昨日の「大楠山」を越えて浦賀水道側に下ると、もう富士山も矢倉岳も見ることが出来ない。だが、その二つの山を結んだ線上に「走水」があり、そこに「走水神社」が鎮座する。
当ブログとあわせて、以下の走水神社公式ホームページもご覧ください。
御祭神は言うまでもなく、日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)だ。
〈 其れより入り幸でまして、走水海を渡りましし時、其の渡の神浪を興し船を廻らして、得進み渡りたまはざりき。爾に其の后、名は弟橘比売命白したまはく、「妾、御子に易りて海に入らむ。御子は遣はさえし政を遂げて覆奏したまふべし」とまをしたまひて、海に入りまさむとする時、菅畳八重・皮畳八重・絁畳八重を波の上に敷きて、其の上に下り坐しき。是に其の暴浪自ら伏ぎて、御船得進みき。(日本古典文学全集 古事記 上代歌謡 小学館)〉
〈 さらに相模においでになって、上総に渡ろうとされた。海を望んで大言壮語して、「こんな小さい海、飛び上がってでも渡ることができよう」といわれた。ところが海中に至って暴風が起り、御船は漂流して進まなかった。そのとき皇子につき従ってきた妾があり、名は弟橘媛という。穂積氏忍山宿禰の女である。皇子に申されるのに、「いま風が起こり、波が荒れて御船は沈みそうです。これはきっと海神のしわざです。賤しい私めが皇子の身代りに、海に入りましょう」と。そして、言い終わるとすぐ波を押しわけ海におはいりになった。暴風はすぐに止んだ。船は無事岸につけられた。ときの人はその海を名づけて馳水という。(全現代語訳 日本書紀 上 宇治谷孟 講談社学術文庫)※2023/06/21追記〉
高所作業車で電柱のメンテナンス作業中の方が写っているが、ご容赦ください。
階段を上りながら振り返って見ると、浦賀水道を挟んで千葉県富津市が見えた。高い構造物は「富津火力発電所」だろうか。
距離的には近いようだが、潮流の速い浦賀水道を渡るというのは難所だけに・・・。
本殿の更に上には三社が祀られていた。そこから海を望む。港は「防衛大学校 走水海上訓練場」。
神明社(天照大御神 あまてらすおおみかみ)
須賀神社(須佐之男命 すさのおのみこと)
諏訪神社(建御名方神 たけみなかたのかみ))
これで一つのミステリーは終わる。網羅するには至ってないが、この富士山と矢倉岳を結ぶ線上とその周辺には、日本武尊と弟橘媛命にかかわるものが多い。それは後付けされたこともあるかもしれないが、それにしてもなぜだろうか?
追記(2023/06/21)
私が2009年冬に、実際に撮影しながら移動した場所は神奈川県内のみである。しかし当時、資料を調べて千葉県側にも所縁の地が見つかった。現在もその場をこの目で確認はしていないので、ここから先は資料から幾つかを抜粋しておく。興味のある方は訪れてみてほしい。
● 千葉県君津市「マザー牧場」近くの「鹿野山白鳥神社」「元白鳥神社 日本武草薙」は、富士山と矢倉岳を結んだ延長線上に位置する。
白鳥神社 - 君津市公式ホームページ (kimitsu.lg.jp)
● 千葉県で富士山と矢倉岳を見ることが出来るか、というと、私は別件で東京湾岸を移動して撮影した際 ※、富津岬先端の展望台から富士山を見たことがある。箱根外輪山も望め、その一角に埋もれて見辛い状態だったが、矢倉岳と思われる山影も見た。そのことから、ますます富士山と矢倉岳と、日本武尊所縁の地の関係になにかあると思えるのだ。
また、千葉県からの富士山眺望の画像はアナログ撮影のため、ファイルからの捜索に時間が掛かると思われる。取り急ぎ、以下リンク先の画像をよく見ると、矢倉岳らしき山影を確認出来る。
東京湾に突き出た千葉県富津岬、富士山も見える絶景ポイント - Japan Travel Planner - ANA
● 「古船浅間神社(千葉県富津市鶴岡)」は浅間神社ということから富士山、即ち御祭神は「木花開耶姫命」である。地図を探せば、房総半島にも幾つかの浅間神社の名が見つかる。直接的に日本武尊と弟橘媛命に結び付きはしないが、千葉から眺める富士山の景色に感慨を与える。富士山は、いつの時代もランドマークだったはずだ。
※ 別件撮影は【個展「東京湾・際に立つ」コニカプラザ(新宿)1998年】の作品撮影だった。それは浦賀水道と東京湾の波打ち際に立ち、海側と陸側を撮影して一組とする作品で、【かなわがアートアニュアル 2001 神奈川県民ホールギャラリー 2001年】でも展示した。この作品については、いずれデジタル化するかもしれない。
そして富士山と矢倉岳には、もう一つのミステリーがある。次回からは矢倉岳に関する古い話を少し紐解きながら、足柄平野の一部を歩いてみた記録を発表しようと思う。
次回に続く。
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