石川久遠の「日本人なら知っておきたい信実」

「陰謀論」とは「陰の謀(はかりごと)を論じる」ものであり「妄想論」とは異なる。虚心坦懐に見詰め直せば、真実は見えてくる。

コロナ禍を生き抜く為に、日本国民は自分で情報収集して自分の頭で考えよ

2020-05-22 00:58:38 | 日記
「過去の過ちや誰かを責め続けるより、今の努力を未来に繋げる事の方が重要だ」というのは確かに正論だが、良きも悪しきも歴史に学び知り得た知識を積み上げていく努力を怠れば、より良い未来など訪れよう筈がない。安倍政権批判を非難する似非(えせ)保守派にはこの事を確りと理解させる必要がある。安倍政権のどの政策が間違っていたのかを、過ぎ去ってしまった過去だからという理由だけで追認する行為は、日本人の子々孫々に対する責任放棄に等しい。安倍政権の国益に反する売国的政策の数々に起因する日本国民の被害は今もこれからも続くからであり、時の経過と共に更に取り返しのつかない事態を招来するからである。喫緊の課題は「COVID-19ウイルス」の感染拡大を防ぐ事であるのは間違いない。併し、ひと先ずは感染爆発を回避できたかに見える現在も、平時ではない事は如何ばかりも変わりはしない。事実上の「緊急事態」が続く現在も、プライマリーバランスの均衡なる悪しき「緊縮財政」至上主義を信奉する財務官僚の言いなりなる安倍政権の「補償なき自粛要請」は、倒産・失業を増えるがままに見過ごす冷酷無比な政策だといえる。国民生活の苦難を放置するというこのままの経済的無策を続ければ、必然的に多くの自殺者を出すのは誰の目にも明らかである。コロナ対策の目的は文字通り「国民の生命を護る」事であり、その中には「生活苦の最小化」が含まれる事は言うまでもない。安倍政権が与党内からも批判続出の「国民見殺し政策」を変えない限り日本社会の崩壊は必至である。財務官僚の言いなりの安倍政権は、今後も出せる金を出し渋り続けそうだが、日本国民は全力でこれに立ち向かい、克服した上で、ひと段落したら「無能・売国・不作為という政治禍」を招いた過ちとは何だったのかを詳らかにする必要があろう。過ちを個別具体的に反省した上で、未来をより良い方向に切り拓く努力は避けては通れない道である。

当ブログの主張は、自助努力や自己責任の概念を全否定するものではない。何も彼も親方日の丸にぶら下がり、日本国民が総じて怠け者に成り下がる事を良しとはしない。併し、世界的な「COVID-19ウイルス」のパンデミックに際して、我が国も「非常事態宣言」を発し、総ての国民に「活動自粛要請」を出すのなら、それによる経済的損出を日本政府も共に負うべきであると主張しているのである。自粛要請に伴ない、実際に倒産や廃業に追い込まれた企業も出ているし、営業自粛による雇い止めや解雇に遭う国民も大勢出ている。大勢の失業者が街に溢れ、生活苦に追い込まれた国民の中には自ら命を断つ者も現れるだろう。自粛要請によるこういう結果は前もって分かり切っていた筈であるのだから、自粛要請を発した日本政府には職を失ない、家賃や食費(生活費)の当てが無くなった国民の生活を、当面は補償する義務があると言っているのである。常識的に考えれば「COVID-19ウイルス」感染症が収束するまでには数年(早くとも2〜3年間)は要すると思われる。或いは何十年も「COVID-19ウイルス」との共生を余儀なくされるかも知れない。仮に収束してもこの感染症により人々の生活習慣は大きく変容してしまうだろう。生活習慣の変化に着いていけない業態や職種は、日本社会から姿を消すか、生き延びても規模を大幅に縮小せざるを得ないだろう。そういった消えゆくであろう企業を国費でだらだらと生き延びさせるのは寧ろ有害である。併し、そういった業態や職種に就労している国民の生命を軽んじる事は許されるべきではない。企業や店舗が時代と共に変化する、或いは無くなるのは世の常であるが、コロナ禍のような緊急事態に於いて、いきなり路頭に放り出された国民は、世の中が再び安定を取り戻すまでの間は、国が生活を補償すべきである。当面は大胆な自立支援策を講じて、日本政府は国民の生命財産を護るべきである。戦力の逐次投入の失敗の歴史を繰り返してはならない。

大混乱の最中(さなか)にあっても、歴史を俯瞰すると、世の中の実相が見えてくるものである。「コロナ禍」と「無能・売国・不作為という政治禍」は、敗戦後75年もの長きに亘って「奴隷の平和」に慣れきって、安穏(あんのん)と暮らしてきた日本国民にとっては正に青天の霹靂(せいてんのへきれき)であった。疫病の蔓延については、歴史を顧みれば、人類は何回となく経験し克服してきた。凡そ100年前にも「スペイン風邪」という感染症の世界的大流行を経験している。実は「スペイン風邪」の時も今回の「COVID-19感染症」同様に日本国民の致死率は世界平均よりかなり低かったという実績を残している。世界の総人口を年代別に正確に推計するのは困難とされているが、手元の資料によれば1920年当時は凡そ18億6,000万人の総人口であったとされている。当時の感染者数は凡そ5億人、死亡者数は1,700〜5,000万人(致死率3.4%〜10%)であった。日本では1918〜1920年の年平均致死率は1.63%(内務省衛生局編「流行性感冒」)であった。当時の新聞にはマスク着用を奨励し、マスクを着用せずに公共交通機関を利用する行為を禁じるという政府のきついお達しが書かれていた。当時の先進国であった英仏独などより日本国民の衛生観念は高かった事実が垣間見える。

また、「ペスト」(黒死病)という感染症は、6〜8世紀、14〜15世紀、19世紀〜と何度も世界的に流行し、21世紀の現在も地域的に流行している。罹患者の凡そ22%〜30%の人々が命を落としたと推計されている。ペストの感染は近年まで続いており、2004〜2015年の11年間で世界で56,734名が感染し、死亡者数は4,651名(致死率8.2%)にものぼる。エイズウイルス・エボラ出血熱・SARS・MARSなども記憶に新しいし、蚊が媒介するマラリヤ原虫による感染症などは未だに熱帯地域で猛威をふるっている。そういう恐ろしい経験を活かして、二度と国民の命を危険に晒さないように「防疫体制」の構築を怠らない事は政治の責任である。然るに我が国の政治家(歴代自民党政権)には、全くそういう危機感が無かった。国民の防疫意識も無かったに等しい。それこそ、先に述べた「無能・売国・不作為という政治禍」の元凶であった。2019年9月、安倍首相は「限られた財源を賢く活用し、国民生活の質の向上を図る事が重要なポイント」などと発言し、全国に約13万床あるとされる過剰な病床削減の実行を加藤厚労相らに指示した。それから、5箇月後の今年2月、「COVID-19ウイルス」感染者の急増(第二波)に備え、全国の病院で病床数確保が懸念される中、信じ難い事に、安倍首相は「削減」指示を未だ撤回していない。厚労省も「今も変更する予定はない」(医政局地域医療計画課)と答えたという。全国民に外出自粛を押しつけながら、損失補償は一貫して出し渋る。「カネの削減ありき」の財務省主導の緊縮財政路線は医療現場にも多大な悪影響を及ぼし続けている。

各自治体にある保健所は、憲法第二五条で国が義務を負う「公衆衛生の向上及び増進」を担う公的機関の一つであり、毎年流行するインフルエンザや今回の「COVID-19」などの感染症の検査や対応も担っている。併し、1992年には全国852箇所に設置されていた保健所は、2019年には452箇所まで45%も減少している(「厚生労働白書」より)。安倍政権は運営費助成金を削減して自治体に保健所業務の一部を肩代わりさせると共に、保健所の広域化と統廃合、更に人員削減を断行し、地域住民の幅広いニーズに応える事を困難にした。コロナ禍への対応で保険助職員はオーバーワークで悲鳴をあげている。正に安倍政権が保険所を半減させたからである。また、日本の感染症対策の専門機関である国立感染症研究所でも、研究者が312人(2013年)から294人に削減され、そのうち任期付きが44人で常勤は3割程度(何と約7割が非常勤!)である。米国CDC(疾病対策センター)と比較すると人員は非常勤を含めても42分の1、予算は1077分の1という脆弱さである。国民に不自由な暮らしを強いながら、経済効率最優先主義を貫く安倍政権は防疫面で日本国の抵抗力を徹底的に奪ってきたのである。そして今尚 反省していない。安倍晋三という男は、口では色々と言い訳をしたり謝罪じみた事をいうが、間違いを認めて正す行為をこれまで一切していない。できない性格なのであろう。

国レベルでみても、厚労省職員の53%(3万4722人)が「病欠すると無給になる」という非常勤職員であり、他省庁と比べて非正規率が異様に高い。国家公務員は生活が安定していると多くの一般庶民は思い込んでいるが、政商 竹中平蔵に唆(そそのか)された小泉純一郎や安倍晋三という無能な宰相は自らが率いる行政府にまで非正規雇用を蔓延(はびこ)らせてきたのである。毎日のようにテレビカメラの前で繰り広げられる記者会見などで、大阪府の吉村洋文府知事の孤軍奮闘が際立っているように見えがちだが、彼が会長代行を務める大阪維新の会は、大阪府や大阪市の保健所や衛生研究所を「無駄なもの」と見做して統合・民営化しようとしてきた。個人的には吉村府知事は良く頑張っていると思う。過去はともかく間違いに気付いて必死に挽回しようと頑張っている姿は頼もしい。「小さい政府」「市場原理」の名の下に、国民の生命の安全を護る根幹である厚生行政、公衆衛生機関をコスト削減の対象としてきた事が、感染症などの危機にまともに対応できない日本の後進国化を促進してきたのである。19世紀 フランスの政治思想家トクヴィルは、「民主政治とは、多数派の世論による専制政治」だと喝破し、「その多数派世論を構築するのは新聞(現在のマスメディア)ではないか」との言葉を遺している。また「有権者は、しばしば不適切な統治者を選ぶ」とも述べている。正に現代の日本に当て嵌まる言葉である。

先の国政選挙では自由民主党がほぼ大勝したし、「COVID-19ウイルス大感染」を体験している現在も、有権者の約半数が安倍政権を支持していた。さすがに直近の内閣支持率は37%(5/18 NHK世論調査)と低下したようだが、支持不支持に関わらず日本国民は当分の間、安倍政権下での理不尽かつ過酷な生活を耐え忍ぶしかない。「コロナ禍」と「無能・売国・不作為という政治禍」も、日本国民自らの不見識が招いた結果…要するに自業自得である。特に欧米やロシアなど主に白人諸国では「COVID-19ウイルス大感染」被害の甚大さが深刻だが、現在はブラジルも酷い状況だという。世界中が「COVID-19ウイルス大感染」に見舞われながらも、何とか立ち上がろうと悪戦苦闘しているのである。そうしたなか、安倍政権のコロナ対策は、水際対策も、国内に多くの感染外国人を招き入れるなど、全てに於いて遅きに失し、見当外れに終始して、狼狽ぶりばかりが目立つが、当初から安倍首相自らがはっきりと経済的補償はしないと宣言していた。然も、国内に於ける感染者の多くが国籍不明だという。安倍政権が発する情報
には透明性が絶対的に欠如しているのである。この当事者能力なき冷酷且つ指導力無き政治スタイルは、批判を躱(かわ)そうとしている今も大して変わっていない。

日本政府の稚拙な防疫対策を見て、欧米諸国は懐疑的であり、見下してさえいる。併し、幾ら待っても東京都がNY化しない為か、今のところ相対的に被害を最小化できている日本社会の成果を欧米諸国は驚きをもって注視している。米外交誌フォーリン・ポリシー(電子版)は14日、「日本のコロナ対策は奇妙な成功を納めている」と皮肉っぽく論評した。満足な防疫対策も情報公開もできない中で、日本社会が欧・米・露・ブラジル及び中共やトルコ、イランのような大感染被害に至らないのは、日本人が伝統的に身に付けてきた衛生観念に起因するのは恐らく間違いないだろう。日本独自のこの成果を自らの政策の勝利だと安倍政権に勘違いされてはかなわない。この意見を「為にする批判」だという似非保守主義者は単なる馬鹿である。いったい何時まで安倍晋三に騙され続ければ目が醒めるのだろうか? 人命軽視の異形の大国中共や排外的秘密主義国イランなどは例外だが、東亜細亜の国々は元来こういった感染症にある程度の免疫性を保持しているのかも知れないし、海外の専門家は否定するが、BCGワクチンが「COVID-19ウイルス」への耐性を強化してくれているのかも知れない。特効薬やワクチン開発の成功を期待したいが、新薬は期待通りに開発できるとも限らないのが現実である。エイズウイルスの特効薬やワクチンが未だに開発されていない現実を忘れてはならない。

 安倍首相は5月14日、「新型コロナウイルス特措法」に基づき、47都道府県に発令した「緊急事態宣言」について、39県で解除すると表明した。現状のような有名無実ともいえる粗末な経済的補償しかするつもりがないなら、一刻も早く経済活動を再開するという方針に至るのは必然である。否、経済的補償なき一律自粛要請など元々あってはならない事であった。多くの経営破綻や大勢の失業者を出すのが分かっていながら、責任を伴わない「自粛要請」を出すなど為政者の犯罪行為に等しい。これに対して大きな抗議行動も起こさず、静かに従う日本国民は余りにも大人し過ぎる。これを以って日本国民の良き国民性と言って良いのだろうか? ここに至るまで安倍政権は、事ある毎に「専門家会議」なる自らが召集した胡乱(うろん)な集団の意思に従う発言を繰り返してきたが、「専門家会議」が出した結果を発表するだけなら政治家など要らない。専門家の意見を踏まえて政治決断するのが政治家の務めであろうに。安倍首相も西村経済再生相も度々、「今 専門家の方々に考えていただいている」とか「一定数」なる責任回避の発言に終始してきた。「COVID-19ウイルス感染症」については、この数箇月で様々な知見が明らかとなってきている。「高齢者がより重症化し易い、高齢者の方が若者より多くのウイルスを撒き散らす」等々も明らかとなった知見の一部である。こういった事実を鑑みるに、既にこの点に着目した政策を実行している国がある事は見逃すべきではない。その国とはスウェーデンである。
 
 スウェーデンのCOVID-19ウイルス感染症対策については「賛否両論」があるのは充分承知しているが、私が知り得た事実は日本にとって多くの示唆に富むものである。一般的に言われているように、スウェーデンが「集団免疫」を目指しているというのは間違いである。「集団免疫」とは、感染症に対して多くの人が免疫を持つと、やがて免疫を持たない人に感染が及ばなくなるという考えである。「COVID-19ウイルス」では1人の感染者が2〜3人にウイルスを伝搬させると言われている。この流行を終息させる為にもし人口の60〜70%の人に「COVID-19ウイルス」の免疫力がつけば、1人から1人しか感染者を出す事ができなくなり、やがて流行は終息していくという理屈である。当初、ドイツのメルケル首相や、英国のジョンソン首相はそれを念頭に置いた発言をしていた。その通り英国では最初は緩やかな行動制限を求めた。ジョンソン首相自らが感染した事がきっかけかも知れないが、「COVID-19ウイルス」が、このまま急速に感染拡大すればイタリアと同じような医療崩壊を招く事が必至となると分かり、厳格な行動制限へと転換したと考えられる。併し、世界各国が厳しい都市封鎖を決断したのとは対照的に、スウェーデンは、都市封鎖や一律的自粛要請よりずっと経済的打撃の少ない政策をとった。死亡者の約50%が高齢者施設の入所者で、約80%が65歳以上の高齢者である事から、70歳以上の高齢者のみに自宅待機と他の人との交流を避けるよう要請したのである。また、子供の死者が出ていない為、小中学校は閉鎖せず、一般店舗やレストラン及び大半の事業者の営業を認めた。スウェーデンを代表する自動車産業のボルボも一時閉鎖しただけで直ぐ操業を開始させた。従って、スウェーデンでは、諸外国のように厳格な都市封鎖や、一律的に補償無き自粛要請をした日本のように大量の失業者を出さずに済んでいる。
 
 併し、スウェーデンのコロナ対策が万全だと言うつもりはない。示唆に富む部分があると言いたいだけだ。最近では「COVID-19ウイルス」感染症により毎日10数人の死者を出しているというが、スウェーデン公衆衛生局でコロナ対策を主導する疫学者のアンダース・テグネルは「現在の政策は非常に効果があり、これからも継続させるつもりである」と強気だ。同意しかねるのは、スウェーデンでは、カフェやパブなどで自由に人と交流し、ハグやキスをして、他の人のグラスから酒を回し飲みしたり、唾を飛ばすほど互いに大声で会話をしている事だ。日本人から見れば無防備過ぎる嫌いはある。これでは感染者や死亡者は増えて当たり前である。日本が学ぶべき点があるとしたら、「高齢者に他者との接触の自粛を求め、比較的抵抗力のある若者や働き盛りの人々には経済活動を続けてもらう事であり、学校なども休校する必要はないという事だろう」。勿論、感染者が出た場合は休業や休校をして更なる感染を喰い止めるのは当然である。濃厚接触はできる限り避け、西洋風のソーシャル・ディスタンスなど真似せずとも伝統的に日本人が守ってきた人との間合いを守り、マスク着用や手洗いの習慣や毎日入浴をし、掃除を頻繁にする習慣を今までのように続けるだけで良い。食の欧米化に歯止めを掛け和食の良さを再認識して日本ならではの健康的な食文化を護る事も重要である。「COVID-19ウイルス」に肥満や喫煙は大敵である。飲食店や酒場などで横並びに座れなど愚の骨頂である。だいいち西洋風のソーシャル・ディスタンスでは今まで成り立っていた商売も成り立たなくなってしまう。対面で座っても良いし、座席を2mも離さなくても良い。飲食店や酒席では唾を飛ばすような従来のような会話を避け、話す時は手で口を覆うなどちょっとした工夫をすれば良い。厚労省が公表した「新しい生活様式」には何の科学的根拠もない事は、自分の頭で考えれば明らかである。
 
 本来なら、8割の接触削減ではなく、100%削減を努力目標として徹底的に人との接触を避け、経済活動も全面的に休止できれば、それに越した事はなかった。その代わり、国は徹底的に国民生活を経済的に補償する。それを2〜3箇月続けてから、徐々に従来の生活に戻る。キャバクラや風俗店など濃厚接触を禁じたら立ち行かない職業はなくしてしまえば良いが、そこに就労している国民には転職できるまで国が生活の面倒を見る必要がある。国家の責務とは「国民の生命財産を護り抜く」事であるからだ。その為には赤字国債を100兆円でも200兆円でも発行すれば良い。その程度で日本国はびくともしない。寧ろ、海外から防疫対策の稚拙さを指摘されたり、情報公開の閉鎖性を指摘されたり、この騒動で顕在化した社会のデジタル化の後れ、そして三権分立を揺るがす内閣による検察庁への人事介入から始まったスキャンダルなどが、今まで培ってきた日本国の国際的信用を毀損してしまった事が痛恨の外交的失敗である。韓国で曹国(そうこく=チョグク)法相辞任問題という事件が起きたのは記憶に新しい。文在寅(ぶんざいえん=ムンジェイン)韓国大統領が自分のシンパである曹国を法相に据えたのが司法の独立を否定するとして韓国民の大反対に遭ったという事件である。民主主義の根幹とも言える三権分立を揺るがす大問題であった。韓国では歴代の大統領の殆んどを悲惨な末路が待ち受けているから、文在寅は自分の行く末の安泰を図ったのだろう。安倍晋三は文在寅と同じ動機で検察庁人事に手を付けようとしたが、黒川検事長の自滅スキャンダルでこの自己保身人事は突然幕引きとなった。モリ・かけ・桜…などで司法の裁きに引き摺り出される可能性を恐れての自己保身なら許される事ではないが、こういう韓国並みのスキャンダルが国際社会から見てどれほど日本の信用を貶めたかと考えると安倍政権の罪は限りなく深く、取り返しのつかない失態である。諸外国から先進国だと信じられていた日本の民主主義は呆れるほどの未熟性を曝け出してしまったのである。「有事に強い円」という神話が、今や崩れ去ろうとしているのである。世界的パンデミックの状況下で円の価値が高まらないのは、金利が低いからではないのかも知れない。

国内問題としては、 「コロナ禍」と「為政者の無能さ」「国際的信用の毀損」以外に、日本国民が目を向けるべき大問題が山ほどある。「コロナ禍」の最中(さなか)、国会では重要法案である「種苗法改正」法案が満足な審議もされずに、国民を陽動作戦で煙に巻くように、殆んど秘密裡に立法化されそうになったが、すんでのところで法案不成立となった。マスメディアは「コロナ禍」の恐怖を煽り立て、「内閣の検察庁への人事介入」一色で大騒ぎしていたが、何故か「種苗法改正」という悪法については殆んど報道しなかった。マスメディアが一つの話題で染まっている時は、必ず何か裏がある。「種苗法改正」については女優の柴咲コウがTweetで反対したのが大きかった。影響力高い彼女の慧眼と勇気に感謝したい。併し、自民党の売国体質を考えると安心は禁物である。自民党は「種苗法改正」という売国法案成立を決して諦めてはいないだろう。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のが日本国民の悪い癖だが、この悪法については引き続き目を光らせておくべきだろう。「種苗法改正」以外にも危うい法案が国民の知らぬ間に国会を通過した。「郵政民営化法等の一部を改正する等の法律(法律第30号)」、「社会保障制度改革推進法(法律第64号)」、「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律等の一部を改正する法律案(第174回国会提出閣法第60号)に対する修正」、「国民年金法等の一部を改正する法律等の一部を改正する法律案(第180回国会提出閣法第26号)に対する修正」、「財政運営に必要な財源の確保を図るための公債の発行の特例に関する法律案(第181回国会提出閣法第1号)に対する修正」…
 特に最後の「財政運営に必要な財源の確保を図るための公債の発行の特例…」については、「コロナ禍 」での財政支援に制限を加えようとする財務省のドケチ政策のあらわれであり、今それを通すか?と呆れるしかない。
 
 コロナ禍の最中(さなか)であり、明日何がどうなるか分からない状況では、次回のテーマを予告するのは難しいが、可能な限り、今後も安倍政権の売国政策を個別具体的に解説し、間に合うものなら法案撤回の民意を喚起していきたい。今の読者数では何をどう発信しようと日本社会の在り方は何も変わりはしないだろうが、まあ、暇な時間を無為に過ごすより思うところを忌憚なく発信した方が精神衛生上好ましいと考える。反対意見の方も、共感して頂ける方も、できれば今後も当ブログを読んでいただきたい。