生きる力は弱いけど、世界を変えてみたいのかな・・

弱い自分にしかできないことを見つけよっかな・・・

絶望感の中でひざをかかえている自分へのいとおしさ

2023-02-28 13:26:36 | 日記

友人の性格が変わっていく。

暗めだった友人がイケイケな感じなった時、

喜びと寂しさがあるのはなんでだろう。

 

自分の中の記憶と同じ人でいてほしい、

そんなことを思っている自分がいるのかな。

 

人は変わっていく。良くも悪くも。

良いとか悪いとか、心の中で思うのは仕方ないけど、

変わっていく今をそのまま受けとめていくしかないし、

きっとそれが大事。

 

とてもとても落ち込んでいた自分が、

いろんな出来事の中で、気がついたら

元気に積極的に変わっていることもあるかもしれない。

 

明るく社交的だった自分が

暗く消極的な自分になってしまうこともあるかもしれない。

 

時間の向こう側とこっち側とあっち側で違う自分がいることを

ちゃんと知っておきたい気がする。

 

落ち込んで自分をひどく深く傷つけてしまったら、

もしも、もしも、いつか明るく元気な自分になった時、

過去に落ち込んでいた自分がつけた深い傷のせいで、

思うことが行動に移せなくなったとしたら、

今とは違う過去の自分を恨むことになるんだろうな。

 

未来の自分を傷つける。

そういうことも

しっかり考えなくちゃいけないんだろうな。

 

今は絶望感の中でひざを抱えている時間が

たまらなくいとおしいとしても。

 

 


正義は正義に寛容になれるのかな

2023-02-27 10:48:07 | 日記

正義感を持って強く戦えることはすごいと思う。

ただ残念なのは、

その正義が誰から見てもほんとうに正義なのかはわからないってこと。

 

それぞれがそれぞれの正義を持っているのだ!

なんて正義感を持っていおうとすると、

いや誰が見たってこっちが正義だってわかるでしょ?

って片方の側からきっと言われる。

 

そんな主張をしあうことって、

意味ないよって誰かがいうのかもしれないけど、

そうやって主張し合うことで

生きる意味やら自分の居場所やらを

確認している人も、たぶん、いる。

 

正義ってそれだけで、強さをもっているから、

あまり寛容さをもってはいないと思う。

 

いろんな正義があるってこと、

時には、

正義でないところから寛容に眺めていることも大切なのかも。

 

 

 


人の救い方や世界の変え方の基本について

2023-02-26 09:44:29 | 日記

たとえば

人に話を聞いてもらえるだけで救われる人がいる

たとえば

人に質問されて

答えを必死で考えているうちに救われていく人がいる

たとえば

人から目からうろこが落ちるような話を聞かされて

変わっていく人がいる

 

目標をもって生きていくことに目覚めていく人がいる

 

尊敬できる人の言葉によって救われる人

頑張っているひとを見て救われる人

 

でもさ、たぶんそんなきれいなことばかりじゃない

 

理不尽なものごとへの怒りを生きる力にしている人

理不尽でもなんでもなくても

なにしろ敵をみつけて攻撃的な気持ちを持つことが必要な人

 

優越感みたいなものにしかいきる意味を見つけられない人

人と比較して優越感に浸ったり、劣等感で攻撃的になったり、

そんなふうにしながらしか生きていけなくなってしまっている人

 

そんなとても尊敬なんてできない人たちも一緒に暮らしているこの世界を

一方向の言葉や思想で救えるわけなんてない

誰もが納得するなにかなんてあるわけない

 

そんなことを知りながら

そんなことをしっかり受け止めながら、

 

それでも 自分を含めた

そんなどうしようもない様々な人たちに

いとおしさを感じながら

世界を変えてみたいな、素敵な世界にしてみたいな、

ってたくさんの人が思うことが大切って

なんか大きな矛盾を含む言葉を発したいみたいなんだ・・・

 


世界が遠く感じられる時がある

2023-02-25 09:56:57 | 日記

今いるこの世界が

とてもとても遠く感じられる時がある。

現実感の喪失って感じなのかな。

魂とか

意識とか

そういうのって、きっと勘違いでしかないんだろうなって

そんな気がしてくる。

 

長い長い時間をかけて、

なんかの偶然かなにかで、

自己増殖できるような生命みたいなものが生まれて、

生まれてしまったものは、

そこにあるから、そこにありつづける、

って感じで、外と自分を分けて

外から自分を守って、

 

そして行き着いたところに

自分を意識するみたいなことが起きただけで、

まあ、そんなものなのかな、って。

 

なんかすごく冷めた目で生命とかを見てるくせに、

なんで、生きてることのつらさみたいな

自分のことでこんなに悲しんだり苦しんだりするんだろう。

 

説明が必要なのか、

説明できるのか、

どうでもいいのか、

よくわからないまま。

 


本当に悲しんでいるのかさえわからなくなる時

2023-02-23 09:57:51 | 日記

とてもとても悲しいと自分では思っている、けれど

とてもとても悲しいんだよと、

誰かに思ってほしいだけなのかと思うことがある。

悲しい気持ちでいなければ、

誰からも忘れられてしまうから、

一生懸命に悲しい気持ちの中にいようとしている。

そんなふうに思うことがある。

 

どうやったら回りが気づいてくれるかな、

それが大切な時がある。

なんかすごく嫌な感じもするけど、

そういうものなのかな。

 

でもさ、誰かがさ、

人に同情されたくて悲しみに浸っているんでしょ、って

言ってきたとしたら、

たぶん、怒ると思うよ。

 

それは

半分ほんとだから。

それは、人に同情されたくてそうしている自分を

とても嫌いだけど、一生懸命否定しようとしている自分がいるから。

分かっているけど、

頑張っているんだよ。