ハチミツとクローバー 10巻セット羽海野 チカ集英社このアイテムの詳細を見る |
映画、アニメに続いて、テレビドラマ化されることになった『ハチミツとクローバー』(羽海野チカ)、本日午後9時よりフジテレビ系列で放送されます。
ハチミツとクローバー公式サイト
紹介しておいて言うのも何ですが、キャスティングはいろいろ微妙……はぐちゃんの成海さんはなかなかいい感じですが、イケメンな竹本とか「儚げ」に見えない理花さんっていうのがどうもねえ……
キャラクター相関図を見ても、そんなキャラクター出てた?っていう人がいたり、教授を出すなら、森田のせいで苦労の絶えない老教授だろう、とかね。
映画版キャスティングがかなり良かっただけに(あちらでも理花さんは……だったけど)、何かと不安や不満が先行してしまいます。
まあ、原作のあるものが100パーセントそのイメージ通りなんてことはあり得ないし、人それぞれ受け取り方も違うのは当然なので、上述したようなことは「現時点での自分の感じ方」に過ぎません。それをいい方に裏切ってほしいものです。
自分にとってその「いい方」の好例が、映画版の森田役、伊勢谷友介でした。童顔じゃないし、性格も、また自らの「天才性」への対し方さえも、原作とはかなり異なるにも関わらず、全体として「森田」だとしか言いようがない存在になっていたんですよ。あれを観て、伊勢谷友介という俳優への興味が俄然湧いて来たほどです。
さて、この先は原作ネタバレ。未読の方は回避願います。
原作終盤の「あの展開」は、読者の間で驚きや不満、失望の声が渦巻き、物議を醸すこととなりましたが、自分自身も、このモヤモヤ感は何だろうかといろいろ考えていた訳です。「あの二人」が親類であることや年齢差のことだけでは説明できない違和感とは何なんだろう、と。
しかし、先日、或る(マンガや映画のジャンルではない)サイトさんで、思いがけずこのことについての感想を目にすることがあって、そこで拝見したご意見が、非常に当を得ていると思いました。
それは、このマンガの主な女性キャラクターの誰一人として「愛する人」と結ばれた訳ではなく、「支えてくれる人」を得ただけだ、ということです。
ああそうか、そうだよね、と納得しました。
彼女たちそれぞれ、一見収まるべき所に収まったかに見えて、決してハッピーエンドではない。と言って、そういう苦さを描きたかったという訳でもなさそうで、それらすべてを「切なさ」という言葉だけで包括してしまうのは如何なものなんでしょうね。
特にはぐちゃんについては、彼女の根幹をなしているはずの「才能」を奪い、言わばその翼をもいでまで、誰かに守られ支えられ庇護される存在にしてしまう必要があったのか、大いに疑問です。
竹本とも森田とも、もちろん「修ちゃん」ともくっつかず、一人の芸術家として自立する方向に持って行くことは出来なかったのか、と思います。原作終了とほぼ同時期の公開となった映画版には、ややそれに近い方向性が感じられました。
ドラマの方で、それをどう納得できる形にしてくれるのか、その点には注目したいです。