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女浅間神社を参拝した後は、本来の目的地である足利公園古墳群を目指します。
では渡良瀬橋を渡ります。
実は昨日、今日のルートを調査していたら、森高さんの「渡良瀬橋」は足利市が舞台であることを知りました。
若い頃はとくに興味がなかったのですが、YouTubeでたまたま最近の森高さんのPVを見て、お歳を召して魅力が増した森高さんのファンになってしまったので、渡良瀬橋は見てみないといけないと思ったわけです。
渡良瀬川はきれいな流れですね。
対岸へ渡り振り返ります。
足利公園古墳群へ行くためにしばらく西へ歩いてから、「あ!歌碑は東側にあったんだ!」と思い出しました。
「渡良瀬橋」のヒットによって足利市の知名度が上がり、渡良瀬川沿いに「渡良瀬橋」の曲が流れる装置のついた歌碑を設置したそうなのです。
まあいいや、後で行こう。
霧がようやく晴れてきました。
しばらく歩くと前方に鳥居が見えてきました。
歌詞に出てくる八雲神社です。
藤原秀郷は平将門をやっつけた武将として有名ですが、この神社はその父・村雄が創建した伝承があるところが歴史ファンの心をくすぐりますね。
なお、この八雲神社は森高さんのお蔭で有名になりました。
もっとも、市内にはいくつも八雲神社があって、森高さんは特定の神社のことは歌っていないと言っていました。
でもそれが仇になったのかどうかは分かりませんが、社殿が放火されてしまったんですね。
今はもう再建されており、社殿に置かれた「参拝記帳」を見ると、神社を応援するメッセージがたくさん書かれていました。
森高さんも社殿再建に協力したと聴いています。
そしてここまでが普通の森高ファン、しかし私は違います!
この社殿の裏に足利公園古墳群があるのです!
社殿の後ろには、すでに前方後円墳である3号墳が見えているのです!
あ、でもせっかくだから少し境内を散策してみようっと。
機神神社というのがありますね。
機神(はたがみ)神社はその名の通り、機織りの神様です。
日本は卑弥呼の時代からすでに絹で服を作っていましたが、『日本書紀』によると応神天皇の在世と仁徳天皇の在世に重出して、中国から機織りの職人が来たと記されています。
私はおそらくその他もろもろの技術革新が起きた5世紀に、日本にマシンを使用しての機織りが導入されたのではないかと考えているのですが、遥か東国のこの地がその5世紀の事象とリンクしている可能性は低いと思います。
足利織姫神社は江戸時代の創建ですし、こちらの境内社もそれほど古くはないのではないでしょうか。
放置されているような五輪塔群。
それでは、森高モードから古墳モードへチェンジしますぞ!
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女浅間神社を参拝した後は、本来の目的地である足利公園古墳群を目指します。
では渡良瀬橋を渡ります。
実は昨日、今日のルートを調査していたら、森高さんの「渡良瀬橋」は足利市が舞台であることを知りました。
若い頃はとくに興味がなかったのですが、YouTubeでたまたま最近の森高さんのPVを見て、お歳を召して魅力が増した森高さんのファンになってしまったので、渡良瀬橋は見てみないといけないと思ったわけです。
渡良瀬川はきれいな流れですね。
対岸へ渡り振り返ります。
足利公園古墳群へ行くためにしばらく西へ歩いてから、「あ!歌碑は東側にあったんだ!」と思い出しました。
「渡良瀬橋」のヒットによって足利市の知名度が上がり、渡良瀬川沿いに「渡良瀬橋」の曲が流れる装置のついた歌碑を設置したそうなのです。
まあいいや、後で行こう。
霧がようやく晴れてきました。
しばらく歩くと前方に鳥居が見えてきました。
歌詞に出てくる八雲神社です。
藤原秀郷は平将門をやっつけた武将として有名ですが、この神社はその父・村雄が創建した伝承があるところが歴史ファンの心をくすぐりますね。
なお、この八雲神社は森高さんのお蔭で有名になりました。
もっとも、市内にはいくつも八雲神社があって、森高さんは特定の神社のことは歌っていないと言っていました。
でもそれが仇になったのかどうかは分かりませんが、社殿が放火されてしまったんですね。
今はもう再建されており、社殿に置かれた「参拝記帳」を見ると、神社を応援するメッセージがたくさん書かれていました。
森高さんも社殿再建に協力したと聴いています。
そしてここまでが普通の森高ファン、しかし私は違います!
この社殿の裏に足利公園古墳群があるのです!
社殿の後ろには、すでに前方後円墳である3号墳が見えているのです!
あ、でもせっかくだから少し境内を散策してみようっと。
機神神社というのがありますね。
機神(はたがみ)神社はその名の通り、機織りの神様です。
日本は卑弥呼の時代からすでに絹で服を作っていましたが、『日本書紀』によると応神天皇の在世と仁徳天皇の在世に重出して、中国から機織りの職人が来たと記されています。
私はおそらくその他もろもろの技術革新が起きた5世紀に、日本にマシンを使用しての機織りが導入されたのではないかと考えているのですが、遥か東国のこの地がその5世紀の事象とリンクしている可能性は低いと思います。
足利織姫神社は江戸時代の創建ですし、こちらの境内社もそれほど古くはないのではないでしょうか。
放置されているような五輪塔群。
それでは、森高モードから古墳モードへチェンジしますぞ!
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そうそう私東武でだか群馬行った時川の向こうの足利方面って気になっていました。渡良瀬川のうたも含めて。けど藤太のパパさんの夢のお告げだったのがびっくりです。で思うんですけど、藤太って巫覡気質持っていた証になりますよ、どうも人間ウォッチで感じるのは、卑弥呼と同じ体質があるようにもなので兄妹のイメージ持ってます、時代が合ってたらですけどね。
足利氏ってうちの関係者をたどると結構出てくるんですよね。けど南朝系で尊氏とは反りが合わないようで足利ってわけわからないので困っていました。系統があるんですね。とっても参考になります。
群馬が和邇で足利が高尾張かな?
昔七夕で出会った稲用さんとの縁も渡良瀬川でイメージしたんですよね。私男気質で牽牛派で稲用さん織姫派。もしも織姫の兄がいたら牽牛と仲良いんではないかな。同志みたいないい相棒ってね。
和邇ってのも厄介で織姫さん達をこき使っていないか?心配なのです。和邇派からきちんとダメ出しして改めてたいとは思っています。その為にも織姫素材の巫覡の藤太のお父さん大事に思いますよね。
牽牛の扱いもうまいんではないかな?稲用さんみたいに。
え、私は織姫ですか?だから女性より男性にモテるんですね(笑)