今から9年程前の話です
母が天に召されて香典返しの品を探している時のこと
色々さがした中で以下の所で決めました
近くの特定郵便局と扱っている品(郵便局と三越伊勢丹コラボ品)は送料が一部有料でしたので却下
同じ商品でも郵便局本局で(郵便局と三越伊勢丹コラボ品)が金額に関係なく全て送料無料でした
こちらに決定
本局担当者の方が、私の母親が亡くなったばかりなのにヘラヘラと言う表現は適切ではありませんが、
ニコニコしている姿に驚いた話です
11か月の闘病生活で2日お休みしただけで毎日お見舞いに行き、母にしてあげることはこれ以上ない程で
天国へ見送りました
天国に召されるのは喜びとキリスト教は表現します
現在の聖書
担当の方30歳代男性独身、お父様が心臓発作で突然亡くなり 忌引き明けの日だったのです
お話をしていた時、彼の目がウルウルして泣いてしまいました
あれ~どうやって慰めよう・・・
職人さんで頑固オヤジ、親に何もしてあげられなかった…
私、父親の介護で大変だった、母は倒れて入院なので介護はしなかったけど
介護って本当に大変だよ
父は悪いなぁと言っていたけど
「悪く無いことしてないから私以外の人にありがとうって言って」
そんな話をしました
お父さん頑固って言うなら身体が不自由になって介護状態になったら
俺が家族に迷惑かけてたまるか!!それならポックリいった方がマシだって言う人じゃないの?
そうです。そんなオヤジです
亡くなったのは悲しいけど、お父さんにしてみたら 本望な思いあるかもしれないよ
そのような形でしか慰めることが出来なかったです
私がいつも持っている聖書の言葉があるのをパソコンで打ち込印刷した1枚を持っていました
辛い時それを読んで祈っていました
それを差し上げました
これ読んでねと言って渡しました
彼に渡した聖書の個所です
私が悲しい時に 牧師先生にお話をして その事柄にあった聖書の個所を教えて下さいます
それを自分で小冊子にしてまとめたものです
表紙
我が家の墓石に刻んである聖書のことばです
裏表紙
バッグに入れて外出先で辛いことがあった時読んで気を静めています
だからボロボロになってしまいまいした
私の教会の場所と日曜礼拝の開始の時間と、毎週水曜日の学び会の時間を教えました
よかったら来てねと
それから1か月半程した日曜日に礼拝に来てくれました
一度お礼を言いたかったと
あの詩いいですね
心に沁みて慰められました
その前に水曜日に一度教会に行ったけど閉まっていたと(休会日)
教会って 初めて訪れる人は敷居が高いと言います
入り口に入るまでって結構勇気がいるようです
でもこのお父さんを亡くなれた方、一人で入り口には入らなかったのです
その理由は次回続きブログに書きます
それは とても不思議な出来事があったのです
今でもそれは 2度と体験できない程のことです
以下の聖書の個所をA4にプリントアウトしていつも持っていました
それを彼に差し上げました
旧約聖書 伝道者の書 3章 1節~15節
1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
3 殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。
4 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
5 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
6 捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
7 引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
9 働く者は労苦して何の益を得よう。
10 私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
12 私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。
13 また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。
14 私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かを加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。
15 今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。
16 さらに私は日の下で、さばきの場に不正があり、正義の場に不正があるのを見た。
17 私は心の中で言った。「神は正しい人も悪者もさばく。そこでは、すべての営みと、すべてのわざには、時があるからだ。」
18 私は心の中で人の子らについて言った。「神は彼らを試み、彼らが獣にすぎないことを、彼らが気づくようにされたのだ。」
19 人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねば、あれも死ぬ。両方とも同じ息を持っている。人は何も獣にまさっていない。すべてはむなしいからだ。
20 みな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。
21 だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。
22 私は見た。人は、自分の仕事を楽しむよりほかに、何も良いことがないことを。それが人の受ける分であるからだ。だれが、これから後に起こることを人に見せてくれるだろう。
この個所は 私がgooブログ以外で一時書いていた他のブログに掲載していました
そちらのブログは掲示板のようなサイトで blogもあってついでに書いて gooブログへリンクするようにしてありました
心が折れて悲しみに暮れている女性にこの聖書の言葉を伝える為に書いたのです
彼女もこの言葉に 励みになったとお礼を言われました
最後まで読んで下さりありがとうございます
次回へ続きます