3.探訪レポート
2021年7月20日(火)
この日の探訪箇所
稚児塚古墳 →
富山市考古資料館 →
王塚古墳および各願寺 →
勅使塚古墳 →
富崎墳墓群 →
富崎千里古墳群 → 勝興寺(越中国府跡) →
柳田布尾山古墳および古墳館 → 桜谷古墳群 → 越中国分寺跡
稚児塚古墳を見に少し東へ行ってしまったので、西に戻って富山市考古資料館で、市内の遺物をチェックしてから本格的な下見活動を始めようと思います。
※註:本レポートは少し長いので気合を入れて読んでください。
到着しました。
この佇まいは期待できそうです。
経験上、こういう雰囲気の「昔ながらの郷土資料館」みたいなところは面白い場所が多いのです。
ちなみに「富山市民俗民芸村」といういくつかの施設が集まった中に「考古資料館」があり、私的には今日は考古資料館一本に絞って来ています。
考古資料館のみの見学であれば、入館料は100円です。
旧石器時代から順番に解説されるオーソドックスな展示方法のようですね。
最近の新しい博物館などは演出に凝った施設もあってそれはそれで楽しいのですが、こういう展示が一番落ち着きます。
富山市の地形ジオラマが壁にあります。
こういうの大好き。
かつての潟湖の名残である富山新港と、富山湾にそそぐ神通川、それに神通川右岸に発達した富山市街と北東方向に延びた呉羽丘陵があります。
神通川とその東には、常願寺川と白岩川。
先ほど訪れた稚児塚古墳は右下のほうです。
そしてこれから行く予定の王塚・千坊山遺跡群とその北側周辺。
つづいて各時代の地形の展示がありますが、古墳時代の海岸線はこの通りです。
先ほどのジオラマでも出てきた富山新港の周辺には大きな潟湖がありますが、こういうのは古代人が好きな地形で、古代から栄えていたことが想像できます。
では、旧石器時代の遺物展示を見ましょう。
おっと、いきなり凄いものが!
杉谷G遺跡出土のチョッパーですが、チッパーと呼ばれる石器は非常に古くて、私たちホモサピエンスではなく、違うホモ属(ホモハイデルベルゲンシスなど)の系統の石器と考えられないことはないでしょうか?
これは帰宅してから調べないと。
局部磨製石斧も古い石器です。
詳しい知識はありませんが、石の雰囲気が今まで関東などで散々見てきたものと違います。
続いて縄文時代に行きますよ。
土偶ちゃん大集合!
この中から未来の土偶界を担うスターを探してみましょう。
古沢遺跡からは多くの土偶ちゃんに来ていただいています。
それ以外の遺跡からも各遺跡から選抜されてきた精鋭が揃っていますよ。
お、古沢遺跡から来たあなたいいですね。
寄り目がちなところがとてもチャーミングで、かつ文身の模様がドラえもんのひげのようになっていて素敵ですね。
鏡坂Ⅰ遺跡のキミも可愛いね。
古沢遺跡のキミはちょっと狂暴そうだ。
こちらも古沢遺跡から来てくれましたが、クマちゃんみたいな顔でいいよ。
というか、むしろコアラさん?
耳には穴が開いているのかな?
あなたは亀ヶ岡文化の影響をもろに受けちゃっていますね。
流行に敏感なのはいいですが、迎合するよりオリジナルで行こうよ。
なお、水橋館町地内出土ということですがレプリカです。
土偶ちゃんは以上ですが、富山の土偶ちゃんたちも充分に全国で活躍できるポテンシャルを持っていると感じました。
おや、こういうのは秋田でも見ましたよ。
「三角とう形土製品」といって、杉谷遺跡出土です。
日本海側ではこういったものを使う文化圏が形成されていたのでしょうか。
こちらは笛状土製品ということで、穴が開いているのが確認できますが実際に音が鳴るんでしょうか?
古沢遺跡は土偶の出土も多そうですが、こういった物も出ているということは、古沢遺跡ではマジカルな「祭祀ワールド」が展開していたのかもしれません。
そしてお待ちかねの土器です。
開ヶ丘狐谷Ⅲ遺跡出土の中期の深鉢。
下半分が見つかっていないのでしょうか?
蜆ヶ森(しじみがもり)貝塚の土器群。
小さくても縄文が丁寧に施されています。
小竹貝塚。
こちらも小さいですが、植物で編んで造った容器をイメージしているのでしょうか。
お、またもや古沢遺跡ですね。
大きく広がったシャープな感じの口縁部がカッコいい。
小竹貝塚の遺物としては、レプリカですが人骨ちゃんもあります。
なんでも「ちゃん」を付ければ可愛くなるとでも思っているのか。
というか、頭蓋骨ちゃんだな。
展示してあるのは1号人骨ですが、28号人骨を復顔するとこの通り。
なかなか素敵な男性ですが、こんな感じの友達が昔いたような気がする。
縄文人の復顔を見るとなんとなくどの顔も似ているような気がしますがどうでしょうか。
小竹貝塚は、日本海側最大の貝塚と言われ、木製の盾が出土したことでも有名です。
つづいて弥生時代に入りました。
千石町遺跡出土の弥生時代の甕。
おー、方形周溝墓をこういうふうに見せている場所は初めてかもしれません。
杉谷A遺跡の方形周溝墓ですが、この方形周溝墓の場合は、土壙は地下にあるタイプですね。
周溝に収められた土器も再現されています。
底部穿孔土器です。
刷毛目がタテ、ヨコ、そして斜めにも入っておりいいですねえ。
墓に供える土器はわざを底に穴をあけることがあって、古墳にも初めの頃は埴輪ではなく底部穿孔土器が並べられたケースもあります。
素環頭鉄刀。
素環頭鉄刀について熱く語っているところが良い!
富山市考古資料館のいいところは、各遺跡ごとにこのような詳しい解説があるところです。
説明文は変にビギナー向けにへりくだっておらず、マニアが喜びそうな内容になっています。
ビギナーであっても是非ともこれくらいの内容は理解できるようになっていただければ、遺物鑑賞や遺跡めぐりはさらに楽しくなりますよ。
素晴らしい朱塗りの長頸壺。
江代割(えいだいわり)遺跡出土の器台。
器台や高坏は正直、私は外見的な面白味を感じないのですが、この地域のものは装飾が凝っていて美しい。
丸い穴を多く開けるのもポイントですね。
これも朱塗り。
色が褪せている感じの部分が本物のパーツですよ。
あと、この地方は丸いボタンみたいのを付けるのも好きみたいです。
押すと何かの機能が発動するかもしれませんよ。
杉谷4号墓(四隅突出型墳丘墓)の模型。
突出部が「しゃもじ形」とか「イチジク形」と呼ばれる形になっているのが特徴で、出雲のものよりふわっとした感じに仕上がっています。
越中のよすみは「ふんわり仕上げ」ですよ。
今回のツアーに関連する遺跡の説明が出てきました。
千坊山遺跡でもよい遺物が出ていますね。
畿内をはじめとする西日本の弥生時代の土器には面白味を感じることは少ないのですがが、富山は立派な「東日本世界」ということもあり、弥生土器も素晴らしい。
六治古塚墳墓も今回のツアーに関係する王塚・千坊山遺跡群を構成する遺跡の一つです。
鏡坂墳墓群出土の土器。
富崎墳墓群も、王塚・千坊山遺跡群に入っています。
これは、パップラドンカルメではありません。
これまた王塚・千坊山遺跡群の勅使塚古墳へはこのあと行きますよ。
古沢塚山古墳の説明ですが、こうやって見学者の好奇心を刺激するような説明の仕方も上手ですね。
太平洋側の前方後円墳の北限ということで、岩手県奥州市の角塚古墳と角塚と同時代の豪族居館跡が見つかった中半入(なかはんにゅう)遺跡が紹介されているのが嬉しい。
※角塚古墳(2019年4月28日撮影)
※中半入遺跡(2018年4月14日撮影)
おっと、ここでもう一つの展示ブースを見つけましたよ。
中に入ってみると、地元の研究家の方々が集めた考古遺物を展示してあります。
このような感じで郷土の考古学の発展に寄与した方々のプロフィールとコレクションが展示してあります。
ここでも出てきました。
そしてキノコ形土製品もあります。
いよいよもって北東北日本海側とのつながりが濃厚になってきましたね。
そしてこの栗山邦二さんのコレクションは圧巻の内容です。
まだ私は訪れたことのない飛騨の土偶。
似た系統の土偶ですが、いいですねえ。
これと飛騨のを比べると、飛騨のは身体の下の方をもいでいるようですが、もいだ断面も赤っぽくなっているため、もいだあとにも朱を塗るということもあったのでしょうか。
両手の造形はもともとこうなのでしょう。
顔らしい顔があったのかどうかなど、こちらの土偶は今まで調べたことが無いので今度調べてみます。
これはいい御物石器です。
なお、御物石器に関しては、別の場所にこのような役に立つ説明がありました。
三角石斧・・・
なんかこれいいなあ。
私にとっては新鮮だ。
これはなんと申して良いのやら。
いい具合ですが、それよりも「おいねずみ」って何ですか?
しかし良いものが揃っていますねえ。
石刀の模様や磨き具合も素晴らしい。
鏡坂Ⅰ遺跡出土の深鉢。
そして、個人的にはとんでもないものを見つけてしまいました!
こちらの土製品ですが、土版と呼ばれるものだと思います。
表面に丸く小さな穴が並んでいるのですが、その数を数えてみるとこのようになります。
これはまさかの!?
そうです。
秋田県鹿角市の大湯環状列石の隣にある大湯ストーンサークル館に行ったことがある方は、これを見たことがあると思います。
地元では、「どばんくん」と呼ばれています。
この遺物も表面に穴が開いていますが、穴の集まりを見ていくと、口みたいなのが「1」、目みたいなのが「2」というふうに、3、4、5とあり、裏側に6つの穴があるため、地元では「子供に数の数え方を教えるための知育玩具」説があるのです。
私もそういう発想は好きなのでその説はそれでいいと思いますが、これと同じものは日本中探しても無いと思っており、大湯ストーンサークル館の方と話しても同様に考えているようでした。
ところがいみじくも、今日は富山で類似品を見つけてしまったのです!
類似品というと怒られそうなのでやめた方がいいですが、もしかすると三角とう形土製品やキノコ形土製品も秋田と富山は共通しますから、東日本の日本海側各地の遺物を探せばもっと出てくるかもしれません。
これは凄い発見かもよ!
素晴らしい遺物展示はまだまだあります。
打出遺跡出土のこの三連壺も面白いですね。
もともとは赤彩されていました。
この古墳の編年表は便利だ。
というわけで、展示の見学が終わりました。
ザーッと見学して40分かかりましたが、丹念に見るなら1時間は欲しいですし、遺物を見て話しだしたらもっと時間が必要です。
ところで、ここは今度催行するクラツーのツアーには入れていないんですよね。
入れておけばよかった・・・
だけどツアーの場合は探訪箇所はある程度絞っておかないといけませんから仕方がないです。
もし個人的にどなたかをお連れすることがあれば、ここは絶対に案内したいです。
さて、今回解説してくださった「バン爺」です。
※註:これは人形というか置き物なので「解説してくださった」というのは真に受けないでください。
この方は凄い方なんですよ。
土人形は向かいの「とやま土人形工房」で販売しているとのことです。
富山考古資料館では、資料の販売もありますよ。
非常に充実した見学になりました。
つづいて、ツアーで訪れる予定の遺跡へ行きます。
⇒この続きはこちら
4.補足
5.参考資料
・現地説明板