主に読んでいます

たぶん詠んでるいや読んでるむしろ淹れてる

猫で知る

2023-11-11 19:28:00 | 
 


先週の土曜日、
20年と半年の命を終えました、
 
それだけのことが
どうしても言葉にも文字にもできないで
 
ただただもう淋しさに抗えぬ一週間でした
 
起きたとき立ち上がったとき椅子に座ったり動いたとき
全ての行動の目の端にその仔がいて、
その仔の様子を見遣っていたのだなあと、
いなくなって、思う
 
なにもかも
急ぎ過ぎるくらいに早く片付けて
もうなんにも残っちゃいないのに、
そこいらじゅうに気配が転がっていて、
四六時中にああ居ないのだと気付く愚かさはたぶん愛情とか寂寥とか執着とか
 





最後には
何度か小さな声で鳴いた
声にはならない
掠れたような吐息で、鳴いた
 
そうして、その仔は逝ってしまった
 
わたしを置いて終わってしまった
 
生まれたら終わるのだと、
念押しするようにまるごと無くなってしまった
 
小さく硬いからだを一人きりにするのは忍びなくて、
その日の夕方には一畑薬師さんの動物愛護のところで
火葬してもらい遺骨を持って帰った


長生きした動物の骨は綺麗に残るんだって
でも壺に入れてる途中でガシガシ潰されたけどナ
いちど左の本棚の上に安置して

金曜に
大きな鉢のオリーブの木の根元に埋葬した


もう、いない。
 
それを受け入れるまで
どれだけ苦しかったか
 
20年、ひとりぼっちのわたしと
片時も離れず一緒に暮らしたのだからナ
 
先に逝くのは分かっちゃいるけど
理屈じゃないんだよなあ
 
それでも
時間薬とはよくも言ったもので
こうして書けるくらいに落ち着いた
 
土曜に、友が、くどくどと経緯を語るわたしの話を
我慢強くじっと最後まで聞いてくれて
そうして、
わたしの弔いが終わった
 
これからどうしたものかな
ひとりの気楽さと淋しさを抱えて
また呑気に暮らしましょうかね
 
自由とは淋しいことなのだと
淋しいこともまた善きことなのだと
言い聞かせながらナ。
 
 
 
 

眠りの海のそのひとつ石を

2023-11-09 12:31:00 | 

朝いちばんに
向かったのは


日御碕神社の奥の海岸です

その前に




ご挨拶もね

日御碕神社本殿敷地の北側に
福岡県に総本山のある宗像神社があり
田心姫命[タゴリヒメノミコト]が祀られています
多紀理毘売命[タキリヒメ]とも呼ばれる宗像三女神の一柱です

祀られる神々の名を確認するのは、
それは地理と歴史の証拠であるから

例えば此処では、海伝いに、大陸と九州、山陰の交流の歴史が垣間見える

さてしかし今日の目的は海、
海岸で探したのは石ころ、
白と少しオレンジなんか入った楕円形を…

良さげなのが見つかったので

引っ越し時も必ず持って行く、
オリーブの木の鉢に墓石に見立てて置く

そこに、眠らせることにしたのです

おやすみ、おやすみ、おつかれさん。