今日は教育問題、内容は国旗国歌
ある川崎市内の小学校の教頭先生と国旗国歌の話になり、なかなかしっかりした教頭先生でついでに政令都市川崎の小中学校での校内暴力件数が毎年、全国で横浜市がトップで、2番手3番手が必ず川崎市が出て来る。それに毎年件数は増えている。その陰にはいじめられている子供が沢山いるはずだ。それが原因で不登校になったり、引きこもり、家庭内暴力それに対して学校指導にも限界がある。ここまで来ると学校だけの問題ではない。子供の教育は地域と学校が一体となりスクラムを組むしかない。
多くの子どもたちは学校の先生を恐れない。それは先生が体罰禁止で生徒に対し何があっても手も足も出せないことを、知っているからだ。例えば悪さをして注意をされると逆上し先生に対し殴ったり蹴ったりされた先生ならば誰でも経験があるはずだ。とにかく最近小学生の暴力が急増。低年齢化になっている事、このまま我慢していたら学校崩壊が進むだけ。やはり地域で力がある元気な大人が介入しなければ、無理ではないだろうか。
とにかく外部機関にも協力を求める。それと今子供を持つ親御さんたちが心配している、一番問題は自分の子供が犯罪被害に遭うのではないかと心配してる。親御さんが8割以上いるという事。最近新聞に良く出る児童殺人事件や年々増えている性犯罪。それに対し民間のパトロールだけでは追いつかない。今一番問題になっている児童ポルノ幼い少女に群がるタレント事務所の人間や又はタレントになりたいかと、声をかけて来る悪い男達。とにかく今の子供たちへモデルとかタレントという言葉に弱い為について行ってしまう。それによって性被害を受ける少女が少なくはない。それと携帯電話に入ってくる無数の男の誘惑による性犯罪。まだまだ沢山ある性犯罪の数々。この問題に歯止めをかけるのは学校と地域の協力が必要だ。
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「ゆとり教育」徹底的改革を
高校生 岩田 薫 17(静岡県磐田市)
近ごろよく耳にする「ゆとり教育」。これについて、賛否両論というよりは批判的な人が圧倒的に多いようだ。
私もゆとり教育世代の一人である。その批判の波が押し寄せる中、来年の中学一年生から旧課程教育へ転換することが決定したという。これを耳にした私は、喜びと激しい憤りが交錯した。「私が受けた教育は何だったのか」と。たった5,6年で誤りだった、いや実施する前から誤りだと指摘されていたような教育を、なぜ実施したのかと言いたい。
ゆとり教育の転換自体は喜ばしいことだと思う。旧課程教育の復活は、学力低下を食い止めると考えるからだ。しかし、自分たちは犠牲者だったのではないかという思いが消えない。
かつて、日露戦争のころのことだが、東遊運動という日本への留学運動が盛んだったという。このころのアジアのリーダーは確実に日本だったといえる。しかし、今はどうだろうか。ある調査では、ここ数年、受験戦争の激しい韓国や中国より日本人の若者の学力が落ちているとのことだ。その要因はさまざまであろうが、ゆとり教育もその一つであろう。将来、学力の劣った日本人が他国へ盛んに留学するようになっては寂しいものがある。
ゆとり教育を転換するのであれば、この際、文科省はじめ関係者の方には徹底的に改革してもらいたい。高校生である私も、精いっぱい努力して行きたいと強く思う。
殺人事件は極刑で減らせる
高校生 岩瀬 麻美 17(大阪市箕面市)
朝起きると必ずニュースを見る。その大半は、目を覆いたくなるような犯罪の数々。昨日見た事件が忘れられたかのように、翌朝になるとテレビや新聞はまた新しい凶悪な事件を伝えている。
犯罪の中でも、殺人が一番恐ろしい。普通に生きていた人間が、あるにたまたますれ違った人間に殺される。犯人の動機にも驚く。「イライラしていたから」
たったそれだけの理由で人間を殺してしまう。遺族はその日を境に人生がかわり、ずっと深い悲しみを背負わされて生きていく。
殺人は道徳の低下や、はびこる非常識が原因の一つだと思う。もう一度、常識とは何かという原点に戻り、人をいかなる場合でも殺したら死刑。これが一番わかりやすい。それが殺人を減らす最もよい方法なのでは、と私は考える。
子供の美容整形急増にがく然
主婦 田島 サキヨ 63(福岡県筑後市)
先日見たテレビの番組で、子供たちの美容整形がここ数年急増していることを知り、がく然とした。そのほとんどが親の意思で受けさせているという。しかも、その理由は、可愛くなれるだけでなく、将来、我が子をアイドルやタレントにするためとか、親の離婚後に相手の面影を子供からぬぐい去るためであったりもするということだった。だが、子供自身は想像する手術の痛みや不安からか、喜んで受けているとは思えないようだ。
私は美容整形を否定しているのではない。実施する時期が大事だと思う。子供たちが心身共に成長し、自分の意志で判断を下すまで、親は育てないのだろうか。親が子供を私物化しているように思えてならない。また子供として今やらなければならにことがたくさんあるはずである。
外見だけの美にとどまらず、心豊かな大人に成長するよう、我々大人たちは応援するべきではないだろうか。
子供殺害は自動的に「死刑」
主婦 山移 千鶴 63(大阪府豊中市)
父親があえて娘の実名報道を望み、極刑を求めていた広島の木下あいりちゃん殺害事件の判決で、ペルー国籍の被告に無期懲役が言い渡されたが、直後から広島地裁に抗議の電話が相次いだという。当然である。私も全く同じ気持ちだ。
「殺人1人は死刑にならない」という歴然たる事実(判例)がある。それを知ったうえで、平気で人を殺す犯罪者たちが増えているのだ。今日の日本は、いかに加害者の人権だけがしっかりと守られ、被害者の命がないがしろにされているのかがよく分かる。
殺人に関して言えば、「目には目を」が原則であってほしい。人の命を奪った時点で、わが命も終わる。それが当然だと思う。特に被害者がいたいけな子供である場合、特別な事情を除き死刑にすべきだと思っている。
同じ子供を持つ親として、さまざまな可能性に満ちた子供たちの未来を理不尽に断ち切られた親の気持ちが最も望む者は極刑しかない。それを抑止力にしていかない限り、この種の犯罪は増えこそすr、減ることは決してない。
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西村真悟の時事通信(平成 23 年 4 月 26 日号)
やはり、書いておくべきだろう
No.625 平成23年 4月26日(火)
原子力発電のことである。
今、福島第一原子力発電所の周辺では、数千頭の牛馬豚が殺処分されている。
政府は酪農農家に家畜とともに退避することを許さず、牛や馬は、一ヶ月以上放置されて食料を与えられず、餓死したり、自分で食料を調達するようになっている(これを野生化と言って政府とマスコミは危険視している)。これを殺すという。自活している牛馬は立派ではないか。
かつて南極観測の越冬隊が、確か昭和三十三年か四年に、どうしても樺太犬を連れて帰ることができず、南極大陸の昭和基地に放置したことがあった。
そして、一年近く経って再び南極観測隊が昭和基地に行くと、タロとジロという樺太犬は、頑張って生きていた。彼らは、観測隊のヘリの音が分かって、喜んで雪原を飛び跳ねて人間がきてくれたことを喜んでいた。日本中が感動した。タロとジロという模型飛行機が売られていたのを想い出す。
福島原発周辺で自活している馬・牛・犬・猫・カナリヤ・文鳥は、立派ではないか。何故、この度は樺太犬の太郎と次郎のように「生きていてよかった、これからは生かしてやろう」とならないのか。
平素は、土管に犬が詰まったり、煙突の上に猫が乗って降りられなくなったりしたとき、消防隊が出動してその猫犬を助ける場面がニュースになったりする。
どうして、この度は、そうならず、殺すのか。生物を、人間と同じほ乳類を、みだりに殺すな。何故殺すのか。菅、枝野、答えろ。
以上のことを思いながら、これから本論に入る。
福島第一原子力発電所。この危険度レベル7は虚偽発表で、実は安全ではないのか。これが、第一の問題提起だ。
その上で注意喚起したいのは、次の彼らの素性である。菅、仙石、枝野、そして、彼らを支える社会党から民主党に移った党事務局員の連中と総評系労働組合。
これらは、もともと反原発闘争をしていた連中だ。特に、菅と仙石は、反政府的運動家、活動家としての経歴をもっている。
さらに彼らは、世界組織であるインターナショナル運動即ちコミンテルンに繋がり、その思想のもとで青春時代に学園闘争をやりまくった経験を持つ。つまり、彼らは、世界的な西側における「反原発運動」と、西側の核だけを阻止する為の「反核平和運動」に繋がる連中である。
そこで、欧米に発する世界的な反捕鯨運動の進め方、特にシーシェパードなどの手段を選ばぬ反対運動戦略を思い浮かべた上で、仮に、反原発を世界的に展開しようとする戦略家なら、マグニチュード9・0の巨大地震に遭遇した福島第一原子力発電所事故を如何に利用するか、このことに思いを巡らせて欲しい。
私が、反原発運動家で、シーシェパード的発想をすれば、福島原発の危険度を煽り、その周辺住民を極度の不安に陥れて共同体を破壊し、世界の原発を持つ国の住民を同じように不安がらせ、そこから原発を追放し一掃する世界的運動へつなげる。
さて、菅、仙石、枝野と民主党および支援組織特に労働組合の素性は、この世界的原発禁止運動の謀略に取り込まれる要素が、ため息が出るほど十二分に揃っているではないか。
つまり、菅とその内閣は、運動家としてのつながりの中で、「総理の地位にある世界的反原発運動家」となり、福島原発事故を、世界の原発廃絶に拡大していくためのテコとして利用し始めたのではないか。
ひょっとすると、「反原発を推進した日本の菅総理大臣、貴方は人類の未来を明るくしたのでノーベル平和賞を授与されるであろう、その為に、我々も頑張るから、連帯しよう」、との呼びかけに我が国の空きカンが、既に頷いているのではないか。
少なくとも、現在までの菅内閣の原発事故に対する対応は、風評被害の徒な拡大も含め、原発反対派からは拍手喝采ものであることは確かである。
彼らは、原発事故が深刻であれば深刻なほど喜ぶ連中だからだ。そして、それを喜ばせている菅総理と彼の内閣は、既に世界的な反原発運動の一員となっており、その運動戦略のもとに動いているのではないか。
そこで、はじめの第一の問題提起に戻る。即ち、福島原発は安全なのではないか。
放射線防御学、放射線影響学というのがある。これらは、医療におけるレントゲンの影響を調べることから始まって、広島や長崎への原子爆弾使用を決定的な契機として始まった学問である。
この私は、この学問は全く知らん。無知である。しかし、この学問の専門家は知っている。
札幌医科大学教授の高田 純氏は、四月十日の昼、福島第一原発の正門の前に防御服を着ることなく立って、ここは安全ですと語っていた。次に、東京大学医学部の稻 恭宏博士は、福島原発は安全と言い切っている。また、福井青山学院大学教授は、低線量率放射線は、健康にほとんど影響ないと言い、稻博士はかえって健康によい、と言っている。
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▼唸声の気になる写真/昭和の日:裕仁皇太子殿下の台湾行啓
写真は皇太子殿下を歓迎する学生たち/より、以下のサイトに49枚の写真有
http://news.backchina.com/viewnews-138788-gb2312.html
台北での皇太子殿下
台湾製糖会社屏東製糖所
裕仁皇太子殿下は大正12(1923)年4月12日にお召し艦「金剛」にて横須賀をご出港、16日に基隆に入港された。殿下は午後1時25分、基隆に上陸、基隆駅から列車で台北駅に到着し、総督官邸にご宿泊された。
殿下は台北、新竹、台中、台南、高雄、屏東、澎湖島とほぼ台湾全域をご訪問された。27日午前7時10分に台北駅を発車、基隆港から「金剛」で帰京なされた。殿下が台湾に滞在された10日間のスケジュールは以下の通り。
17日 台湾神社参拝、台湾総督府、植物園内生産品展覧会、中央研究所農業部行啓、宿泊所(台湾総督官邸)
18日 中央研究所、師範学校、同付属小学校、太平公学校、軍司令部、 高等法院、第一中学校内教育品展覧会、医学専門学校行啓、宿泊所(台湾総督官邸)での原住民舞踏鑑賞
19日 新竹州庁、新竹尋常高等小学校、台中州庁、台中第一中学校行啓、宿泊所(台中知事官邸)で市民提灯行列、花火を観覧
20日 台南州庁、孔子廟、台南師範学校、第一公学校、第一中学校行啓、宿泊所(台南知事官邸)で台湾武技、奏楽、提灯行列を観覧
21日 安平、台湾製塩会社塩田、養殖試験場、歩兵第二連隊営庭での閲兵、高雄州庁、第一尋常高等小学校行啓、高雄港内の巡覧、宿泊所(貴賓館)で提灯行列等を観覧
22日 台湾製糖会社屏東製糖所行啓、高雄山(これを機に29日に寿山と改称)を登山、宿泊所(貴賓館)から湾内の松明行列等を観覧
23日 お召し艦「金剛」で澎湖島へ、要港部行啓、基隆へ回航
24日 基隆着、クルベー浜フランス戦没将士を弔い、築港工事巡覧、重砲兵大隊行啓、台北に帰還して博物館、円山運動場(全島学校連合大運動会)へ行啓
25日 草山及び北投温泉に清遊、途中基隆河に数千羽の家鴨放飼を観覧
26日 歩兵第一連隊営庭での閲兵、専売局、第一高等女学校、武徳殿、 第三高等女学校、円山運動場(陸上競技)へ行啓
上記は日台交流センターより
http://www.koryu.or.jp/center/ez3_contents.nsf/06/1D22676173547A6949256EBA003BCBD8?OpenDocument
カン首相がどうしようもない奴でも、天皇陛下がおられるから日本は復興できる。その天皇制を崩壊させようとしていた左翼が、大災害では全く役立たずの無用の長物であることを日本国民は認識した。また、日本が天皇陛下とともにあることも日本国民はこの大災害から学び取った。
【IZA4/29-《主張》昭和の日 苦難学び心一つに再生を】
5回目の「昭和の日」を迎えた。この日は言うまでもなく昭和天皇の誕生日だった。平成になり「みどりの日」となっていたが、国民の強い願いもあり「昭和の日」と衣替えし「みどりの日」は5月4日に移された。
祝日法によると「昭和の日」は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日とされている。それだけに「敗戦以来の国難」と言われる東日本大震災から50日目にこの日を迎えた意義は大きい。
六十余年に及んだ昭和の時代は、あの大戦による国土の荒廃だけでなく、昭和8年の三陸大津波や23年の福井大地震、34年の伊勢湾台風など、数限りない天災に襲われた。昭和の大恐慌や石油ショックなど、経済危機にも幾度となく見舞われている。
だがその都度、危機を乗りこえ国の新たな発展につなげてきたのも昭和という時代だった。根底には長い歴史に培われた経済的底力もあったが、国民が一致団結して困難に立ち向かったことがそれを可能にしたと言っていい。
その強い力添えとなったのは、昭和天皇が国民と苦難を共にされたことだった。
特に日本中がほぼ焼け野原となった終戦直後には、全国を巡幸され国民を励まされた。巡幸中は旅館やホテルではなく、学校の教室に布団を敷き、カーテンをかけてお休みになることもあった。そうした昭和天皇のお姿を見て国民の多くは復興への決意を新たにしたのである。
今回の大震災でも、天皇、皇后両陛下は27日に宮城県の被災地を見舞われたほか、すでに4回にわたり被災地や避難所を訪れ、被災者を励まされた。今後も岩手県や福島県を訪問される予定だ。東京電力の計画停電に合わせ、自ら停電生活も経験された。
昭和のご巡幸同様、被災者だけでなく国民みんなをどれだけ勇気づけているか計り知れない。
大震災からの再建をはかるにあたり最も大切なことは、国民一人一人が「自分の生活さえ守れたらいい」という考え方を捨て、心を一つにすることである。そのためにも、昭和の時代を振り返り、苦難からどう立ち直っていったかを学ぶべきだ。
連休の始まりでもあるが、今年はとりわけ、そのことを確かめる「昭和の日」としたい
昭和20年に核兵器の本質を理解されていた昭和天皇【高田純7/7】
さらに、地上より放射能が三百倍以上多い、宇宙空間で長期間滞在した宇宙飛行士は、放射能から何ら悪影響を受けておらず、かえって宇宙に行く前より健康になっている、と報告されている。つまり、繰り返す。福島原発は安全ではないか。
さて、反原発運動の経歴を持つ菅総理が言い切らないことを、最後に断言しておく。我が国の存立のために、原発による発電はこれからますます必要だ。
原発を廃止し全て化石燃料に切り替えて、現在と同じような国家的活動、経済的活動ができる、と考えるのはエネルギー政策的にも、歴史から学ぶ国家戦略からみても、非現実的だ。
かつて、我が国はアメリカと戦争した。何故戦争を決意したのか。アメリカが我が国への石油の供給を止めたからだ。
仮に、我が国が全て化石燃料による発電に戻ったとしよう。我が国に、その膨大な化石燃料があるのか。無い。
そうであれば、仮に将来、我が国への化石燃料供給を止める国が現れたとするならば、我が国は、また戦争に追い詰められるではないか。
その時、日本国民は、経済活動不能によって数千万人が失業し、餓死者もでる苦境に唯々諾々と耐え続けることはできない。
化石燃料に頼るこのような脆弱な国家に陥ることを回避するのが、真の政治家の務めなのだ。
やはり、我が国には、原子力による発電が必要だ。(了)