---------------カナロコ新聞より---------------
2010年09月06日【神奈川】「学校全体がいじめ状態」と結論…川崎の中3生徒自殺で学校の調査委員会が最終報告書発表
川崎市多摩区の市立中学3年生の篠原真矢君=当時(14)=が「いじめられた友人を守れなかった」などと 遺書を残して今年6月に自殺した問題で、学校の調査委員会は4日までに、最終報告書をまとめた。生徒が 遺書で実名を挙げた4人による生徒と友人へのいじめを認定。同級生や保護者からの指摘を受けてもいじめを 見抜けず、報告体制にも問題があった教員側の対応などを含めて「学校全体がいじめ状態にあった」と結論づけた。
報告書によると、友人は2年生だった昨年5月から4人に小突かれるなどのいじめを受け、それを止めよう とした生徒も同様の行為を受けるようになった。生徒への行為は次第にエスカレートし、下着を下ろされること もあった。
学校の体制については「生徒指導に学校全体が一丸となって取り組む体制が不十分で、職員の意識も希薄。 教職員一人一人が猛省すべき」と厳しく非難した。また、自殺に至る生徒の心的な状況について、「困っている 人を助ける」といった目標と、「友人を守れなかった」といった現実との差違などから葛藤(かっとう)が生じ、 大きく動揺していたと推察した。金井則夫教育長は「調査結果を重く受け止め、問題点が指摘された学校の指導 体制を早急に改善し、信頼される学校づくりを進めたい」とコメント。一方、校長は会見で、問題発覚後に新たに 2件のいじめが見つかり、校内で現在、4件確認していることを明らかにした。
調査委員会は校長や保護者、教育委員会担当者、張賢徳帝京大学教授(精神科医)ら11人で構成。6月に設置し、関係者への聞き取り調査などを実施した。県警などによると、男子生徒は今年6月、自宅トイレで硫化水素を発生させて自殺。県警は8月、4人のうち3人を暴力行為法違反容疑で書類送検、当時13歳の1人を同様の疑いで児童相談所に通告している。
※連合会のコメント
最後に私は数々のいじめにあって自殺した問題を取り組んで来たが、学校がどんな言い訳をしても、いじめと自殺の因果関係を絶対に認めない。それゆえに行政の文書の中身は責任の所在を曖昧にする。ある意味の逃げだ。私が長年にわたって遺族と戦って来た。今回の真矢君の自殺の大きな原因は南菅中学校の校長並びに教職員全員の責任だ。我々は教育委員会とは何回も話し合った。今回この件でやりやすかったのは20数人の現役教師の多くの情報により戦いやすかった。教育委員会もそれなりに調査をしてくれたので感謝をしたい。
しかしこの学校の校長をはじめ教職員を許す訳にはいかない。彼らこそ真矢君を死に追いやった張本人だ。今回新聞紙上で学校の調査委員会が最終報告書発表を検証。しかし新聞で発表した調査報告書と教育委員会で出した調査報告書とは、中身は曖昧で行政独特のいかにも学校の責任を曖昧にした。文書にしている事に気が付きませんか。今回の事件の件で誰も責任をとってはいません。それに学校内で起きたいじめがはっきりしているにも関わらず因果関係をあいまにしている。今回の自殺をした真矢君の死はは間違いなく、学校内のいじめが原因だ。
もう一度、篠原真矢君の遺書を読んでみてください。
遺 書
お父さん、お母さん、お兄さん、婆さん、先立つことをどうかお許しください。俺は「困っている人を助ける・人の役に立ち優しくする」それだけを目標に生きてきました。
でも、現実は人に迷惑ばかりかけて、 F のことも護れなかった…
それに俺には思い出が多すぎました。
こんな俺が、人並みに生きて、友達を作って、人生を過ごしていく…そんな事があっていいはずないんです。
俺がいて不幸になる人は大勢いる。それと同時に俺が死んで喜ぶ人も大勢いるはずです。でも俺は F をいじめた、 B、 C、 D、 E を決して許すつもりはありません。
奴等は、例え死人となっても必ず復讐します。
でも、この十四年間楽しいこともたくさんありました。
春は桜が出会いを運び
夏は花火が夜空に消えて
秋は紅葉が空を染め上げ
冬は白雪が乾いた心を潤す
季節が過ぎていく中で色々ありました。それが全ての想い出となって心に残っています。
家族のみんなにはお願いがあります。
1つは、自分達をどうか責めないでください。
俺が死ぬのは家族のせいじゃありません。俺自身と、 F をいじめた連中が悪いんです。
大丈夫。
ある日は日の光となり、ある時は雨となって、あなた達の心の中で生きています。
だから哀しまずに、俺の死を糧として、全力で生きていって下さい。
2つは、俺の臓器が無事だったら、それを売ってお金にしたり、お婆ちゃんや爺ちゃんの治療に使って下さい。
それが俺に出来る唯一の罪滅ぼしだから…
それと、爺ちゃんには優しくしてあげて下さい。過去には色々あったと思いますが、それでも大事な家族です。
大切にしてあげて下さい。
そして赤、青のバッティンググローブは形見として下さい。
今まで本当にありがとう
そしてさようなら
君がため 尽くす心は 水の泡
消えにし後は 澄み渡る空
遺 言
父さん、母さん、婆ちゃん、兄さん、俺が先立つことをどうかお許し下さい。
俺は、自分をさらけ出して生きていくのも、人に迷惑をかけていくのにも疲れました。
俺にはあまりにも思い出が多過ぎました。
最期にはお礼を言いたいと思います。
(a)、(b) へ
本当に最期まで味方してくれてありがとう。その笑顔が言葉が、どれだけ支えてきてくれたことか…俺は二人のことを誰よりも信頼してました。本当にありがとう。言葉では言い表せないくらい、ありがとう。
(c) へ
3年間、(c)のおかげで本当に楽しかったよ。部でのことや、野球観戦とか、すごい面白かった。でも「これから野球部を盛り上げる」っていう約束を守れなくてゴメンな。
(d)、(e) へ
前に行ったカラオケは、思えば最後の思い出だったからな。でも、あの時は自分を忘れるくらい熱くなれたかな。ありがとう。最近、(e)とは喧嘩しちゃってゴメン。(d)はこれからも頑張って野球部を導いて下さい。
(f) へ
最期まで「相棒」と呼んでくれてありがとう。今回の件には巻き込んじゃって申し訳ないと思ってる。大丈夫。これからも俺とお前は「相棒」同士だから。
(g)、(h) へ
映画もカラオケもすごく楽しかったよ。二人はいつも面白かったね。二人の楽しげな姿は俺の心に、今だに残っています。
(i)、(j) へ
二人のコント(?)や突っ込みや行動には笑いが絶えませんでした。そういえば(i)とは昔からの仲だよね。長い間本当にありがとう。(j)はこれからも「クラスの中心」として頑張ってな。
(k)、(l) へ
生徒会のこと、最期まで果たせなくてゴメンな。(k)は誰よりも優しく、誰よりもお人好しでしたね。俺はそんな(k)を心から尊敬してました。(l)は本当に温かい心の持ち主だった。その優しさで、いろんな困ってる人を助けてあげて下さい。
いじめ 教訓生かせず
川崎 中3自殺の学校、以前にも問題
川崎市多摩区の市立中学校三年の男子生徒=当時(14)=が自宅で七日、友人をいじめから救えなかったと悔やむ遺書を残して自殺した事件で、生徒が通っていた中学校では数年前にもいじめが問題化していたことが二十一日、分かった。学校や市教育委員会が「いじめ撲滅」を掲げて再発防止に取り組んできた現場で、なぜ教訓が生かされないのか。(川崎支局・北条香子)
複数の関係者によると2004年に、当時一年の男子生徒が、同級生たちに眼鏡を隠されたり、下着を切り刻まれるなど悪質ないじめを受け、二年生に進級した05年に不登校になった。三年生の06年秋、学校に戻ったが、卒業式には出席できなかったという。
市教委と学校は同年秋、校内に「いじめ撲滅対策委員会」を設置「教職員のいじめに対する認識が薄い」と判断し、どうしたらいじめの兆候に気づき、芽を摘むことができるかを議論。定期的に教員が生徒と二者面談することを決めた。
市教委や学校側は、教師が生徒の悩みを聞き出す体制をつくってきたという自負さえあったという。
篠原真矢君の自死経過報告(真矢君のお父さんより)
友人F君へのいじめが始まる。同じクラブチーム(野球)に所属する加害生徒2人を中心に、いじめが始まり、最終的には4人からのいじめを受ける。
友人F君をかばううち、加害生徒4人から「いじり」と称されるいじめ(叩く、蹴る、ズボンおろし等)が始まる。
担任より「真矢君はいじられキャラですね。クラスの女の子からシノが可哀想という声を聞きました。」との発言が有る。発言の真意は不明。
真矢の様子がおかしいので問いただすと「友達のF君がいじめにあっている。相手は4人で、そのうちの2人はF君と同じ野球クラブのチームメイト。平日は俺が見てやれるけど、土日は何をされているのか分からない。あんな良いやつをいじめるなんて許せない。」と泣きながら話す。
「F君がいじめにあっていると真矢が心配しているので、よく見ていてください。」と母親が担任に伝える。
担任より「真矢君がクラスメイトE君の教科書をはさみで切ってしまいました。積もるものがあったようです。」と電話あり。帰宅した真矢に問いただすと泣きながら、EがF君をいじめていることと、他にB、C、Dの3人の名前を挙げる。その夜、Eの家へ謝罪の電話を入れ、翌日教科書を購入。真矢に持たせる。「言いたいことはきちんと相手に言いなさい。そうしないと相手は直らない。このままだと真矢が悪者で終わるよ。」と言って学校に送り出す。帰宅後、真矢に状況を聞くも「あんなヤツに何を言っても無駄。早く終わらせたかったから、うわべだけ謝ったよ。」との事。それ以上は聞ける状況ではなかった。
ネット通販で除草剤を着日・時間指定(6月7日午前)にて購入手配。洗剤(溶剤)を店舗にて購入。
最後の思い出作りだと思ったのか、現地では必要以上にハイテンションだったとの事。
修学旅行翌日の代休(月曜日)。父母は仕事で不在。自宅には真矢と祖母のみ。午前中、手配してあった除草剤を代引きにて本人が受取る。昼食を食べた後、パソコンのメールにて友だち数人に、最後のさよならメールを送る。その後、自宅1階トイレに篭り、内側から鍵をかけ、目張りのためガムテープを貼り、硫化水素ガスを発生させる。17時頃、母親が帰宅。トイレのドアには「毒ガス発生。扉を開くな。高濃度の硫化水素が発生しています。即死するので絶対に扉を開けないでください。」の張り紙。すぐにドライバーで鍵をこじ開け、中で倒れている真矢を発見。救急搬送するも既に死亡しており、19時49分死亡確認。検死の結果、硫化水素ガスを吸っただけでなく、薬液が胃の中より見つかったため、薬液を飲んだことが判明。おそらく即死であっただろうとの見解。トイレから「俺自身と、友人Fをいじめた4人を絶対に許さない」と書いてある【遺書】が発見された。また、後日警察の捜査により、部屋の机の引き出しの中から、複数の友人に宛てた【遺言】が発見された。 (※ 【遺書】と【遺言】については、参考資料として添付してあります)
200人以上の生徒、保護者が参列。多くの方に弔問いただきました。
遺族、F君の両親を含む約10名の支援者と同行し、週に一度、学校側との対話を開始。学校側には現状報告の他に、真相の究明、F君の保護、加害生徒への指導・教育を要望するも、進展せず。同時期、外部からの招聘者を含め10人程度のメンバーにて、「調査委員会」が発足。
学校長から、加害生徒の4家族が代理人として弁護士を立てたことを聞く。訴訟対策?(真意は不明)
約1ヶ月間、全く進展しない不毛な話し合いに業を煮やし、学校側との対話を中止する。替わりに、週に一度現状報告をするよう約束させ、その報告は調査委員会のメンバーである市教委の2名より受けることになる。
調査委員会による報告書の中間報告を受ける。いじめの内容が明らかにされる。叩く、蹴る、肩パンチ、名前を呼んで振り向きざまにビンタ、集団で押さえつけての下着おろし等。
麻生署の刑事6名が家に来られて、被害届を出すよう薦められる。昨年2月に発生した、加害生徒4人による「パンツおろし事件」が立件できそうだとの事で被害届提出。
加害生徒4人のうち3人を「暴力行為処罰法違反」の疑いで書類送検。 当時13歳だった1人を非行容疑で児童相談所に通報。
調査委員会による報告書の最終報告を受ける。46ページにおよぶ立派な【調査報告書】が完成。いじめ内容だけでなく、両親の知らない真矢の性格、心情、自殺を決心するまでの心の振れにも言及。いじめと自殺との因果関係は認められなかったが、いじめが行われていたこと、それが自殺の原因の一つであったことは認める。また、学校体制の不備、教師の能力欠如に関して、強く反省を促す旨の非難が書かれていた。 (※ 【調査報告書】のまとめとして書かれていた「後書き」を、原文のまま参考資料として添付してあります)
一向に進展しない現状を打破すべく、F君の両親との連名にて、学校に要望書を提出する。内容は、①被害者であるF君の保護 ②加害生徒4人の教育と指導 ③生徒たちへの教育と心のケアーの3点。口頭での要望は無駄だと思い、文書での要望書提出となった。なお、要望書提出の際には、立会人として報道各社に声をかけ、同席していただいた。
2度の手直しを経て、回答書を受理。①→時期的にクラス替えは無理。そのため、F君と加害生徒たちは、卒業するまで同じ教室で授業を受けなければならないという異常な結果となる。 ②→週4時間の個別指導(別室にて)の実施。 ③→絵本「しらんぷり」を用いての学習。またエンドバイオレンスによる、いじめ防止プログラムの実施。
書類送検された加害生徒3人の少年審判開始が決定される。
加害生徒3人に、保護観察処分(半年間程度)が決定。
真矢の代理で、兄が卒業証書を受取る。遺族も遺影を持って列席。加害生徒4人は不参加。答辞の最後、生徒会長(真矢の友人)が「シノ(真矢の愛称)、一緒に卒業しような!」と、台本に無い言葉で呼びかけてくれた。この卒業式を期に、真矢の実名と写真を報道各社に公開した。
連合会のコメント
子どものいじめ自殺に関して、1986年に東京都中野区で起きた富士見中学校2年生の鹿川浩史君の自殺事件。俗に「葬式ごっこ事件」とも言われ、学級担任がいじめに加担するなど日本で初めていじめ自殺事件として社会的に注目された事件である。
1986年2月1日、岩手県の盛岡駅ビルのショッピングセンター「フェザン」のB1トイレ内で、東京中野の富士見中学2年の鹿川裕史君(13歳)が首を吊って自殺しているのが発見された。遺書が残されており、彼の自殺がいじめによるものだと判明した。いじめは日常的に行われており、”葬式ごっこ”なるいじめには教師も参加していた。
毎年増え続ける校内暴力を押さえる事も出来ず、逆にいじめ犯罪を放置する恐るべき教育現場だ。ある大手の新聞では今の学校の体質ではこの問題を解決するのは無理だと公表している。
鹿川裕史の遺書
家の人、そして友達へ
突然姿を消して申し訳ありません。
くわしいことについては〇〇とか〇〇とかに聞けばわかると思う
俺だってまだ死にたくない。だけどこのままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ
ただ俺が死んだからって他のヤツが犠牲になっちゃたんじゃ意味がないじゃないか
だから、君達もバカな事をするのはやめてくれ。最後のお願いだ。
昭和六一年二月一日 鹿川裕史