ときどき一時
『300』豪公開とそろそろクランクイン予定の『オーストラリア』関連で、豪でのメディア露出が増えているデイヴィッド・ウェナムさん。
幾つかの雑誌にもお目見えしています。
まず当ブログ3/20付記事でもちらっと触れた『FILM INK』ですが、「ココナッツ」さんでスキャンしてくれています。あちらの3/30付記事からどうぞ。
昨年12月、彼が審査員として出席したマラケシュ国際映画祭の話題に、かなりのスペースを割いていますが、よく読むと、このインタビュー自体が現地で行なわれたようです。
今になって判ったこともいろいろあって、その一つが、パートナーのケイトさんとお嬢ちゃんもマラケシュに同行していたこと。
先日紹介したサンデー・テレグラフのインタビューで語っていた、「仕事で海外に行く時もできるだけ家族と一緒に」を実践していたんですね。
でも、ご自身は審査員として朝から晩まで映画づけだったようだし、一緒に遊んだりお出かけする時間はあったのかしら。
また、審査委員長ロマン・ポランスキー監督(『水の中のナイフ』『チャイナタウン』『戦場のピアニスト』etc.)の話を聞くことで、触発される部分も多かったようです。
審査員の立場で映画を観ることで、実際に現場にいるより、多くのことをずっと手早く学べるとか。
また、マラケシュへ行っていた頃、デイヴィッドはLAからオーストラリアに戻って、また数日のうちにすぐ旅立ったので、ひどい時差ぼけに悩まされていたそうですが、そんな彼にポランスキー監督はコーラを買って来てくれたり、いろいろ親切にしてくれたようです(笑)。審査員団もあまり意見が割れることなく和やかだったみたいですね。当時の画像を見ても、皆さん仲良さそうでした。
でも、何しろあちらはフランス語圏だし、言葉にはちょっと苦労したのかな。
例によって大家族での少年時代から、演劇学校(Theatre Nepean)にはいった頃のことも語っています。
デイヴィッドのお父さんって会計士さんだったんですね。ヒュー・ジャックマンのお父さんも会計士ですが、これってやはり「堅実な職業」の代表みたいなものなんでしょうか。
そして、彼の経歴に触れる時には、必ず「NIDA(National Institute for Dramatic Art=国立演劇学校)に落ちた」話がついて回るんですね。
もっともそれは、「NIDAの不名誉」みたいなニュアンスで語られることが多いですが。
その演劇学校時代、学費の足しにするため行なっていたバイトについて。
ビンゴ・コールの仕事はファンの間では有名ですが、その他、デパートの食器売り場の売り子さんとか、グレイハウンド(社)トラックのカメラマン(って具体的に何をするんでしょう?)とか、hay carter とかもしたそうです。
この hay carter って、農場とか牧場とかで、藁を荷車に乗せて運ぶバイトってことでいいんでしょうか?とにかくこれは、あまりに暑くて一週間と保たなかったそうです。
訂正:これもF様のご指摘により、上記アンダーライン部に相当する「greyhound track」とは、「ドッグレース」のことであると判明しました。「グレイハウンド」で、すぐ有名なバス会社が頭に浮かんでしまったのですが、本当にワンちゃんのことだったんですね。
F様、重ねてありがとうございました。
その頃から温めて来た、デイヴィッド主演の舞台劇『The Boys』(邦題『ダウン・アンダー・ボーイズ』)の映画化までの話も面白いです。
彼も、ロバート・コノリー(この作品に於いてはプロデューサー)など仲間たちも、それが舞台の単なる「映像化」ではなくて、ちゃんと「映画」にしなくては意味がないと思っていたということとか。
確かに映画の方は、時間軸を解体した後で、それが「ゼロ時間」へと向かうように再構成されていました。
この辺りの話や、舞台と映画との違いについては、日本のファンサイトさんで、幾つかのすぐれた考察がなされています。
俳優としては、次第に舞台より映画出演の方に比重がかかるようになって来たけれど、それでも2年ごとくらいに舞台の仕事もしていると言うデイヴィッド。
豪国内の映画では主演俳優として優れた仕事もしていますが、自分自身では、やはりキャラクター・アクターだと、ずっと思っているそうです。
そして、ハリウッドでも次第に性格俳優として確かな評価を築きつつあると。
『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズでファラミア役にキャスティングされたのは、ボロミア兄上ことショーン・ビーン氏に「鼻の大きさが似ていたから」という、おなじみの話も……
ご本人、そんなにこのネタが気に入ってるんでしょうか?
また、迷走中の『ホビット』監督問題についても、なぜか意見を求められて、コメントできるほど情報を得ていないとしつつも、「PJが監督するのが当然だと思う」と述べています。
性格俳優(つまり一つの作品に於いては印象的な脇役)の困った点とは、大きいプロダクションだと、「共演者」と言っても全く会えなかった人がいることだ、という話も面白いですね。
『The Proposition』では、原作・脚本・音楽担当、と言うより、このプロジェクトの中心的存在だったニック・ケイブと会う機会がなかったのが残念だと言っています。
「(いろいろな作品では)実際には十日くらいしか撮影現場に行かないこともあるしね」
『300』について。
出演を決めた時には、原作もブルースクリーン撮影だということも全然知らなかったという、いつもの話が出て来ます。
「(契約後に)撮影はモントリオールで5ヶ月間行なわれることが判ったんだ。間もなく冬にはいったらマイナス20度にもなるような所でだよ。それからフランク・ミラーの原作を買ってみたら、僕の役の初登場シーンはヌードで、次のシーンでは革パンだけだった。もういきなりパニックだよ」
それで、ザック・スナイダー監督から電話があった時、上記のような懸念をあれこれ問い質したそうです。
「彼、10分くらい大笑いしてたよ。それから言ってくれた。『いやいやいや、撮影はスタジオでするんだ。首まで雪に埋もれる心配なんてないよ』って。」
ブルースクリーン撮影自体はそれほど大変ではなかった、という話も既に何回か聞いていますが、フランク・ミラーが300人のスパルタンの物語を描こうと思ったきっかけは1962年の映画『スパルタ総攻撃』だったと、彼自身から聞いたという一件は興味深いですね。
余談ですが、『スパルタ総攻撃』についてはこちらもどうぞ。『300』や『ラストサムライ』に言及したレビューが載っています。
また、アイラ・サッチス監督(こんな表記でいいのかしら)ピアース・ブロスナン主演『Married Life』についても、ちょっと言及しています。
以前聞いた話では、彼の役は「作家」でしたが、今回は「詩人」になっています。ブロスナン氏やパトリシア・クラークソンさんとの絡みもあるようです。
でもこの映画、一体いつ公開されるんでしょう?
さて、マラケシュにいる間に、オーストラリアでは Australian Film Institute Awards 授賞式が行なわれ、デイヴィッドはTVのミニシリーズ『Answered by Fire』で、TV部門主演男優賞を受賞しました。
ビデオレター等で「今夜は出席できなくてごめんなさい」とかメッセージを寄せたりしないんですか?という問いに対しては、
「いや、それだとまた長くなるからね。授賞式には時間がかかり過ぎる。だから、そこにいない人間はいない人間っていうことで(笑)」
審査員を務めるにはタイミングが悪かったのでは?という言葉にも、
「これも運命だよ。いつだって何かしら機会を逃すことはあるもんだ。オーストラリアン・ルールズ(・フットボール)のファンとしては、グランド・ファイナルを見逃して残念だとか」
と答えています。
一方でデイヴィッドは、オーストラリア映画・TV業界の環境が年々厳しくなって行っている現状を憂慮しています。
たとえばABC放送では、3年前には(週あたり?)50~60時間あったドラマ枠が、現在は何と10時間にまで落ち込んでいることなど。
「ドラマ制作の現場は、クルーが仕事を学ぶ場でもあったんだ。映画の仕事をしたいと望む人間が、フィルムスクールにもはいれず、ショートフィルムを作る機会も奪われて、どうやって技術を伸ばして行けると思う?
これからのことについて、もうちょっと楽観的に考えたいけれど。(作品の)質はまだ保たれていると思う。問題は量の方で、それにはいろいろ異なる要因があるんだろう」
それでもオーストラリアで仕事することへの情熱は失っていない、と語るデイヴィッドには、これからバズ・ラーマン監督の『オーストラリア』が控えている訳ですが、この記事でもやはり、自ら監督する側に回りたいという希望を述べています。
ロバート・コノリーがプロデューサーを買って出ているというこのプロジェクト、最近になってあちこちで語っているところを見ると、実現の可能性はかなり高いということでしょうか。この記事では「あと数年の内には」と言い、4/5付「デイジーデイジー・199」で紹介したサンデー・テレグラフのインタビューでは、「早ければ今年中にも」などと言っていますが……
その欲求が高まったのは、良い監督または悪い監督たちと仕事して来たことによるのか?という問いに対しては、
「実際のところ、どちらも少しずつその理由となっている。良い監督は自分も監督したいという意欲をかき立ててくれるし、悪い監督の振舞いを見ていると、ただもう、自分ならこうするのに、というフラストレーションが溜まるんだ。このタイプの監督と仕事をして最も腹立たしいのは、その映画の出演者それぞれの可能性や潜在能力を引き出してくれないこと。それがいちばん嫌だ。誰であれ、せっかくの機会を無駄にするのは見たくない。その人の最良のものを見せてほしいんだ」
──インタビューの大意はこんな感じでした。
ところで、このインタビュー、タイトルが「The Boy Next Door」なんですが……
「Not the Boy Next Door」だったら、こういう人がいるなぁ、と思い出してしまいました
デイヴィッド・ウェナムの記事が掲載されている最近の雑誌と言うと、eBay にこういうものが出ています。
Suday Herald Sun 誌の4月号ですが、インタビューの内容は、上でもちらっと触れた、サンデー・テレグラフの「Star of David」と同じみたいですね。
それにしても、こちらの表紙ではなぜかピアノの上に座っているデイヴィッド。
ピアノに乗る男と言ったら、やっぱりこの人ですが、上記のようなデイジー画像やタイトルで、私に何をさせようと言うのかオーストラリア?と思います
『300』豪公開とそろそろクランクイン予定の『オーストラリア』関連で、豪でのメディア露出が増えているデイヴィッド・ウェナムさん。
幾つかの雑誌にもお目見えしています。
まず当ブログ3/20付記事でもちらっと触れた『FILM INK』ですが、「ココナッツ」さんでスキャンしてくれています。あちらの3/30付記事からどうぞ。
昨年12月、彼が審査員として出席したマラケシュ国際映画祭の話題に、かなりのスペースを割いていますが、よく読むと、このインタビュー自体が現地で行なわれたようです。
今になって判ったこともいろいろあって、その一つが、パートナーのケイトさんとお嬢ちゃんもマラケシュに同行していたこと。
先日紹介したサンデー・テレグラフのインタビューで語っていた、「仕事で海外に行く時もできるだけ家族と一緒に」を実践していたんですね。
でも、ご自身は審査員として朝から晩まで映画づけだったようだし、一緒に遊んだりお出かけする時間はあったのかしら。
また、審査委員長ロマン・ポランスキー監督(『水の中のナイフ』『チャイナタウン』『戦場のピアニスト』etc.)の話を聞くことで、触発される部分も多かったようです。
審査員の立場で映画を観ることで、実際に現場にいるより、多くのことをずっと手早く学べるとか。
また、マラケシュへ行っていた頃、デイヴィッドはLAからオーストラリアに戻って、また数日のうちにすぐ旅立ったので、ひどい時差ぼけに悩まされていたそうですが、そんな彼にポランスキー監督はコーラを買って来てくれたり、いろいろ親切にしてくれたようです(笑)。審査員団もあまり意見が割れることなく和やかだったみたいですね。当時の画像を見ても、皆さん仲良さそうでした。
でも、何しろあちらはフランス語圏だし、言葉にはちょっと苦労したのかな。
例によって大家族での少年時代から、演劇学校(Theatre Nepean)にはいった頃のことも語っています。
デイヴィッドのお父さんって会計士さんだったんですね。ヒュー・ジャックマンのお父さんも会計士ですが、これってやはり「堅実な職業」の代表みたいなものなんでしょうか。
そして、彼の経歴に触れる時には、必ず「NIDA(National Institute for Dramatic Art=国立演劇学校)に落ちた」話がついて回るんですね。
もっともそれは、「NIDAの不名誉」みたいなニュアンスで語られることが多いですが。
その演劇学校時代、学費の足しにするため行なっていたバイトについて。
ビンゴ・コールの仕事はファンの間では有名ですが、その他、デパートの食器売り場の売り子さんとか、グレイハウンド(社)トラックのカメラマン(って具体的に何をするんでしょう?)とか、hay carter とかもしたそうです。
この hay carter って、農場とか牧場とかで、藁を荷車に乗せて運ぶバイトってことでいいんでしょうか?とにかくこれは、あまりに暑くて一週間と保たなかったそうです。
訂正:これもF様のご指摘により、上記アンダーライン部に相当する「greyhound track」とは、「ドッグレース」のことであると判明しました。「グレイハウンド」で、すぐ有名なバス会社が頭に浮かんでしまったのですが、本当にワンちゃんのことだったんですね。
F様、重ねてありがとうございました。
その頃から温めて来た、デイヴィッド主演の舞台劇『The Boys』(邦題『ダウン・アンダー・ボーイズ』)の映画化までの話も面白いです。
彼も、ロバート・コノリー(この作品に於いてはプロデューサー)など仲間たちも、それが舞台の単なる「映像化」ではなくて、ちゃんと「映画」にしなくては意味がないと思っていたということとか。
確かに映画の方は、時間軸を解体した後で、それが「ゼロ時間」へと向かうように再構成されていました。
この辺りの話や、舞台と映画との違いについては、日本のファンサイトさんで、幾つかのすぐれた考察がなされています。
俳優としては、次第に舞台より映画出演の方に比重がかかるようになって来たけれど、それでも2年ごとくらいに舞台の仕事もしていると言うデイヴィッド。
豪国内の映画では主演俳優として優れた仕事もしていますが、自分自身では、やはりキャラクター・アクターだと、ずっと思っているそうです。
そして、ハリウッドでも次第に性格俳優として確かな評価を築きつつあると。
『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズでファラミア役にキャスティングされたのは、ボロミア兄上ことショーン・ビーン氏に「鼻の大きさが似ていたから」という、おなじみの話も……
ご本人、そんなにこのネタが気に入ってるんでしょうか?
また、迷走中の『ホビット』監督問題についても、なぜか意見を求められて、コメントできるほど情報を得ていないとしつつも、「PJが監督するのが当然だと思う」と述べています。
性格俳優(つまり一つの作品に於いては印象的な脇役)の困った点とは、大きいプロダクションだと、「共演者」と言っても全く会えなかった人がいることだ、という話も面白いですね。
『The Proposition』では、原作・脚本・音楽担当、と言うより、このプロジェクトの中心的存在だったニック・ケイブと会う機会がなかったのが残念だと言っています。
「(いろいろな作品では)実際には十日くらいしか撮影現場に行かないこともあるしね」
『300』について。
出演を決めた時には、原作もブルースクリーン撮影だということも全然知らなかったという、いつもの話が出て来ます。
「(契約後に)撮影はモントリオールで5ヶ月間行なわれることが判ったんだ。間もなく冬にはいったらマイナス20度にもなるような所でだよ。それからフランク・ミラーの原作を買ってみたら、僕の役の初登場シーンはヌードで、次のシーンでは革パンだけだった。もういきなりパニックだよ」
それで、ザック・スナイダー監督から電話があった時、上記のような懸念をあれこれ問い質したそうです。
「彼、10分くらい大笑いしてたよ。それから言ってくれた。『いやいやいや、撮影はスタジオでするんだ。首まで雪に埋もれる心配なんてないよ』って。」
ブルースクリーン撮影自体はそれほど大変ではなかった、という話も既に何回か聞いていますが、フランク・ミラーが300人のスパルタンの物語を描こうと思ったきっかけは1962年の映画『スパルタ総攻撃』だったと、彼自身から聞いたという一件は興味深いですね。
余談ですが、『スパルタ総攻撃』についてはこちらもどうぞ。『300』や『ラストサムライ』に言及したレビューが載っています。
また、アイラ・サッチス監督(こんな表記でいいのかしら)ピアース・ブロスナン主演『Married Life』についても、ちょっと言及しています。
以前聞いた話では、彼の役は「作家」でしたが、今回は「詩人」になっています。ブロスナン氏やパトリシア・クラークソンさんとの絡みもあるようです。
でもこの映画、一体いつ公開されるんでしょう?
さて、マラケシュにいる間に、オーストラリアでは Australian Film Institute Awards 授賞式が行なわれ、デイヴィッドはTVのミニシリーズ『Answered by Fire』で、TV部門主演男優賞を受賞しました。
ビデオレター等で「今夜は出席できなくてごめんなさい」とかメッセージを寄せたりしないんですか?という問いに対しては、
「いや、それだとまた長くなるからね。授賞式には時間がかかり過ぎる。だから、そこにいない人間はいない人間っていうことで(笑)」
審査員を務めるにはタイミングが悪かったのでは?という言葉にも、
「これも運命だよ。いつだって何かしら機会を逃すことはあるもんだ。オーストラリアン・ルールズ(・フットボール)のファンとしては、グランド・ファイナルを見逃して残念だとか」
と答えています。
一方でデイヴィッドは、オーストラリア映画・TV業界の環境が年々厳しくなって行っている現状を憂慮しています。
たとえばABC放送では、3年前には(週あたり?)50~60時間あったドラマ枠が、現在は何と10時間にまで落ち込んでいることなど。
「ドラマ制作の現場は、クルーが仕事を学ぶ場でもあったんだ。映画の仕事をしたいと望む人間が、フィルムスクールにもはいれず、ショートフィルムを作る機会も奪われて、どうやって技術を伸ばして行けると思う?
これからのことについて、もうちょっと楽観的に考えたいけれど。(作品の)質はまだ保たれていると思う。問題は量の方で、それにはいろいろ異なる要因があるんだろう」
それでもオーストラリアで仕事することへの情熱は失っていない、と語るデイヴィッドには、これからバズ・ラーマン監督の『オーストラリア』が控えている訳ですが、この記事でもやはり、自ら監督する側に回りたいという希望を述べています。
ロバート・コノリーがプロデューサーを買って出ているというこのプロジェクト、最近になってあちこちで語っているところを見ると、実現の可能性はかなり高いということでしょうか。この記事では「あと数年の内には」と言い、4/5付「デイジーデイジー・199」で紹介したサンデー・テレグラフのインタビューでは、「早ければ今年中にも」などと言っていますが……
その欲求が高まったのは、良い監督または悪い監督たちと仕事して来たことによるのか?という問いに対しては、
「実際のところ、どちらも少しずつその理由となっている。良い監督は自分も監督したいという意欲をかき立ててくれるし、悪い監督の振舞いを見ていると、ただもう、自分ならこうするのに、というフラストレーションが溜まるんだ。このタイプの監督と仕事をして最も腹立たしいのは、その映画の出演者それぞれの可能性や潜在能力を引き出してくれないこと。それがいちばん嫌だ。誰であれ、せっかくの機会を無駄にするのは見たくない。その人の最良のものを見せてほしいんだ」
──インタビューの大意はこんな感じでした。
ところで、このインタビュー、タイトルが「The Boy Next Door」なんですが……
「Not the Boy Next Door」だったら、こういう人がいるなぁ、と思い出してしまいました
デイヴィッド・ウェナムの記事が掲載されている最近の雑誌と言うと、eBay にこういうものが出ています。
Suday Herald Sun 誌の4月号ですが、インタビューの内容は、上でもちらっと触れた、サンデー・テレグラフの「Star of David」と同じみたいですね。
それにしても、こちらの表紙ではなぜかピアノの上に座っているデイヴィッド。
ピアノに乗る男と言ったら、やっぱりこの人ですが、上記のようなデイジー画像やタイトルで、私に何をさせようと言うのかオーストラリア?と思います