生きる力は弱いけど、世界を変えてみたいのかな・・

弱い自分にしかできないことを見つけよっかな・・・

生きやすくなっているの?

2023-03-19 11:01:48 | 日記

すべてを一括りにする気はないけれど、

より多くの人がより生きやすい方向に向かって

世の中は進んでいるのかなって、疑問に思う。

 

幸せと関係しそうな、喜びってものが、

幸せとは関係しない、喜びって思わされてる何かに

替わっていることもたくさんあるような気がして。

 

往復2時間かかった道のりを

1時間ですむようになって、少し幸せ度が増したと思ったら、

2日かかったはずの仕事を

2往復して1日でやることになった、なんて。

 

幸せになったのは誰なんだろう。

100年かけて味わった楽しみを

50年で楽しめるようになったら、

人生を2倍楽しめるようになったってことなのかな?

 

2時間で1本だった映画を2時間で3本見られるように

高速再生できたり、脳の理解能力を3倍高めたりできたとして、

それって、人生を3倍楽しめるようになったってことなの?

 

より速く(より良くは当たり前として)、が企業が競争で勝つために必要で、

そんな社会の中で、

短い時間の中にたくさんのことが

押し詰められていって。

空いた時間にさらに押し詰められていって。

 

どれだけ同じ時間の中に中身を押し詰めて、

空き時間を作って、

そこにさらに押し詰めていけることが

能力が高いということで、

 

詰め放題一袋いくら、

みたいな、

お菓子だか果物だかをより多く詰めた満足感が

ひとの幸せっていう話・・・。

 

短い幸せと長い幸せがあったり、

飽きてしまう幸せがあったり、

繰り返しても大丈夫な幸せがあったり、

突然手に入る幸せや、お金で手に入る幸せや、

人との比較で手に入る幸せや、

いろんな幸せがあるって話で、

 

本当の幸せなんて、わけのわからない言葉は使いたくないけど、

時間短縮、自動、便利、楽、そんな作業はしなくてよい、・・・

みたいな、頭のいい人はこっちを選択するよね、って言っているような

そんな価値観にも簡単にのっかっていきたくないって思う。

 

時代の価値観の押しつけみたいなものに、

疲れてしまった自分がいるって、それだけの話かもしれないけど。

 


挑戦し続ける 人それぞれの理由

2023-03-15 09:06:21 | 日記

挑戦し続ける

かっこいい響きだけれど、

そこには、きっと人それぞれの理由がある。

 

何かを求めて、果敢に挑戦し続けるような

子どもたちに聞かせたいドラマのような話もあるかもしれない。

 

でも、

静かな心の中にどうしても、

様々な悲しみや苦しみの記憶が入り込んできて、

(二度と戻ることのない楽しかった思い出が蘇って

悲しみをさらに倍増させたりしながら)

生きていることさえも危ういくらいに

心が激しく絞り上げられるような感覚になって、

 

そして、決して捨て去ることのない

そんな悲しみ達や

そんな心と一緒に過ごすために、

新しいことに挑戦し続ける。

 

そんな人もいる。

 

ほんとうに人を救いたいのかなんてわからない。

人を本気で救おうとしなければ、

自分の心と同居できないから

人を救おうなんて考えるのかもしれない。

 

ひとの笑顔と出会うとき、

自分の悲しみを忘れていることがあるから、

そんなことに気づけることがあるから、

人のために何かできないかと、

 

そのために自分の力を少しでも高められないかと

進み続けるのかもしれない。

挑戦し続けるのかもしれない。

 

誰かが言うのかもしれない。

不純な動機だね。

弱っちいね。

 

そうかもしれないけど、

それでも

こんなのでも

いいよね?

 

 

 


どこまで寛容になれるのか その必要はあるのか

2023-03-14 12:53:06 | 日記

時間を守れない人がいる。

 そんな人に対して、どこまで寛容になる必要があるのかな。

約束を守れない人がいる。

 そんな人に、どこまで寛容になれるだろう。

任せられたことをただするだけなのに、それができない人。

 その人のために、いろんなことが滞ってしまっても、寛容でいられるだろうか?

 

正義はそれぞれだし、

道徳観もきっと差があるし、

生まれ育った文化背景も違うのかも。

 

人の痛みがわかるとかいうことも、

遺伝子的に思いやりのような感覚が薄い人もいるのだとしたら、

誰も責められないし、そんな多様性を受け入れるのだろうか?

 

こんなふうに考えるのは、

どこかで自分がいい人でいたいという気持ちの表れなのかもしれない。

それはそれで独りよがりで、

そこにありそうな正義はたぶん歪んでいるんだろう。

 

きっと、

歪んだ正義感を持った人たちは

同じように歪んだ正義感を持った人たちと群れたがり、

そこで安心して、

自分たちとは違う正義感を持った人たちを

連帯を組んで、責めるのだろう。

おまえたちは正義ではないと言って。

 

きっと寛容である必要なんてない。

大切なのは、自分がそこで傷ついていくかどうか。

傷つくことがないのなら、寛容でいればいい。

傷つくようだったら、責めるなり、逃げるなりして、

しっかり自分を守ることが大事。

 

たぶん、答えなんてない。

長い時間の後に、答えに近いことが

少しだけわかる。

そんなもんだと思う。


梅を見る人梅を食う鳥

2023-03-10 11:00:54 | 日記

しだれ梅が咲いていて

きれいですねと言って人が過ぎていく。

梅の木の上の方をみると

ヒヨドリが忙しそうに梅の花をつついている。

食べているのかな。

 

梅の花が美しいとか言う人や、

梅まつりをしようとか言う人は、

ヒヨドリのことをきっと嫌がるわけで、

 

ヒヨドリのことが好きな人は、

どんどんお食べ、なんて言いながら、

きっとニコニコしている。

 

ヒヨドリが梅をつつくのを見て楽しむ会なんてのが

あってもよいのかもしれないし。

 

花を愛する人たちも

守りたい美しいと思うもののために、

時に好戦的になることもあるだろう。

 

花を食べることを愛するものたちと、

うまくやっていくことは難しいのだろう。

 

梅が咲いたよ。あっそう。春だね。

鳥が梅を食べているよ。おいしいんだろうな。

関心もこだわりもない人たちが、

平和な素敵な人に思えるのは、良いことなんだろうか?

 

 

 

 


悲しみの中にあった希望みたいな何か

2023-03-07 10:32:10 | 日記

かつて住んでいた辺りに、

まっすぐな道があって、

それは小さい頃、力一杯走った道。

運動会の練習だとか言って、

100m、200m、思いっきり駆け抜けた。

 

その道に立って、

過去の記憶が蘇って、

そして、なぜ、

ただそこに現れた過去の記憶が

ただそれだけで、悲しみになってしまうのか、

よくわからない。

 

二度と戻れない過去は悲しみ。

二度と会えない人との記憶は悲しみ。

たくさんあったはずの嬉しいできごとたちも、

なぜか、みんな悲しみの姿をしている。

なんでだろう。

 

ただ、なにか自分の中に、

この倒れてしまいそうな悲しい気分の中に、

なぜか、

いつまでもそこにとどまっていたい自分がいる。

 

悲しみの姿をした気分の中に、

そこにとどまっていたいと思う「望む」気持ちが確かにある。

それはまるで、

死にたい気持ちの中に、

生きたい気持ちが宿っているみたいな、

そんな予感につながるもののような。

 

じっとじっと心の中をのぞきこむと

その気持ちを作り出した裏側のものや、

その気持ちを作り出している全くべつのものや、

絶望の顔をした希望みたいなものに

気づくことができるのかな。

 

朝早い西の空に

まんまるい赤い月が浮いていた。

月が沈むこと。

太陽が昇ること。

それがほぼ同時に起きていること。

そんな時間と

そんな空間の中に

いる

自分。