験というのは生涯にわたって影響があるもので、大人になってからも三浦綾子さんの小説は愛読書となっている。

三浦綾子さんは長く病床にあって自分で書くことができなかったため、1999年に亡くなるまでは夫の三浦光世さんの口述筆記で執筆活動をしていた。何年か前に旭川の三浦綾子記念館を訪れた際にはなにか勉強会のようなものをされていて、そこにご主人の三浦光世さんがいらっしゃったのを見てなんだか嬉しかった。その後ほどなくして彼が亡くなったというニュースを見たので、ちょっと検索してみたら、僕が記念館を訪れたのは2014年のことだったようだ。

お二人とも好きな作家さんなのに、村上春樹さんだけに触れて三浦綾子さんに触れないのはなんだか後ろめたくて(笑)、ちょっと書いてみました。

パール・バック『大地』

2024-06-13 19:46:33 | Books, Movies & Music
最近はパール・バックの『大地』という小説を鞄に入れて持ち歩いている。以前実家にあったものでずっと前に亡くなった母が「読んだから上げる」と言ったのでもらってきてそのままになっていたのだ。

全4巻。辛亥革命の前後あたりの時代に、極貧の農民でとても普通の結婚はできない主人公が近所の富豪の家に奴隷として「飼われて」いた女を嫁にもらったところから話は始まる。妻は非常に不器量であったために富豪の家でも誰からも見向きもされず半ば虐げられて暮らしていたが、その分人間やその営みをつぶさに観察していたからか、主人公と結婚してからはその知恵で主人公を助けどんどん豊かになっていく、という物語。「あげまん」ってこういう人のことを言うんだなと思った。

遅読なのでまだ1巻を読んだばかりなのだが、ぐいぐい引き付けられる。2巻からは主人公の息子娘たちの物語に次第に移っていくが、革命も近く、まだまだ彼らは運命に翻弄されそうだ。

あくまで私見だが、いい長編小説というのは読みながら主人公と同じ時間や時代を生きた気持ちになれるもの。この『大地』と言う小説はそれができる小説。好きな長編小説ベスト3のうち2つまでは決まっていたが最後の1席に見事に滑り込んだ。

あとの2作はヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』と三島由紀夫の『豊饒の海』。どれも主人公と同じ時間を過ごした気持ちになれる小説だった。

『レ・ミゼラブル』は10数年前ロンドンでミュージカルを観る前に事前準備で読んでいったのだが、本当に読んで行ってよかったと思った。ミュージカルやヒュージャックマンの映画版で描かれているのは、小説のほんの一部だということがまずわかるし、ミュージカルを観ていると目の前で繰り広げられている物語に加えて、端折られている物語がかえって生き生きと頭に浮かんでくる。

『豊饒の海』は人間の身体は滅んでも精神が連綿と、時に狡猾に続いていく様をまざまざと見せつけられる主人公に、自分が同化して感動したり恐怖したりした。

とにかく引き込まれるのである。

と、ここまで書いておいて、一部の方をドン引きさせる事実をお知らせすると、僕は重度の村上春樹ファンで彼の本は全て殿堂入りしているので、上の長編ベスト3には入れていない。

世の中の読書家、文芸ファンの方にはなぜかとことん嫌われている村上春樹(笑)。でも僕はすごく好きなんですよね。登場人物の心の動きとか、行動とか、読んでいると非常に共感できることが多くて。

でも群れるのが窮屈であまり好きではないので、「ハルキスト」と言われる人々はあまり好きではない(笑)。

で本題に戻ると、『大地』いいですよ。出版されたのは1931年で、この作品でパール・バックはノーベル文学賞を取った。本の後ろの方の広告を見ていたら、この人の小説の多くを少し前の朝ドラ「花子とアン」のモデルになった村岡花子さんが翻訳されていることを考えても古い時代の作家だということがわかる。

著者のパール・バックはバージニア州出身のアメリカ人で、宣教師だった親に連れられて中国にわたりそこで育って、「中国人として」のアイデンティティもお持ちだったらしい。それくらいじゃないと書けないほど中国人の登場人物たちの描写が精緻で丁寧だなと思った。

隙間時間を見ながら読んでいるのでまだしばらくかかると思うが、残り3巻。楽しもうと思う。