時間を守れない人がいる。
そんな人に対して、どこまで寛容になる必要があるのかな。
約束を守れない人がいる。
そんな人に、どこまで寛容になれるだろう。
任せられたことをただするだけなのに、それができない人。
その人のために、いろんなことが滞ってしまっても、寛容でいられるだろうか?
正義はそれぞれだし、
道徳観もきっと差があるし、
生まれ育った文化背景も違うのかも。
人の痛みがわかるとかいうことも、
遺伝子的に思いやりのような感覚が薄い人もいるのだとしたら、
誰も責められないし、そんな多様性を受け入れるのだろうか?
こんなふうに考えるのは、
どこかで自分がいい人でいたいという気持ちの表れなのかもしれない。
それはそれで独りよがりで、
そこにありそうな正義はたぶん歪んでいるんだろう。
きっと、
歪んだ正義感を持った人たちは
同じように歪んだ正義感を持った人たちと群れたがり、
そこで安心して、
自分たちとは違う正義感を持った人たちを
連帯を組んで、責めるのだろう。
おまえたちは正義ではないと言って。
きっと寛容である必要なんてない。
大切なのは、自分がそこで傷ついていくかどうか。
傷つくことがないのなら、寛容でいればいい。
傷つくようだったら、責めるなり、逃げるなりして、
しっかり自分を守ることが大事。
たぶん、答えなんてない。
長い時間の後に、答えに近いことが
少しだけわかる。
そんなもんだと思う。
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