
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』に於けるダニエル・デイ=ルイスの演技を観て感じたことの付け足し。
と言っても、理論的な話ではなく、きわめて個人的な感想なので、わかり易くお伝えするのは難しいと思います。適当に読み流して下さい。
ここで、近頃の彼はまるで、天才と呼ばれた指揮者カルロス・クライバーみたいな存在になりつつあるのではないか、と書きました。
しかし、あの映画及び彼の演技から受けた衝撃は、クライバーの指揮による演奏に対して感じるのとは、また異質のものです。
観終えた(聴き終えた)後、暫く立ち上がれなくなるほどの衝撃。この感じは何なのかずっと考えて、ようやく気づきました。
あれはフルトヴェングラーです。ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」。それも世評高い戦後のバイロイト盤(1951)ではなく、1942年3月のいわゆる戦時下録音。あの鬼気迫る演奏に感じた衝撃と共通する何かが、そこにはありました。
ご参考までに、「フルトヴェングラーの第9」に対する自分の感想はこちらです。
但しその「何か」は、ダニエル・デイ=ルイスの演技それ自体に在るものではなく、私の感覚や感情の中にしか存在し得ないものかも知れません。そもそもクラシック音楽の演奏と映画に於ける演技とを比較すること自体ナンセンスな話ですが、とにかく「それ」を目に(耳に)する前には二度と戻れない。そういう領域の「何か」を、私は感じたのでした。
もちろん好き嫌いはあるでしょう。ダニエル・デイ=ルイスにしてもフルトヴェングラーにしても「ああいうのは嫌い」な人がいて当然だと思います。
しかしこれは、「アナタの好き嫌いとその演技(または演奏)と、いったい何の関係があるんだ?」という領域の話でもあります。あれらは既に次元の違う「何か」です。それを目に(耳に)した者は、ただひれ伏すが良い。さもなくば黙って立ち去れ──
そんなアブナイことを口走りたくなるほど、あの作品に於けるダニエルの演技は超絶的だったと言いたい訳です。
![]() | ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱》/序曲《コリオラン》/シューベルト:交響曲第9番《ザ・グレート》[第2世代復刻]フルトヴェングラー(ヴィルヘルム)|ベートーヴェン,ブルーノ・キッテル合唱団|ベートーヴェン/シューベルト|ブリーム(ティラ)/ヘンゲン(エリザベート)/バツケ(ルドルフ)/アンダース(ペーター)/ブルーノ・キッテル合唱団,アンダース(ペーター),シューベルト|ブリーム(ティラ),ヘンゲン(エリザベート),バツケ(ルドルフ)delta classicsこのアイテムの詳細を見る |
と、ここまで絶賛しておいて何ですが、以前からネタにしていた昨年度ベルリン国際映画祭のプレスカンファレンス画像を紹介しておきましょう。まずこちら。
監督とポール・ダノくんのテケトーな(?)服装に較べて、ダニエル先生の何やらアサッテの方向に気合いのはいったスタイルがたまりません

ジャケットの下のシャツはこうですからねー

本当に「アメリカ」を誤解してるかおちょくってるかしてませんか?