前述したとおり、孤発性アルツハイマー病の発症リスク、80歳を過ぎてから、急激に上昇します。欧米のベータでは、80歳で四人に一人が罹患しています。100歳では実質的に10人中9人が影響を受けているという報告もあります。この数字は、アルツハイマー病が特殊な疾患でなく、かなり一般的な意味での脳老化の行き着く先であることを示唆します。老人斑や神経線維変化などの代表的神経病理を有しながらも認知能力が健常な方はいますが、認知症の潜伏期間にある可能性が高いと考えてよいと思います。
また、1990年代以降に正常な老化と認知症の中間的な状態として、軽度認知障害(MCI:Mild Cognitive Impairment〉)という概念が確立されました。厳密には、主に記憶力に異常があるかないかに分類されますが、ここでは前者を軽度認知障害として取り扱います。軽度認知障害は、健常老人と比較して明確な記銘力(特にエピソード記憶)の低下が認められます。
しかし、判断力などの総合的認知能力が正常範囲にあるため、認知症と診断されるほどに重症ではなく、日常生活や、ある程度の社会生活を送ることはできます。この軽度認知障害は、アルツハイマー病に移行する確率が健常者の10倍以上高く、また、老人斑(Aβ蓄積)や神経原線維変化(タウタンパク質蓄積)や神経変性などの病理像においても、多くの場合に正常老化とアルツハイマー病の中間に位置することが分かってきました。
以上のことは、多くの人々が正常の老化過程で脳内にAβの蓄積を開始し、その量があるレベルを超えたところで、軽度認知障害を経てアルツハイマー病に移行することを意味します。このように考えると、これまで正常の老化の範囲で考えられてきた加齢に伴う神経機能の低下(例えば軽度認知障害と認められない程度の記憶力の低下)の一部は、Aβ蓄積に起因する可能性があります。事実、アルツハイマー病のモデルマウスでは、Aβが蓄積すると神経原線維変化がないにもかかわらず、認知症の低下が認められます。
健常な人間でも、個人差は大きいのですが、40代から80代にかけてAβの蓄積がはじまります。以上のことを考慮すると、あくまで正常の範囲での中年以降の物忘れ(人の名前が出てこない等の記憶障害)も実はAβ蓄積が原因である可能性が浮上してきます。これは、「超軽度認知障害」と称することができます。加齢に伴うAβ蓄積を抑制することができれば、この超軽度認知障害を制御することも可能になります。これは、認知症を予防するだけでなく、正常老化過程の認知能力低下をコントロールすることを意味しますから、冒頭で述べた「脳老化制御学」の対象となると私は考えています。