鎌倉文学館にて開催中の「太宰治 vs 津島修治」展。
太宰治という人間のおもしろさを再発見できる展覧会です。
太宰治は高校生のときに『斜陽』を読んでピンとこないまま、ほとんど関心を抱かずに過ごしてきたのですが、最近になって読んでみた『お伽草紙』や『家庭の幸福』、『右大臣実朝』が抜群におもしろかったので、自分のなかではかなり気になる作家にランクアップしていました。
おまけに、高橋源一郎監修の展覧会だということで、かなり楽しみに足を運んだのですが、期待にたがわぬ充実度でした。
もっとも、太宰治の人生についてはごく限られた情報しか知らず、ファンの方には当たり前のこともまったく知らない状態で行きましたので、その点は悪しからずご了承ください。
展覧会は、「津島修治の文学」「太宰治の文学」という二部から構成されています。
「津島修治の文学」では、作家とその故郷である津軽との関係を軸に、作家になる以前の「津島修治」のおいたちから青年期、作家デビューから晩年にいたるまでの作家と津軽とのかかわりにスポットをあてます。
ここで一番目をひいたのが、太宰治の油絵。
わたしが行ったときには肖像画が2点、風景画が1点、水仙を描いた作品が1点の計4点が展示されていました(すべて個人蔵)。
肖像画はドイツ表現主義を思わせる、鮮やかな黄色や緑を効果的に使った大胆な筆致で描いてあります。こういうタッチだと、かなり絵心がないとぐちゃぐちゃになってしまい、人の顔だかなんだかわからなくなってしまいがちなのですが、そうはならないところがさすがです。
(太宰治 『自画像』 1947年頃 油彩 ※青森県立美術館HPより引用 この作品はわたしが行ったときには展示されていなかったのですが、図録には掲載されていました)
風景画も、あまり考えこまずにさっさと描いたような印象を受けるのですが、構図も形のとらえ方もぴしっと決まっていて、筆の運びにも迷いがなく、なかなかのものです。
(太宰治 『風景』 1940年頃 油彩 ※青森県立美術館HPより引用)
そして水仙を描いた習作がまた、筆の運び方に驚くほど迷いが感じられず、色彩感覚も素人くささがありません。
なにより、どの作品も肩の力が抜けていて、かつ独特の味わいがあるのに驚かされました。
そもそも太宰治が油絵を描いていたということも知らなかったのですが、お兄さんの一人が東京美術学校(藝大の前身)に進んでおり(若くして亡くなったそうです)、太宰自身も絵画に造詣が深く、同時代の画家との交流も盛んだったそうです。
2009年の生誕100年の際には、青森県立美術館で「太宰治と美術-故郷と自画像」
という展覧会も開催されており、この展覧会のプレスリリースが太宰と美術との関係をわかりやすくまとめていますので、ぜひご一読ください。
作家と美術との関係といえば、夏目漱石や川端康成がすぐに思い浮かびますが、太宰治の美術とのかかわりもなかなか深そうです。なんといっても、絵心はピカ一ではないかと思いました。
第二部の「太宰治の文学」では、『右大臣実朝』『人間失格』、遺作となった『グッド・バイ』などの生原稿などが展示されており、「作家・太宰治」の油の乗った時期の作品が紹介されます。
しかし、なんといってもやはり度肝を抜かれたのは、芥川賞を切望する太宰治が、第三回芥川賞(昭和11年=1936年)選考の際、選考委員の一人である川端康成にあてた手紙です(これも太宰治を論じるにあたっては有名なもののようですが、わたしはお恥ずかしながらはじめて知りました)。
そもそも第一回芥川賞(昭和10年=1935年)落選のときに、川端から「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった」と書かれたことに対して、強烈な反発の文章(青空文庫で読めます)を書いて発表したという前歴があるなかで、
「困難の一年で ございました
死なずに 生きとほして来た
ことだけでも ほめて下さい」
とか書くあたり……。
しかもこの手紙、消した跡も見当たらず(よく見ればあるのかもしれませんが)、あまり迷いなく書かれた印象を受けます。
字も妙にひよっていて(原稿や書簡の字とちょっと違うようです)、文章や単語の途中で妙な空白があったり、文章も詩的というかなんというか……、味はあるのですが、なんだか「不思議ちゃん」な手紙です。
ぜひ、生でご覧ください。
ちなみに、このときも芥川賞はもらえずに終わり失意のどん底を経験したようですが(第一回受賞作品は石川達三の『蒼氓』、第三回は小田嶽夫の『城外』と鶴田知也の『コシャマイン記』)、その後結婚をへて生活が安定し、次々と作品を世に出していった様子が数々の原稿とともに紹介されます。
展覧会では、かなりたくさんの自筆原稿、写真が展示されており、見ごたえがあります(図録は図版の収録点数もかなり豊富で、よくまとまっています。800円)。
なかでも、女性遍歴を重ねた太宰が奥さんや子どもと写っている写真が思いのほか幸せそう(奥さんも)なのが、印象的でした。
特に、死の2か月前、長女と次女とともに撮った写真の笑顔を見ると、「どうしてその後ああなっちゃうのかな」、ととまどいをおぼえます。
なにかこう、一筋縄ではいかない多面性を今更ながら感じました。
ところで、会場では太宰グッズとして「しおり」が売られていまして、太宰治が晩年住んだ三鷹のおうちの表札がそのまましおりになっています。
(しおりの表)
(しおりの裏には太宰治の著作の引用)
お菓子のふたを利用して書いたという表札。なかなか味があります。
今回、この記事を書くのに何度も「味がある」という表現をつかってしまいましたが、太宰治の魅力を一言で言うと「味がある」につきるのかなあと、噛めば噛むほど味があり、また時期によっていろいろな味がするのでは、とファンでもないくせに生意気ですが、そのように思っております。
というわけで、展覧会を見終わるころにはもっと太宰に対する興味がわいてくるのですが、でも、『人間失格』まではまだ踏み込めないんですよね。
腰抜けで、すみません。
薔薇園でも有名な鎌倉文学館。
梅雨の合間、旧前田侯爵家別邸だった建物も、ひときわ鮮やかに緑に映えます。
太宰治展は7月7日(日)まで。
文学館の緑の深さに都会の憂さもしばし忘れることができるかもしれません。
ぜひ、足をお運びください。
太宰治という人間のおもしろさを再発見できる展覧会です。
太宰治は高校生のときに『斜陽』を読んでピンとこないまま、ほとんど関心を抱かずに過ごしてきたのですが、最近になって読んでみた『お伽草紙』や『家庭の幸福』、『右大臣実朝』が抜群におもしろかったので、自分のなかではかなり気になる作家にランクアップしていました。
おまけに、高橋源一郎監修の展覧会だということで、かなり楽しみに足を運んだのですが、期待にたがわぬ充実度でした。
もっとも、太宰治の人生についてはごく限られた情報しか知らず、ファンの方には当たり前のこともまったく知らない状態で行きましたので、その点は悪しからずご了承ください。
展覧会は、「津島修治の文学」「太宰治の文学」という二部から構成されています。
「津島修治の文学」では、作家とその故郷である津軽との関係を軸に、作家になる以前の「津島修治」のおいたちから青年期、作家デビューから晩年にいたるまでの作家と津軽とのかかわりにスポットをあてます。
ここで一番目をひいたのが、太宰治の油絵。
わたしが行ったときには肖像画が2点、風景画が1点、水仙を描いた作品が1点の計4点が展示されていました(すべて個人蔵)。
肖像画はドイツ表現主義を思わせる、鮮やかな黄色や緑を効果的に使った大胆な筆致で描いてあります。こういうタッチだと、かなり絵心がないとぐちゃぐちゃになってしまい、人の顔だかなんだかわからなくなってしまいがちなのですが、そうはならないところがさすがです。
(太宰治 『自画像』 1947年頃 油彩 ※青森県立美術館HPより引用 この作品はわたしが行ったときには展示されていなかったのですが、図録には掲載されていました)
風景画も、あまり考えこまずにさっさと描いたような印象を受けるのですが、構図も形のとらえ方もぴしっと決まっていて、筆の運びにも迷いがなく、なかなかのものです。
(太宰治 『風景』 1940年頃 油彩 ※青森県立美術館HPより引用)
そして水仙を描いた習作がまた、筆の運び方に驚くほど迷いが感じられず、色彩感覚も素人くささがありません。
なにより、どの作品も肩の力が抜けていて、かつ独特の味わいがあるのに驚かされました。
そもそも太宰治が油絵を描いていたということも知らなかったのですが、お兄さんの一人が東京美術学校(藝大の前身)に進んでおり(若くして亡くなったそうです)、太宰自身も絵画に造詣が深く、同時代の画家との交流も盛んだったそうです。
2009年の生誕100年の際には、青森県立美術館で「太宰治と美術-故郷と自画像」
という展覧会も開催されており、この展覧会のプレスリリースが太宰と美術との関係をわかりやすくまとめていますので、ぜひご一読ください。
作家と美術との関係といえば、夏目漱石や川端康成がすぐに思い浮かびますが、太宰治の美術とのかかわりもなかなか深そうです。なんといっても、絵心はピカ一ではないかと思いました。
第二部の「太宰治の文学」では、『右大臣実朝』『人間失格』、遺作となった『グッド・バイ』などの生原稿などが展示されており、「作家・太宰治」の油の乗った時期の作品が紹介されます。
しかし、なんといってもやはり度肝を抜かれたのは、芥川賞を切望する太宰治が、第三回芥川賞(昭和11年=1936年)選考の際、選考委員の一人である川端康成にあてた手紙です(これも太宰治を論じるにあたっては有名なもののようですが、わたしはお恥ずかしながらはじめて知りました)。
そもそも第一回芥川賞(昭和10年=1935年)落選のときに、川端から「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった」と書かれたことに対して、強烈な反発の文章(青空文庫で読めます)を書いて発表したという前歴があるなかで、
「困難の一年で ございました
死なずに 生きとほして来た
ことだけでも ほめて下さい」
とか書くあたり……。
しかもこの手紙、消した跡も見当たらず(よく見ればあるのかもしれませんが)、あまり迷いなく書かれた印象を受けます。
字も妙にひよっていて(原稿や書簡の字とちょっと違うようです)、文章や単語の途中で妙な空白があったり、文章も詩的というかなんというか……、味はあるのですが、なんだか「不思議ちゃん」な手紙です。
ぜひ、生でご覧ください。
ちなみに、このときも芥川賞はもらえずに終わり失意のどん底を経験したようですが(第一回受賞作品は石川達三の『蒼氓』、第三回は小田嶽夫の『城外』と鶴田知也の『コシャマイン記』)、その後結婚をへて生活が安定し、次々と作品を世に出していった様子が数々の原稿とともに紹介されます。
展覧会では、かなりたくさんの自筆原稿、写真が展示されており、見ごたえがあります(図録は図版の収録点数もかなり豊富で、よくまとまっています。800円)。
なかでも、女性遍歴を重ねた太宰が奥さんや子どもと写っている写真が思いのほか幸せそう(奥さんも)なのが、印象的でした。
特に、死の2か月前、長女と次女とともに撮った写真の笑顔を見ると、「どうしてその後ああなっちゃうのかな」、ととまどいをおぼえます。
なにかこう、一筋縄ではいかない多面性を今更ながら感じました。
ところで、会場では太宰グッズとして「しおり」が売られていまして、太宰治が晩年住んだ三鷹のおうちの表札がそのまましおりになっています。
(しおりの表)
(しおりの裏には太宰治の著作の引用)
お菓子のふたを利用して書いたという表札。なかなか味があります。
今回、この記事を書くのに何度も「味がある」という表現をつかってしまいましたが、太宰治の魅力を一言で言うと「味がある」につきるのかなあと、噛めば噛むほど味があり、また時期によっていろいろな味がするのでは、とファンでもないくせに生意気ですが、そのように思っております。
というわけで、展覧会を見終わるころにはもっと太宰に対する興味がわいてくるのですが、でも、『人間失格』まではまだ踏み込めないんですよね。
腰抜けで、すみません。
薔薇園でも有名な鎌倉文学館。
梅雨の合間、旧前田侯爵家別邸だった建物も、ひときわ鮮やかに緑に映えます。
太宰治展は7月7日(日)まで。
文学館の緑の深さに都会の憂さもしばし忘れることができるかもしれません。
ぜひ、足をお運びください。
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