ここ数日、朝の寒さが深化して、起床するのも大変になってきました。
それでも今日も2時に起床してずっと歴史をやっています。
2時はまだ朝ではないとよく言われますが、昨日はツアーから帰ってきてすぐに夕飯を食べて、18時には就寝してしまったので睡眠時間はちゃんと確保できていますよ。
今日は終日、幕府に逼塞している予定なのですが、休養のためということもありながら、なんと次回の給料日がまだまだ先なのに手元には184円しかなくて、この軍資金では何もできません。
何もできないどころか、食べるものも厳選する必要があるのですが、幸い、今年も岩手の友人から兵糧米の援助が届いたので、お米だけは何とか確保できています。
あとは、納豆があれば今日の食事は大丈夫ですが、問題は明日以降ですね。
会社に行く電車賃もない・・・
まあ、そんなことを嘆いていても無いものは無いので、そういった難しい社会の仕組みは考えずに今日は歴史に没頭します。
というわけで、前回の続きをお届けしますよ。
⇒前回の記事はこちら
当初は弘法山古墳を見る前に考古博物館を見学しようと思っていましたが、図らずも先に古墳に遭遇してしまいました。
まあ、順番は別にいいですね。
弘法山古墳から考古博物館へは車ならすぐです。
近隣の史跡マップ。
それでは、常設展から行きますよ!
常設展示は原始時代から時代が下っていくオーソドックスな形式ですが、実はこれが一番わかりやすくていいです。
最初は土偶がお出迎え!
坪ノ内遺跡からいらっしゃいました。
縄文中期中頃の方です。
こちらも同じく坪ノ内遺跡から。
後期後葉です。
そしてこちらは山影遺跡から。
中期中頃です。
バーン!
縄文土器、いいねえ。
縄文時代は、死産した子や生まれた子供の胎盤を土器に入れて、玄関の床下などに埋葬することが行われたそうです。
実際、胎盤は出土しないはずなので、なぜそういう説明がされているのかは分かりません。
※後日註:化学的な成分分析で分かるそうです。
石棒その他!
ここにも土偶!
ハロー。
亀ヶ岡文化は松本にまで及んでいたのですね。
一応、こう見えてもこの方は遮光器土偶の仲間です。
有名なのは青森県つがる市で出土した重要文化財の遮光器土偶ですが、あちらでは大量に出土しており、JR五能線の木造駅はこんな造形で有名ですね。
さて、一番興味のある弘法山古墳のコーナーに来ました。
さきほど、古墳の墳頂にあった説明板にも書かれていましたが、墳頂で出土した遺物は東海系なのです。
今日は企画展示で古墳の特集をやっているようなのであとで見に行ってみましょう。
あなた様は誰?
女鳥羽川遺跡からおいでの方で縄文時代後期のお生まれのようです。
縄文時代の遺物で2大スターは土器と土偶だと思いますが、脇役でも素晴らしいキャラクターもいて、例えば「土板」と呼ばれる、これまた用途不明の製品もあります。
こちらは土板に人の姿が現れているものです。
女性の全身を描いていますが、分かりますか?
では、企画展の方に行ってみます。
古墳時代が始まる前の弥生時代の墓制である方形周溝墓と円形周溝墓の長野県内での分布図。
円形の方が少ないですが、基本的には円形は方形に混ざって造られています。
作り分けの理由に関しては分かりません。
なお、古墳時代になっても方形周溝墓が造られる地域もありますよ。
長野県内の古墳の分布図。
24番が弘法山古墳ですが、松本平近辺は目立つような古墳の分布は見られませんね。
最古級の古墳が松本に造られたのに、その後は今日の朝見てきた県北部の千曲川流域や県南部の天竜川流域の飯田地方にまとまっています。
両河川は水系が違うので、それぞれの水系ごとに一つの政権があったと考えていいと思うので、そう考えると古代の長野県は「科野」という一まとまりの地域ではなかったと考えられます。
天竜川の水源が諏訪湖ですので、南の飯田の勢力は諏訪の勢力との関係が考えられそうです。
松本平の古墳分布も掲示してあって、これを見ると、地味ではありますが古墳時代を通じて古墳の築造が続いたことが分かります。
この表は分かりやすくていいですね。
改めて弘法山古墳の説明。
弘法山古墳と関連して考えられる出川南・出川西遺跡(さきほど墳丘から見た南松本駅の西側に所在)では東海系土器が大量に出土しており、それが展示してあります。
というわけで、松本でも東海勢力の露出度が高くなっていましたね。
面白くなってきました・・・
⇒この続きはこちら
それでも今日も2時に起床してずっと歴史をやっています。
2時はまだ朝ではないとよく言われますが、昨日はツアーから帰ってきてすぐに夕飯を食べて、18時には就寝してしまったので睡眠時間はちゃんと確保できていますよ。
今日は終日、幕府に逼塞している予定なのですが、休養のためということもありながら、なんと次回の給料日がまだまだ先なのに手元には184円しかなくて、この軍資金では何もできません。
何もできないどころか、食べるものも厳選する必要があるのですが、幸い、今年も岩手の友人から兵糧米の援助が届いたので、お米だけは何とか確保できています。
あとは、納豆があれば今日の食事は大丈夫ですが、問題は明日以降ですね。
会社に行く電車賃もない・・・
まあ、そんなことを嘆いていても無いものは無いので、そういった難しい社会の仕組みは考えずに今日は歴史に没頭します。
というわけで、前回の続きをお届けしますよ。
* * *
⇒前回の記事はこちら
当初は弘法山古墳を見る前に考古博物館を見学しようと思っていましたが、図らずも先に古墳に遭遇してしまいました。
まあ、順番は別にいいですね。
弘法山古墳から考古博物館へは車ならすぐです。
近隣の史跡マップ。
それでは、常設展から行きますよ!
常設展示は原始時代から時代が下っていくオーソドックスな形式ですが、実はこれが一番わかりやすくていいです。
最初は土偶がお出迎え!
坪ノ内遺跡からいらっしゃいました。
縄文中期中頃の方です。
こちらも同じく坪ノ内遺跡から。
後期後葉です。
そしてこちらは山影遺跡から。
中期中頃です。
バーン!
縄文土器、いいねえ。
縄文時代は、死産した子や生まれた子供の胎盤を土器に入れて、玄関の床下などに埋葬することが行われたそうです。
実際、胎盤は出土しないはずなので、なぜそういう説明がされているのかは分かりません。
※後日註:化学的な成分分析で分かるそうです。
石棒その他!
ここにも土偶!
ハロー。
亀ヶ岡文化は松本にまで及んでいたのですね。
一応、こう見えてもこの方は遮光器土偶の仲間です。
有名なのは青森県つがる市で出土した重要文化財の遮光器土偶ですが、あちらでは大量に出土しており、JR五能線の木造駅はこんな造形で有名ですね。
さて、一番興味のある弘法山古墳のコーナーに来ました。
さきほど、古墳の墳頂にあった説明板にも書かれていましたが、墳頂で出土した遺物は東海系なのです。
今日は企画展示で古墳の特集をやっているようなのであとで見に行ってみましょう。
あなた様は誰?
女鳥羽川遺跡からおいでの方で縄文時代後期のお生まれのようです。
縄文時代の遺物で2大スターは土器と土偶だと思いますが、脇役でも素晴らしいキャラクターもいて、例えば「土板」と呼ばれる、これまた用途不明の製品もあります。
こちらは土板に人の姿が現れているものです。
女性の全身を描いていますが、分かりますか?
では、企画展の方に行ってみます。
古墳時代が始まる前の弥生時代の墓制である方形周溝墓と円形周溝墓の長野県内での分布図。
円形の方が少ないですが、基本的には円形は方形に混ざって造られています。
作り分けの理由に関しては分かりません。
なお、古墳時代になっても方形周溝墓が造られる地域もありますよ。
長野県内の古墳の分布図。
24番が弘法山古墳ですが、松本平近辺は目立つような古墳の分布は見られませんね。
最古級の古墳が松本に造られたのに、その後は今日の朝見てきた県北部の千曲川流域や県南部の天竜川流域の飯田地方にまとまっています。
両河川は水系が違うので、それぞれの水系ごとに一つの政権があったと考えていいと思うので、そう考えると古代の長野県は「科野」という一まとまりの地域ではなかったと考えられます。
天竜川の水源が諏訪湖ですので、南の飯田の勢力は諏訪の勢力との関係が考えられそうです。
松本平の古墳分布も掲示してあって、これを見ると、地味ではありますが古墳時代を通じて古墳の築造が続いたことが分かります。
この表は分かりやすくていいですね。
改めて弘法山古墳の説明。
弘法山古墳と関連して考えられる出川南・出川西遺跡(さきほど墳丘から見た南松本駅の西側に所在)では東海系土器が大量に出土しており、それが展示してあります。
というわけで、松本でも東海勢力の露出度が高くなっていましたね。
面白くなってきました・・・
⇒この続きはこちら