3.探訪レポート
2018年11月7日(水)甲信古代史探訪 その8
この日の探訪箇所
川柳将軍塚古墳 → 姫塚古墳 → 長野県立歴史館 → 千曲市森将軍塚古墳館 → 森将軍塚古墳 → 弘法山古墳 → 松本市立考古博物館 → 山梨県立考古博物館 → かんかん塚古墳 → さかづき塚 → 丸山塚古墳 → 甲斐銚子塚古墳 → 岩清水遺跡 → 岡銚子塚古墳 → 盃塚古墳 → 花鳥山遺跡 → 釈迦堂博物館
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山梨県立考古博物館は面白かったー。
博物館内では縄文土器を堪能しましたが、今度は古墳を見ます。
博物館に隣接して、4世紀の時点では東日本で最大規模の銚子塚古墳という大型前方後円墳があるのです。
なお、「銚子塚」という名前の古墳は全国にいくつかあるので、こちらのものは「甲斐銚子塚」と呼ばれることがあります。
おや、いきなり古墳のようなものがありますよ。
右側は「かんかん塚」という5世紀後半の円墳ですが、左側は「さかづき塚」という中世の塚だそうです。
説明板に書いてある通り、かんかん塚古墳は5世紀後半に築造された円墳で、径26mの大きさです。
注目すべきは、県内の古墳から見つかった馬具としては最古のものが見つかっていることですね。
※2019年3月21日のCTのツアーの際に撮影
さかづき塚も説明板に書いてある通りです。
※2019年3月21日のCTのツアーの際に撮影
それでは当初の予定に戻り、銚子塚古墳を目指しましょう。
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2021年5月28に山梨県立考古博物館を訪れましたが、企画展で県内の古墳について詳しく解説していました。
職員の方々の展示にかける強い意気込みが感じられるとても面白い展示でした。
かんかん塚に関する写真を以下に示します。
この被葬者は普段から乗馬をしていたということが伺えて面白いです。
5世紀は国内に馬が一気に普及した時代ですが、甲斐ではそれ以前から馬が飼われていたのではないでしょうか。
この日のかんかん塚とさかづき塚は、緑のもしゃ子ちゃんでした。
大型円墳の丸山塚古墳が築造されたのが4世紀半ばで、それをもってこの中道地域の大型墳の築造は終わりを告げます。
その後、約100年くらい経ってかんかん塚が築造されるのですが、かんかん塚と同じ頃か少し前には、考古博物館の裏山にある大丸山古墳のさらに裏手に、東南山遺跡に属する東山南1号・2号墳(あるいは墓)という、低墳丘墓が築造されます。
ただし、そちらは『山梨県埋蔵文化財センター調査報告 第64集 東山南(B)遺跡』(山梨県教育委員会/編・1991年)によると、石室が造られた形跡もない土着性の強い集団の築造で、畿内色の強いかんかん塚とは異なる系譜の人びとの古墳だと考えられるといいます。
ですから、かんかん塚は規模はかなり小さくなってしまいましたが、実際の血縁関係があるかないかは別として、もしかするとこの地で古墳時代前期に繫栄した「甲斐の王」の系譜をひく人物の墓なのかもしれません。
装飾古墳あるんですね!ありそうだと思っていましたよ。赤色円文ですね。模様が単純なので初期っぽく感じますけど大きさでは大きい。
これから楽しみですね。石釧は腕にあると女性なのですね。貝輪とか石釧はかなり気になるアイテムですね。貝輪知っていたかもしれませんから海由来の民族との接点もありそうですね。
このエリアに装飾古墳って凄い情報です、今後が楽しみです。ありがとうございます。1726
装飾古墳は地域の偏りが極端で、なんでその分布になったのかは謎なのですが、分からないところが面白いですね。