日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

【2018年最後の歴史探訪】那津官家(比恵遺跡)/太宰府天満宮/水城跡/糟屋屯倉(鹿部田渕遺跡)【福岡県】

2019-01-01 05:50:20 | 歴史探訪
 気が付いたら2019年になっていました。

 皆さま、新年あけましておめでとうございます。

 本当は昨年中に1年間の振り返り記事を書きたかったのですが、先月27日に引っ越しをしたこともあり、バタバタしているうちにこの体たらくです。

 さて、先月の23日(日)は、山梨の古代史ツアーをご案内してきました。

 今回も考古学の長沢先生に特別ゲストとして来ていただき、本物の土器を触りながら縄文の世界に触れることができました。



 ランチも好評ですよ。



 デザートも美味かった!



 35名の皆様、ご参加ありがとうございました!

 このツアーは来春もやる予定ですよ。

 それと、17日(月)には2018年度最後の座学をやり、古墳の基礎講座には8名様、律令国家の基礎講座には4名様のご参加をいただきました。

 皆様、どうもありがとうございました!

 2019年も引き続き講座も続けますのでよろしくお願いいたします。

 ところで、いま私は福岡のロイヤルホテル宗像にいます。

 なんと、昨日から2泊3日の福岡神社ツアーのご案内に来ているのです。

 生れて初めて、仕事をしながら年を越しましたよ。

 早起き野郎の私は今日も2時に起床してしまったので、こうしてブログを書いているわけですが、昨日はお客様のご案内は17時からだったので、私は皆様よりも早く、午前中から福岡にやってきて、夕方まで一人で乗り鉄下見をしていました。

 今日はその様子を簡単にご報告します。

*     *     *



 飛行機は向かい風に逆らって飛んだため、福岡空港への到着は少し遅れて10時半になりました。

 17時には宮地嶽神社へ行かないとならないので、使える時間はあまりありません。

 いつものごとく、急ぎますよ。

 今回は5泊6日のうち、前半が仕事で後半が趣味活動です。

 いつもはスーツケースに荷物を詰めてきますが、今回は軽快に移動したいため、6日分の装備を30リットルのリュックにまとめてきました。

 さすがに、スーツケースを引きずりながら歩き回るのは嫌なので、多少重たくてもこの方がいいです。

 福岡空港駅から地下鉄に乗り、隣の東比恵(ひがしひえ)駅で下車。

 この地下鉄には今年は何度も乗っていますが、東比恵駅で下車するのは初めてです。

 途中、町の神社に立ち寄りながら30分ほどかけて最初の目的地である比恵遺跡にやってきました。

 事前の調べでは説明板のみあるということなので、探してみます。

 あった!



 いえーい、比恵遺跡。



 現状は空き地です。



 こういう写真を撮っていると、街ゆく人に怪訝な目で見られるんですよね。

 そういう人びとは私がカメラを向けている方向を眺めて、おそらく内心、何を被写体にしているのかわからないと思っていることでしょう。

 比恵遺跡は、説明板に書かれている通り、『日本書紀』に記載されている那津官家(なのつのみやけ)に比定されています。

 那の津というのは、「な」の港のような意味で、「な」は魏志倭人伝に出てくる奴国に通じますね。

 官家というのは「屯倉」とも表記し、現在でも三宅さんという苗字にその名残があります。

 いま、クラツーで日本書紀の講座をやっており、那津官家の話は次々回(2月)にしようと思っています。

 では歩きます。

 おっと、すき家発見!

 ちょっと早いですが、ランチにしましょう。

 380円の豚丼(並盛)が好き。


 
 今回の旅はいつもにも増して予算が厳しいので、本日自腹で食べる食事はこれのみにします。

 5泊6日の旅なのにお財布には8000円しか入っていない・・・

 経済面だけを見ればお先真っ暗な旅です。

 さて、お腹が満たされて幸福度が増したのでまた歩きましょう。

 西鉄の高宮駅にやってきました。



 電車が来るまでホームで撮影会。



 福岡には何度も来ていますが、ようやく西鉄に乗ることができました!

 楽しい。

 二日市駅で乗り換えです。

 乗り換えの合間にも撮影会。





 再び乗り込み、太宰府駅に到着です。

 大みそかの太宰府天満宮、予想通りの人出です。



 人混み大っ嫌い。

 でも仕事なので粛々と人びとの波をかき分け、境内を下見です。



 拝殿の右手前には樹齢1000年といわれる、神木の「飛梅(とびうめ)」があります。



 伝説によると、道真は京都にいるとき、自庭の梅・桜・松を大切にしていましたが、道真が太宰府に左遷されたあと、桜は悲しみのあまり枯れてしまい、梅と松は道真を追いかけて空を飛んでいきます。

 ところが、松は途中、摂津国八部郡板宿(兵庫県神戸市須磨区板宿町)で力尽きて落下し、梅のみがこの地へやってきたと言われています。

 今日の時点ではもちろん咲いていませんよ。



 一通り散策したので帰ります。

 おーっ、この樹でか!



 植物の知識はほとんどないのですが、どういうわけか昔からでかい樹が好きなのです。



 ひやー、樹齢1000年あるいは1500年!

 人生の大先輩だ。

 太宰府駅から今度はこの電車に乗りますよ。



 二日市駅で乗り換え、朝倉街道駅で下車し、JR鹿児島本線の天拝山(てんぱいざん)駅まで歩きます。



 うぉー、25分電車がない!

 そういえば、昔はよくこれくらいの時間は待ったものですね。

 ホームにいると通過列車がバンバン通ります。

 流石にうまく撮影できない。



 JR九州はいろんな車両があって楽しいですね。

 ようやく来た電車に乗り込み、博多方面へ北上します。

 しばらく電車に揺られ、車窓を眺めていると、突如として巨大な土塁のようなものが視界に飛び込んできました。

 着いた駅は水城駅です。

 ということはさっきのは水城跡か!

 とっさの判断で下車。

 本数が少ない路線なので、途中下車するとこの後の予定を変えなければならないかもしれませんが、もう今はさっきの土塁の事で頭がいっぱい。

 あなたとの「今」を大切にしたいの。

 次の電車の時刻を確認して、走って見に行きます。

 お、駅の跨線橋からよく見えるじゃん。





 なんか、綺麗に整備されてる。



 「ふるさと水城跡公園」、いいねえ。



 説明板もきちんとあります。





 倭国の盟友だった百済が660年に滅び、その3年後には倭国は百済の復興のために白村江で唐と新羅の連合軍と戦います。

 ところが倭国は大敗を喫し、その後、唐からは2000人規模の役人が倭国へやってきます。

 この辺が歴史の謎なのですが、研究者によっては2000人規模の役人たちのことをGHQのようなものと考え、倭国は唐の植民地になりかけたといいます。

 確かに、2000人という数は軍隊かもしれず、だとすると、通説で言われているように、白村江の戦いの直後に水城を造ったという説は成り立たないかもしれません。

 進駐軍の監視下でこのような工事は不可能だからです。

 では、いつ、何のために造られたのでしょうね?

 ちなみにその後、672年の壬申の乱にて天武が勝利しますが、天武の挙兵とタイミングを同じくして新羅が唐へ宣戦布告し、唐の役人たちは本国へ引き上げていき、植民地化を免れることができました。

 こういった状況から、天武は新羅と裏で手を結んでいたと考えられ、事実、天武政権は新羅と懇意にします。

 こんな話もクラツーでの日本書紀講座のときに話そうかなと思います。

 土塁の断面!





 反対側、つまり外側にも回ってみますよ。



 でも本当はこっちが内側だったりして・・・

 ちょうど電車が来るようです。

 あー、でも撮りたい方向にお姉さんが歩いてくる。

 まるでお姉さんを狙っているように思われかねない・・・

 土塁と電車、撮りたいアングルで撮れなかった・・・



 水城駅に戻るとまたまた通過列車の嵐。

 やっぱりうまく撮れない。



 ホームから土塁を撮っていると電車が来ちゃった。



 次は、ししぶ駅まで行きたいですが、来た電車は区間快速でししぶには止まりません。

 福岡工大前駅で一旦下車し、各駅を待ち、ししぶ駅に着いたのは15時50分。

 まずは乗ってきた電車を撮影。



 次の電車は16時20分なので、30分の間に糟屋の屯倉跡を見てきますよ。

 急げ急げ。

 2月14日に損傷した右膝が痛いけど頑張るんだ。

 鹿部田渕(ししぶたぶち)遺跡に到着!



 遺跡は「みあけ史跡公園」という立派な史跡公園になっています。

 このあたりの住所は美明というのですが、屯倉が転訛したものでしょう。

 時間がないのでとにかく写真を撮りまくります。







 説明板にも書かれている通り、この遺跡は6世紀前葉の「筑紫君磐井の乱」の際に、磐井の子・葛子が継体大王に献上した糟屋の屯倉の候補地として挙げられています。



 ヤマトにとっては、朝鮮半島との往来のためにはこの地にどうしても拠点が築きたかったので、普通であれば死罪になるはずの葛子が糟屋の屯倉を献上して命が助かっていることから(しかも筑紫君氏はその後も力を持ち続ける)、この場所を手に入れた継体のニコニコ顔が目に浮かぶようです。

 筑紫君磐井の乱に関しては、通説にあるような単純な話ではないと思われるので、これまた日本書紀講座で掘り下げてみようと思っています。











 道路を挟んだ反対側にも公園が展開していますよ。









 まだ完全に設計できていませんが、いずれ「筑紫君磐井ツアー」をやりたいので、その際はここもルートに入れようと思います。



 なかなか充実した史跡公園ですが、時間がないので急いで駅へ戻ります。

 よし、間に合った!

 電車に乗り込み福間駅へ移動します。

 16時28分、福間駅へ到着。

 ここから歩いて宮地嶽神社へ向かいますよ。

 歩いてると、宗像観光の中型バスが私を追い越していきました。

 きっとあれは私が合流するはずのクラツーのバスだな。

 ※合流後、ドライバーさんに尋ねたらやっぱりそうでした。

 20分ほどで宮地嶽神社に到着。

 皆様への挨拶もそこそこに、休む間もなくご案内開始。

 思っていたほど境内は賑やかしくなく、比較的静かな雰囲気です。



 今日は時間の都合で古墳へ行けないのが残念ですが、古墳に行かないためにご案内も30分ほどで終了です。

 2018年最後の夕陽は福岡で眺めました。



 バスに乗り込み、ようやく皆様へ自己紹介などをして、20分ほどでロイヤルホテル宗像に到着しました。

 今日は私と添乗員さんはお客様とは別室での夕飯です。



 おー、なかなか豪華!

 しかしいつも思うのですが、福岡で食べる鯛の刺身は美味しいですね。

 ちなみに、お客様はバイキングでもっと豪勢な食事を食べているはずですよ。

 これにて2018年も終わりますが、皆様、本当にありがとうございました!

*     *     *


 今回のYouTubeは中森明菜。

 私が小学生から中学生にかけて人気がありましたが、私は聖子ちゃんより明菜。

 なぜか呼び捨て。

 『DESIRE』



 『ミ・アモーレ』



 『TANGO NOIR』



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
本は捨てられませんね (稲用)
2019-01-03 14:29:01
かんめいさん、明けましておめでとうございます。

移転作業はまだ中途半端なので、東京へ戻ったら続きをしないとなりません。引っ越しは本当に面倒くさいですね。そして本は捨てられません。

列島創世記は私も好きな本ですよ。松木先生のような書き方はある種斬新ですね。私も今年こそは自分の考えをきちんとまとめたいと思っています。

それでは、本年もよろしくお願いいたします。
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 (稲用)
2019-01-03 14:25:55
りひとさん、明けましておめでとうございます。

ある人が言っていたのですが、樹は触ってもらうと喜ぶらしいです。なので、大木を見たときは、なるべく触ってあげて、そして話しかけてみたりします。その場所に何百年も佇んでいる樹はいろいろなものを見ているので、そういった樹からインスピレーションをもらったりもしますよ。
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あけましておめでとうございます (かんめい)
2019-01-02 12:08:40
光が丘の中村です。今年から、かんめい(寛明)の名前で投稿します。

幕府の本拠地移転が無事済んだようで、よかったですね。本も全部
持って行ったんでしょうか?本は重いし嵩張るし、かといって捨て難いし、困り物です。

本と言えば、宮本一夫の農耕の起源、面白かったですね。水稲を持って来た弥生人が面長の顔をしているのは、どこかで江南の人が寒冷地適応した人と混血し形質変化をしたと思っていましたが、その時代や場所が1~4の農耕化段階として書かれていて合点しました。

今はその本の中にあった松木武彦の列島創世記を読んでいます。大きく歴史を掴むには好適です。文献史学や考古学や人類学等々、個別の分野の本を読んでいると思考がまとまらず、ただ活字を追っているだけになってしまうので、それを和らげてくれる本です。

と言いながら、先代旧事本紀の本も併せて読んじゃっていますが!

ともかく、古代史からは離れられそうにありません。BC5世紀頃からAD6世紀前半位まで、在来勢力と渡来勢力のせめぎあいと融合(天津神と国津神一族の動き)を関心の中心として、ぼちぼちやって行きますよ🤗

ではまた。
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明けましておめでとうございます。 (りひと)
2019-01-02 04:04:20
九州にいらっしゃるとは、九州にとって良い年になりそうですね。

宮地嶽って対海のイメージ持っていましたけど写真の山は気になりますね。それから磐井さんは、私も装飾古墳との絡みで気になり出して同じ字の神社とか行ってみたりしています。あと葛も糠屋の字も道真さんの梅も含めると木や植物っぽく感じますし、またそれを知恵として活かしていた民族も感じますよ、単純に文字だけですけどね。

稲用さん木が好きなんですね、嬉しいです。
この前木で東京探してみたら新田神社出てきたので行ってみたら触って良いようで木の温度感じて来ました。ばしょによってはご神木も色々な酒類がミックスしていたりもありますので温度も違うんじゃないかな?と。大木が育つ場所には意味ありますよね、地形的にも歴史的にも。

九州は、私の晩年のワークになりますけど情報は今のうちに集めておきます。ありがとうございます。

そうそう継体さん喜んだでしょうね、子供のことばで言うと激しく同意です!1185 鎌倉時代かな?守護地頭と三宅からの移行もヒントになるかも?源氏も九州関わるんですよね、めんどくさそうなんですけどね。いまはスルーしておきます。
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