今日は朝の2時からずっと歴史に集中できていて、いろいろと捗りました。
クラツーの来年3月以降の企画を新規で2本考えているのですが、そのうちの1本ができました。
今年の春に那須地方の古墳ツアーを発表したのですが、何としたことか、珍しく最少催行人数に達することがなく中止となりました。
私的には那須の古墳は超お勧めなので、そのリベンジの機会を伺っています。
次回、1月10日発行の「歴史への旅」では、私の古代史ツアーのうち、関東地方のツアーは「流域の古代史」というシリーズに再編を開始し、3月10日号で再編完了と考えています。
古代史はとくに河川の流域に各地の王様(首長)が勢力を張っていたので、多摩川とか相模川とか、そういった河川ごとにツアーをする予定です。
そのなかで、上述した那須地方は那珂川の流域になるのですが、那珂川は茨城県を流れて太平洋に注いでいます。
1月10日号では「流域の古代史」シリーズで那珂川をやろうと思い、その企画を本日考えていたわけです。
ただ、茨城県の北部や栃木県の北部(つまり那珂川流域)は、関東でもやや遠いので、1泊2日のツアーとします。
ですので、参加してくださる方からすると少しハードルが高くなってしまい申し訳ないです。
というわけで、どんなツアーになるかは、来年まで楽しみにしていてくださいね。
では、信州・甲州の古代史探訪の続きをお届けします。
⇒前回の記事はこちら
松本市立考古博物館の見学を終え時計を見ると12時半を過ぎています。
もうお昼ですが、昨日ショッキングなことがあったため今日は食欲がありません。
実は朝起きたときはテンションが低かったのですが、こういう時こそ少し無理してでも出かけたほうがいいと思って、雷電號を走らせてきました。
私にとっては車の運転はときにストレス解消になります。
すでに午前の行程は終わりましたが、やはり古墳は楽しいですね。
徐々に調子が戻ってきましたよ。
でもお腹は空かない・・・
朝から何も食べていませんが、このまま甲斐国へ移動します。
※結局この日は帰宅後にゼリー飲料を1個飲んだだけでビールも飲まずに終わりました
それでは、ようやくここから本来の目的である「ツアーの下見」に移行しますよ。
松本ICから長野自動車道に乗り、岡谷JCTから中央道へ入り、諏訪湖の湖畔を走り抜け、しばらく進んで甲斐国へ侵入です。
八王子市民の私は信州へ行ったときは甲州まで戻ってくると家の近くまで帰ってきたなと思います。
甲府南ICで降りると山梨県立考古博物館はすぐ近くにありました。
ここまで1時間15分の移動時間でした。
考古博物館の裏手には銚子塚古墳があり、そこもツアーの行程に含まれていますが、まずは博物館から見学しますよ。
入館料を支払い中に入ると、縄文土器がお出迎えです。
笛吹市一の沢遺跡出土の中期の深鉢です。
いいねえ。
重要文化財ですよ。
こちらも同遺跡同時代の遺物ですが、随分とデザインが違いますね。
流線形が素晴らしい。
おー、各時代の土器がズラーッと並んでる!
草創期はありませんが、早期から前期。
中期。
中期は豊富ですね。
まだ続きますよ。
そして後期と晩期。
こういう古い順(編年順)に見れる展示って大好き。
あ、可愛らしい土偶。
こちらも一の沢遺跡出身で、「いっちゃん」と言うそうです。
縄文時代の顔の造形(土器の把手に顔が付いていたりもする)は、このように目が切れ長になっているものをよく見かけるのですが、いっちゃんは優しい目をしています。
なぜか、眺めていると涙が出そうになります。
こちらは同じような説明が松本市立考古博物館でもありましたね。
縄文人はだいたい5~6歳までの子供は「神の子」として考えていたようです。
縄文時代は現代では考えられないほど、子供を産むのも育てるのも大変だったと想像でき、縄文時代の1万年以上の間、人口は右肩上がりに増加していったわけではないようです。
それがお米を食べるようになって(つまり稲作が導入された弥生時代になって)人口増加率は上がったらしいです。
おっ、土偶ちゃんたち大集合!
この土偶は耳飾りをしていますね。
女性4人組と言えばSPEEDか、いやMAXか?
女性2人組と言えばピンク・レディーか?
3人組ならキャンディーズでしょうか?
だんだん古くなっていってそのうち本当に縄文時代まで遡りそうな勢いですが、こちらの3人組は実は縄文時代の土偶ではないのです。
弥生時代の容器型土偶といって、弥生時代前期末から中期前半という短期間に東海から東北南部で造られたもので、現在は30余個しか見つかっていない大変珍しいものなのです。
いやー、甲斐は我が家からそれほど遠い場所ではないですが、異文化って感じがして楽しいです。
お、この遺跡見に行きたい!
方形周溝墓がこんなにたくさん復元されているとは!
元の遺跡はこんな感じ。
「方形周溝墓er」にとっては堪りませんね。
あ、「ホーケーシューコーバー」なんて人、聴いたことないですね。
※後日註:上の平遺跡はこの翌年探訪しました(⇒探訪レポートはこちら)
おっとー、ここにもありました!
バーン!
ババーン!
東海系土器です!
ひゃー。
ふぁー。
S字甕ですよ!
口縁部がS字になってるでしょ?
しかしこれほど大々的に展示しているとは予想もしていませんでした。
ありがたい・・・
この古墳の編年も分かりやすくていいですね。
郡内は古墳少ないんですね。
信茂さまーっ!
これはメロンパンでもチョコに抹茶フレーバーがコーティングされたものでもありません。
勇気を出してこのボタンを押してください。
ほら、開いた。
古墳の横穴式石室を説明しているんですね。
展示はまだまだ、国分寺や古代寺院、そして中世以降と続きますが、今日は時間の都合でここまで見て終了とします。
あれ、企画展やってる。
火焔型土器ではなく、水煙文土器ですか?
安道寺遺跡出土の中期の土器。
こちらはこの後訪れる予定の釈迦堂遺跡から出土したものですね。
重要文化財です。
面白いですねえ。
縄文時代中期の編年の表も便利ですね。
今日は時間の都合で30分ほどでササっと見ましたが、やはり最低でも1時間は欲しいですね。
ここはクラツーのお客様もきっと喜びますよ。
つづいて銚子塚古墳を見に行きます。
⇒このつづきはこちら
クラツーの来年3月以降の企画を新規で2本考えているのですが、そのうちの1本ができました。
今年の春に那須地方の古墳ツアーを発表したのですが、何としたことか、珍しく最少催行人数に達することがなく中止となりました。
私的には那須の古墳は超お勧めなので、そのリベンジの機会を伺っています。
次回、1月10日発行の「歴史への旅」では、私の古代史ツアーのうち、関東地方のツアーは「流域の古代史」というシリーズに再編を開始し、3月10日号で再編完了と考えています。
古代史はとくに河川の流域に各地の王様(首長)が勢力を張っていたので、多摩川とか相模川とか、そういった河川ごとにツアーをする予定です。
そのなかで、上述した那須地方は那珂川の流域になるのですが、那珂川は茨城県を流れて太平洋に注いでいます。
1月10日号では「流域の古代史」シリーズで那珂川をやろうと思い、その企画を本日考えていたわけです。
ただ、茨城県の北部や栃木県の北部(つまり那珂川流域)は、関東でもやや遠いので、1泊2日のツアーとします。
ですので、参加してくださる方からすると少しハードルが高くなってしまい申し訳ないです。
というわけで、どんなツアーになるかは、来年まで楽しみにしていてくださいね。
では、信州・甲州の古代史探訪の続きをお届けします。
* * *
⇒前回の記事はこちら
松本市立考古博物館の見学を終え時計を見ると12時半を過ぎています。
もうお昼ですが、昨日ショッキングなことがあったため今日は食欲がありません。
実は朝起きたときはテンションが低かったのですが、こういう時こそ少し無理してでも出かけたほうがいいと思って、雷電號を走らせてきました。
私にとっては車の運転はときにストレス解消になります。
すでに午前の行程は終わりましたが、やはり古墳は楽しいですね。
徐々に調子が戻ってきましたよ。
でもお腹は空かない・・・
朝から何も食べていませんが、このまま甲斐国へ移動します。
※結局この日は帰宅後にゼリー飲料を1個飲んだだけでビールも飲まずに終わりました
それでは、ようやくここから本来の目的である「ツアーの下見」に移行しますよ。
松本ICから長野自動車道に乗り、岡谷JCTから中央道へ入り、諏訪湖の湖畔を走り抜け、しばらく進んで甲斐国へ侵入です。
八王子市民の私は信州へ行ったときは甲州まで戻ってくると家の近くまで帰ってきたなと思います。
甲府南ICで降りると山梨県立考古博物館はすぐ近くにありました。
ここまで1時間15分の移動時間でした。
考古博物館の裏手には銚子塚古墳があり、そこもツアーの行程に含まれていますが、まずは博物館から見学しますよ。
入館料を支払い中に入ると、縄文土器がお出迎えです。
笛吹市一の沢遺跡出土の中期の深鉢です。
いいねえ。
重要文化財ですよ。
こちらも同遺跡同時代の遺物ですが、随分とデザインが違いますね。
流線形が素晴らしい。
おー、各時代の土器がズラーッと並んでる!
草創期はありませんが、早期から前期。
中期。
中期は豊富ですね。
まだ続きますよ。
そして後期と晩期。
こういう古い順(編年順)に見れる展示って大好き。
あ、可愛らしい土偶。
こちらも一の沢遺跡出身で、「いっちゃん」と言うそうです。
縄文時代の顔の造形(土器の把手に顔が付いていたりもする)は、このように目が切れ長になっているものをよく見かけるのですが、いっちゃんは優しい目をしています。
なぜか、眺めていると涙が出そうになります。
こちらは同じような説明が松本市立考古博物館でもありましたね。
縄文人はだいたい5~6歳までの子供は「神の子」として考えていたようです。
縄文時代は現代では考えられないほど、子供を産むのも育てるのも大変だったと想像でき、縄文時代の1万年以上の間、人口は右肩上がりに増加していったわけではないようです。
それがお米を食べるようになって(つまり稲作が導入された弥生時代になって)人口増加率は上がったらしいです。
おっ、土偶ちゃんたち大集合!
この土偶は耳飾りをしていますね。
女性4人組と言えばSPEEDか、いやMAXか?
女性2人組と言えばピンク・レディーか?
3人組ならキャンディーズでしょうか?
だんだん古くなっていってそのうち本当に縄文時代まで遡りそうな勢いですが、こちらの3人組は実は縄文時代の土偶ではないのです。
弥生時代の容器型土偶といって、弥生時代前期末から中期前半という短期間に東海から東北南部で造られたもので、現在は30余個しか見つかっていない大変珍しいものなのです。
いやー、甲斐は我が家からそれほど遠い場所ではないですが、異文化って感じがして楽しいです。
お、この遺跡見に行きたい!
方形周溝墓がこんなにたくさん復元されているとは!
元の遺跡はこんな感じ。
「方形周溝墓er」にとっては堪りませんね。
あ、「ホーケーシューコーバー」なんて人、聴いたことないですね。
※後日註:上の平遺跡はこの翌年探訪しました(⇒探訪レポートはこちら)
おっとー、ここにもありました!
バーン!
ババーン!
東海系土器です!
ひゃー。
ふぁー。
S字甕ですよ!
口縁部がS字になってるでしょ?
しかしこれほど大々的に展示しているとは予想もしていませんでした。
ありがたい・・・
この古墳の編年も分かりやすくていいですね。
郡内は古墳少ないんですね。
信茂さまーっ!
これはメロンパンでもチョコに抹茶フレーバーがコーティングされたものでもありません。
勇気を出してこのボタンを押してください。
ほら、開いた。
古墳の横穴式石室を説明しているんですね。
展示はまだまだ、国分寺や古代寺院、そして中世以降と続きますが、今日は時間の都合でここまで見て終了とします。
あれ、企画展やってる。
火焔型土器ではなく、水煙文土器ですか?
安道寺遺跡出土の中期の土器。
こちらはこの後訪れる予定の釈迦堂遺跡から出土したものですね。
重要文化財です。
面白いですねえ。
縄文時代中期の編年の表も便利ですね。
今日は時間の都合で30分ほどでササっと見ましたが、やはり最低でも1時間は欲しいですね。
ここはクラツーのお客様もきっと喜びますよ。
つづいて銚子塚古墳を見に行きます。
⇒このつづきはこちら
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