かつて住んでいた辺りに、
まっすぐな道があって、
それは小さい頃、力一杯走った道。
運動会の練習だとか言って、
100m、200m、思いっきり駆け抜けた。
その道に立って、
過去の記憶が蘇って、
そして、なぜ、
ただそこに現れた過去の記憶が
ただそれだけで、悲しみになってしまうのか、
よくわからない。
二度と戻れない過去は悲しみ。
二度と会えない人との記憶は悲しみ。
たくさんあったはずの嬉しいできごとたちも、
なぜか、みんな悲しみの姿をしている。
なんでだろう。
ただ、なにか自分の中に、
この倒れてしまいそうな悲しい気分の中に、
なぜか、
いつまでもそこにとどまっていたい自分がいる。
悲しみの姿をした気分の中に、
そこにとどまっていたいと思う「望む」気持ちが確かにある。
それはまるで、
死にたい気持ちの中に、
生きたい気持ちが宿っているみたいな、
そんな予感につながるもののような。
じっとじっと心の中をのぞきこむと
その気持ちを作り出した裏側のものや、
その気持ちを作り出している全くべつのものや、
絶望の顔をした希望みたいなものに
気づくことができるのかな。
朝早い西の空に
まんまるい赤い月が浮いていた。
月が沈むこと。
太陽が昇ること。
それがほぼ同時に起きていること。
そんな時間と
そんな空間の中に
いる
自分。
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