青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります





今日、空手の練習中、突然私の所の人間が3人と怪我をしている女の子が1人飛び込んできて、練習は中断。何事かと思っていろいろ話を聞いて結論が出ないまま、4人は帰って行った。それにしてもひどい怪我だ。内容は親の虐待。聞いてみれば話は長くなるが、彼女にも非はある。しかし親子の間で冷静に話をすれば、決着出来る話だ。しかし彼女も親に対しての口の利き方がある。
やはり自分をここまで育ててくれた恩を忘れてはいけない。たとえ親子であっても口の利き方がある。今の子どもは甘やかせて育っているから、どうしても言いたい事をズバズバいってしまう。だから親の立場から考えれば、どうしても手が出てしまうかも分からない。
ただ場面を見ていないから何とも言えないけれど、きっと親だって反省しているからこそ、多分今ごろ探し回っていると思う。と2時間近く皆で話をし、帰って行った。我々も子供の問題で活動しているが、とにかく最近親子喧嘩がきっかけで、家出をする女の子が多い事は確かだ。
しかし、多くの子ども持つ親御さんに警告したいのは、昔と違って携帯電話一つで家出をしている女の子を受け入れる場所は沢山あると云う事。しかしそのほとんどが女の子を喰い物にしている。悪い男が数えきれない位いると云う事を知ってもらいたい。
その為にどのぐらいの女の子が売春や薬物などで生涯立ち直る事が出来ない位、ボロボロになっていくケースが沢山ある。そうなっては遅いと云う事を知ってもらいたい。その前にあらゆる手を使って必死に探し出す事が大事だ。自分の子どもを悪い奴らの金ズルにさせてはいけない。

 

 話は変わるが今回阿形先生をブログに出したのは、今多くの若い人たちに知ってもらいたいのは、66年前世界を相手に戦った太平洋戦争。多くの軍人や民間人を含めて300万人近く亡くなったが、昭和・平成と生きている我々や子ども達に対しその時代の状況を詳細に伝える事が我々の役目ではないかと思っている。
また若い人たちに知ってもらいたいのは数多くの若者が戦場で亡くなった事。特に最後は学徒動員。国の為に特攻隊で敵艦に爆弾と一緒に突入して戦死した学生達皆死を前提とした特攻と玉砕だ。私はいつも思う。国の為に戦って亡くなった多くの軍人に対し今の政治家は感謝のかの字もない。
逆に戦後日教組が平和の名のもとに学校で日本の兵隊は中国や朝鮮それと東南アジアを侵略そして住民に対し残虐な行為をしたとわざわざ平和教育の時間をとって今でも教えている。こんな事を子ども達が聞けば日本人嫌いになるのは当たり前だ。とにかくこの平和教育を中止させ今の平和が戦争で多大なる犠牲の元にあるのだと云う事を教えてやらなければならない。
私が一番関心するのは阿形先生は日頃から今一番感謝しなければならないのは、この国の為に亡くなった多くの軍人に対し将来に渡って感謝することが大事だと言っている。確かに私もそう思う。
やはり残された日本人そしてこの国の為に命を捧げた軍人に対し、国民は心から感謝をすることが義務ではないかと思う。その為には靖国神社に国家を挙げて参拝するのは当たり前。それに対し反発する国会議員がいるから、このような人間は国会議員になる資格はない。


阿形充規先生のプロフィールを紹介。
大日本愛國者団体会議 最高顧問
國民協議会 名誉顧問
大日本朱光会 名誉顧問
  


昭和14年11月24日阿形充規先生は東京都中野区野方で生を受ける。
父方は代々医者の家系・母方は教育者の家系で、母親は女学校の国語教師、父は旧帝大(現東大)を卒業し、上級公務員を務めた。
父方の家系は徳川松平家の御殿医という名家の出。


大東亜聖戦碑護持会 顧問 阿形充規先生
去る8月3日から5日にかけて、私たち同志11名が、石川県護国神社に建立されている、大東亜聖戦碑を護持するための催しに出席し、一同その任務を全うし無事帰京いたしました。一同その任務を全うし無事帰京いたしました。間もなく戦後66年迎えようとしている今日、深いベールに包まれていた先の大戦の歴史の真実が、次から次へと明らかにされてきており、諸外国や東京裁判を裁いた国ですら、東京裁判には多くの誤りがあったことを認めざる得ない状況が生じてきております。しかしながら、先にもご案内の通り、日本に於いては、今日においても尚、先の大戦を悪とみなす風潮が蔓延し、依然として欺瞞と策略に満ちた、東京裁判史観の桎梏から抜け出すことができずにおります。戦争を知らない国民が大多数となってきている今日、国民の一人一人が贖罪意識を拭い去り、古き日本の歴史を検証し、素晴らしい古来からの伝統と文化を引継ぎ、後世に残し伝えていかなくてはならないと痛感いたしております。

 



大東亜聖戦碑護持会
写真右から

顧問 阿形 充規 先生
最高顧問 元谷 外志雄 氏 (アパグループ代表)
会長 田母神 俊雄 氏
副会長 南出 喜久治 先生 (弁護士)
事務局長 諸橋 茂一 氏 (株)KBM代表取締役


大東亜聖戦碑護持会 会長 田母神 俊雄 氏


大東亜聖戦碑護持会 最高顧問 元谷 外志雄 氏

 金沢市の石川護国神社に「大東亜聖戦大碑」を建立した同大碑護持会(同市)などが8日、大碑のそばに「副碑」を設置した。文語調で書かれた大碑の碑文の意義を、若い世代にも分かりやすいよう記した。同会の新会長には、元航空幕僚長の田母神俊雄氏が就任した。 
 今回設置された副碑は、幅3.5メートル、高さ1.6メートル、厚さ約30センチの御影石製で、表面に「大東亜聖戦」の意義と20世紀初頭の世界地図、裏面には副碑建立に協力した人の名前が刻まれている。

 

 

 




今回設置された副碑



護國神社
家族と郷土の繁栄を見守り、人々が歩み進める人生においてふりかかる災いを鎮め、日々の生活を安全に、そして安心して送れることを祈り続けておられる神様です。

 石川護國神社には、石川県出身の英霊(戦没者の御霊)をお祀りしてあります。
 明治元年の戊辰の役(北越戦争)で戦死した加賀藩の百八名の戦没者の御霊を、同三年、卯辰山に招魂社を造営して祀ったのが創まりです。



 以来、西南の役、日清日露の両戦役、支那事変(日中戦争)、大東亜戦争までの英霊、四万四千八百八十七柱を合わせ祀ってあります。(このうち、第九師団管下の富山・福井・岐阜・滋賀県出身の英霊一万九百十九柱が含まれます)



 昭和十四年社名が石川護國神社と改称されました。その後、昭和四十五年に御創立百年記念大祭、昭和五十九年に御遷座五十年記念大祭、平成二年に御創立百二十年記念大祭、平成十二年に御創立百三十年記念大祭、平成十七年に終戦六十年臨時大祭が執行されました。



案内地図



日本の主な戦没者追悼施設
第二次世界大戦の戦没者数 軍人230万 民間人80万

靖国神社 東京都千代田区九段北 神社 
追悼対象 幕末以降の「国家殉職者」(主に戦争で死亡した軍人)を祭神とする(約246万人)
政府式典 GHQ(連合国総司令部)占領をきっかけに、1945年11月以降は行われていない

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 東京都千代田区三番町 納骨施設
第二次大戦で海外で死亡した軍人・民間人の身元不明の遺骨を納めた「無名戦没者の墓」(約35万人)
政府式典 5月下旬に拝礼式(8月15日、近くの日本武道館で全国戦没者追悼式)

国旗は日の丸、国歌は君が代