島野りおう誕生までのエピソード今回は高校から大学入学までをご紹介します。
高校は、当初家から通える高校への進学を考えていたところ、
父親から岡山県の作陽高校を勧められ一緒に見学。
「優れた指導者いる」「ゴルフ場が近い」など
環境に恵まれていることが決め手となって入学を決意しましたが、
親元を離れた寮生活でとことんゴルフや自分と向き合うことになった
この選択が、結果として大正解
息子のゴルフの才能を見出して厳しい環境に送り出したご両親、さすがです。
勉強の成績が良く特待生だったことも親思いの島野プロらしいエピソード。
ちなみに岡山の作陽高校と言えば、
渋野日向子が全英女子オープンで優勝して一躍有名になりましたが、
渋野プロは島野プロの3年後輩。
それまでは先輩として当たり前のように「しぶのぉ!」と呼んでいたようですが、
「現在ならなんて呼ぶ?」の問いに「しぶのぉ!さんっかな」と
厳しい実力の世界を感じさせる返答
当時のゴルフ部員30人(そのうち同期は8人)。
入学時はそのほとんどが将来プロを目指していたはず。
でも実際プロとなったのは島野プロただ一人。厳しい現実…
高校卒業後は「今度こそ自宅から通えるところへ!」と
近畿大学へ特待生として進学。親孝行っぷりは相変わらず。
ここで、仲間達と切磋琢磨して腕を磨いた島野プロ。
大学時代は、「授業よりも練習場のボール拾い優先」
「食事の際、後輩は先輩のコップの水が半分以下になったら即満タン」
他数々の「THE体育会ルール」に理不尽さを感じることもあったそう
ちなみに、最上級生となった4回生の時にそのいくつかのルールを廃止したんだって。
さすがです、島野プロ
OBとなった今でも、時間がある時はコーチとして後輩指導にも携わり、
1回生の時指導を受けた淀高和監督(現在西日本セブンスリーゴルフクラブを
運営するオオヨドコーポレーションのオーナー)とは現在でも
たま~に一緒にラウンドする間柄。
また、2回生から指導を受けた安田雅樹監督(現在大阪府交野市の交野カントリーの
キャディマスター)のご縁で交野カントリーでキャディのアルバイトをするなど
近大学時代に出会った人とのつながりは深い。
キャサリンとの出会いのきっかけになったしおの接骨院院長も近畿大学出身。
高校もそうだけど、大学選びも大正解と妙に納得のキャサリン
《ご参考》
西日本セブンスリーゴルフクラブ http://www.seven-three.co.jp/
交野カントリー倶楽部 http://www.katanocc.co.jp/
次回は、島野りおう誕生まで 大学時代からプロテスト合格までその①をご紹介します。
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