生きる力は弱いけど、世界を変えてみたいのかな・・

弱い自分にしかできないことを見つけよっかな・・・

悲しみについての終わりのない考察

2024-02-09 10:10:37 | 日記

悲しみ・・・

死別とか、離別とか。

人が目の前で死んでいったこと。

人の死の知らせを聞いて、もう二度と話すことはできないと思ったこと。

自分の支えになっていると信じていた人の心はもう離れていて、

さよならと告げられた時のこと。

 

嵐のような時が流れていたと思う。

確かにその時、何かがぐるぐる回っていたし、

重力よりも強い力で、体を地面に打ちつけるように倒れてしまいたかったし、

いろんな記憶が飛び回って、ぶつかったり落ちたり、

びしょびしょになったり、突き刺さったり・・・

そんな時間がそこにあったはず。確かにあったはず。

 

嵐が過ぎ去って、

あっという間なのか、

永遠ともいえるような長さなのか、

辿り方によってどうにでも変わってしまう時間が流れて、

何が起こったのかはわからないけれど、

悲しみは変質していく。

悲しみは変質してくれた、のかもしれない。

 

悲しみは、透き通っている気がする。

悲しみは、どんな音楽よりも静かで、

どんな沈黙よりも静かに

静寂から静寂の要素を全部抜き取って、

まだそこに残っている静寂よりも静かな、

そんな透明なものになっていた。

 

悲しみは透明で、静かで、

居心地の良さを作り出しているような気がした。

 

その居心地の良さは、静かな喜びと言ってもいいくらいな気がした。

 

たくさんの記憶。

たくさんの足跡。

 

悲しみのつまった宝箱を

とても大切に抱えていること。

宝箱を奪われてしまったら、それは悲しいことだけれど、

誰にも奪われずに「悲しみのつまった宝箱」を抱えていられることは、

たぶん、何にも変えられない喜びなんだろうな。

 

日陰にわずかに残った雪などを片付けながら、

そんな

悲しみと喜びのことについて

考えていた。

 


意味なんてなくても歩いていく

2023-04-07 14:28:28 | 日記

生きていることに意味があるとか

生まれてきたことには意味があるとか

そういう言葉って、違和感ばかり感じるよ。

どうでもいいって思うし、

真実を知っているみたいな口調で言う人の言葉も

なんかシラケるだけ。

 

意味なんて、なくていいんじゃない。

 

なんかやれば、失敗する。

続ければ、なにかできて嬉しい。

たまにおもしろい人に会うと嬉しい。

怒られると傷つく。

会えなくなると悲しい。

 

眠くなって目を閉じたら夢を見て、

目が覚めたから一日を始める。

 

何かに夢中になったり、

何かを成し遂げたり、

何かに挫折したり、

 

気がつくと歳をとっていたり、

 

意味なんてなくていい。

 

ただそんなふうに過ぎていく時間とか

二度と会えなくなった人がいることとか、

また会えるかもしれないこととか、

 

そんなおんなじようなことを考えている人が

世界中にあふれていることとか、

 

そんなことが、なんとなくいとおしい気がする。

 

そして誰かがおなじようにいとおしく思っている世界の中に

自分もいたりする。

 

そんなふうに

いろんな人があちこちで、

繰り返したり繰り返さなかったり、

そんなふうに生きている。

 

生きている。だから生きていく。

 

それ以上のことは、どうでもいい、かな。

 

そんな、今日の、気分。


感受性と記憶 力を奪うもの

2023-03-31 13:25:14 | 日記

泣き虫なんて呼ばれていた人は

きっと感受性が強くて(豊かで、と言った方がよいかな)

色々な出来事にいちいち大きく反応して、

喜んだり、驚いたり、悲しんだり、苦しんだりしてきたのだと思う。

 

もし、自分の人生の中の大事件といえそうな衝撃的なことに関しては、

割と記憶に残っているということが、

たくさんの人に共通だとしたら、

 

感受性豊かな人は他の人に比べて

たくさんの記憶を持っているかもしれない。

衝撃的なできごとばかりが起きていたわけだから。

 

何かをしながら、

景色を見ながら、

いちいち過去にあったできごとや、

それと関係する人が頭をよぎるとしたら、

そして二度と戻らない日々の郷愁みたいなものや、

二度と会うことのない人との思い出だとしたら、

 

例えば、空を見ると雲をみると、

桜を見ると、キンモクセイの香りを感じると

風がほほをなぜていくと、塩漬けのキュウリを食べると

とんびの鳴き声を聞くと・・・・

ひとつひとつきちんと思い出が蘇ってしまうとしたら、

 

それが積み重なって、

今を生きているだけで、

記憶があふれて

感情があふれてしまうとしたら、

 

良いとか悪いとかを置いておいたとしても、

抱えきれず、苦しくなってしまう。

そんな人っていないのかな?

 

あふれてしまいそうになっているのに、

なぜかそれは大きな空白みたいなものとして

感じられて、

力は奪われていく・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今日落ち込んでいるのであって、自分がダメになったわけじゃないってこと

2023-03-22 15:32:26 | 日記

とてつもなく落ち込んでしまう日、

そんな日は、なんて自分はダメなんだろうって、

自分の人生やら性格やらすべてがダメなんだなんて思えてくる。

 

それでも、少し元気な日、

ダメな自分のことを考えるより、

自然と、

自分のやりたいことを考えていたりする。

ほしいもののことを考えていたりする。

微妙な希望やら欲望があるって、

きっと少しだけ元気な証拠。

 

波があって、0を下に通過して、マイナス方向に伸びた線は、

どこかのタイミングで0を上に通過してプラス側に振れたりもする。

 

少しだけ元気になることが、もしも少しでもあるのなら、

落ち込んでしまった時も、少しだけ考え方を変えることができるのかもしれない。

 

元気がないときは、自分はダメなやつって思うけど、

それは元気がないとき、そんなことばかり思う癖があるってこと。

自分はダメなやつなんじゃなくて、

今、ちょうど、マイナス側に大きく振れているところだって。

そして、この波は必ず、プラスとマイナスを行ったり来たりするんだって、

そんなふうに思うんだって、決めておいた方がいいみたい。

 

マイナスになっている時、

今日の気分がマイナスに振れているから、

今日はマイナスのことを思ってしまう傾向が強くなる日なんだ。

 

そんなふうに思うこととか、

そんなふうに思える準備とか、

とても大切なのかもしれない。

 


心が落ち着かない悪循環

2023-03-20 11:29:44 | 日記

身の回りのいろんなできごとで、

心が落ち着かない状態になっている時って、

色々な情報に敏感に反応しすぎてしまうような気がする。

 

戦争がおきていたり、

国と国が非難し合ったりする、

そんなできごとを見ながら、体が小刻みに震えてしまったり、

 

そんな世の中の違う側では、

日々を楽しむ人の日記が綴られていたり、

お金儲けの話を真剣に学んでいる人がいたり、

 

そんな様々なできごとの間に

どうにもならないくらい大きな隔たりを感じて、

出来事のひとつひとつが同じ世界で起きていることを

受けとめきれないのか、

やけに胸がドキドキしたり、

吐き気をもようしそうになったりしている。

 

自分の心が弱っているせいだと思うけど、

弱っている時って、

逆にいろんなことをしっかり感じられる時なのかもしれない。

 

きれいなことを言うのは簡単だけど、

ほんとは何もわからなくなってしまったのかもしれない。

 

平和だとほんとに人は幸せなの?

戦いは人を不幸にしているの?

人の生きる力を生み出しているものは何?

この悲しみはほんとうに悲しみなの?

誰かからの搾取なしにこの世界はなりたつの?

たくさんの不公平から

 目をそらさず耳をふさがず生きていく方法はあるの?

そしてそれは良い生き方なの?

きれいに答える人がいたとしたら、

 その人は信用できる人なの?

 目も耳もしっかり開いていて

 世界中の不公平をきちんとわかっている人なの?

資本主義に組み込まれていたり、

承認の欲求におぼれていたり、

そういうものから自立してものごとを進められる人なんて

この世の中には、きっといないんだろうな。

いるとしたら、きっと嘘つきなんだろうな。