今全国で多数の子どもを守り隊の団体がありますが、それぞれ頑張っていると思います。しかし増々増えている子どもに対しての虐待や性暴力それに数々の犯罪によって精神的にも肉体的にもボロボロになっている多くの子供達を本気で助ける為には助ける側も命を賭ける位の精神力と力がないと出来ない。
その為にはあらゆる力とネットワークが必要。場合によっては殴り合いの場面もあるが、相手が悪くても怪我をさせれば我々は警察にパクられる。当然相手が被害届を出せばの話だが。
しかし戦わずに勝つには会の組織の力がどれだけあるのかどうかだ。我々にはあらゆる団体との交流がある。今社会で起きている数多くの犯罪は99%が一般人だ。
最近特に虐待にしても女の子に対しての強姦事件・ストーカー・恋人DV等の相談を受ければ、それに対し相手と話をつけるのは普通の人は中々出来ないと思う。
ある程度の脅し文句も使わなければいけないし、場合によっては喧嘩になる場合もある。その時の雰囲気でいろいろあるが、仲裁にはいっても我々は相手から恨まれる。
そればかりではない。中にはヤンキーみたいな奴を連れてくる場合もある。しかしどんな場面でも相手が悪ければ我々は被害者を助ける為に引く訳にはいかない。
この程度の問題に警察は介入できない。特に民事が絡んだ場合は100%無理。
私は30数年社会活動やボランティアで多くの青少年に空手を指導目的はただ精神的にも肉体的にも強い人間になってもらいたい。
只それだけ。来る人間の職業は選ばない。その縁があって色んな業界の人との付き合いは多い。
特に私が10代の頃は川崎は不良の街。とにかく良く遊んだ。当然その世界にいれば喧嘩はつきもの。警察の厄介になり親が私が地元川崎にいるとヤクザになるのではないかとある東宝芸能学園のニューフェースに応募。
たまたま合格し新宿に通ったが、そこで又遊び始まり段々私の様子がおかしくなったので私の父が私がパクられた時知り合った検事さんに相談したところ行き先が自衛隊と決まった。
私もその検事さんには色々世話になり、この人の云う事は聞かなければいけないと思い自衛隊行きを決めた。
自衛隊に入ってから初めて親に感謝することを覚えた。
自衛隊生活3年間毎月一回給料もらっては親にいろいろ必需品やお金を送った。今考えれば私の唯一の親孝行だと思っている。いくつかの基地を移動して最後は
埼玉の航空自衛隊入間基地そこで米軍と一緒に警戒管制の仕事内容はトップシークレット(最高機密)なので門外不出で一切話は出来ない。とにかく基地の仕事は楽しかった。
何しろ基地の中は広く「アメリカ兵」の家族も一緒に生活しているので遊びに行った。そのついでに体育館で空手を子ども達に指導。
それによって多くのアメリカ兵と良く遊んだ。とにかくアメリカ人は明るい。
それから航空自衛隊を満期退職してから絶えず交流のあった兄貴分からある人を紹介され、その人と交流を持つようになり初めて愛国心を意識するようになった。
元々小さいころから日本の国旗日の丸が大好きで多分親の影響があったのではないかと思っている。私の父親のおじいさんは宮城県仙台市では県会議員で名士。又母親方のおじいさんは東北では演歌師で有名な人。多分その影響もあって社会運動に入ったのではないかと思う。この続きは次回・・・
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