今日は私が敬愛してやまない小説家、ミラン・クンデラの誕生日である。
『存在の耐えられない軽さ』を初めて読んだ時の衝撃は、今でも忘れない。
小説とはこんなにも広い世界だったのか、と、私の小説観の地平線が、
ずっとずっと遠くへと消え去っていった。
小説とはこれほども柔軟で、自由なのか。
まだ青二才だった私の世界はぐっと広がっていったのである。
それまで読んでいた小説では、作者が作中に登場するなんて事は
起きなかった。
私はトマーシュのことをもう何年も考えているが、でも重さと軽さという考え方に光を当てて初めて、彼のことをはっきりと知る事ができた。トマーシュが自分の住居の窓のところに立ち、中庭ごしに向こう側のアパートの壁を眺めて、何をしたらいいのか分からないでいるのを私は見ていた。(p.11)
後々、こうしたある意味実験的な手法を用いた小説は少なくないのだと
私も知る事になるが、そういう事実を知る上できっかけとなった作品だ。
クンデラの次の言葉が私は好きだ。
私の小説の人物は、実現しなかった自分自身の可能性である。それだから私はどれも同じように好きだし、私を同じようにぞくっとさせる。そのいずれもが、私がただその周囲をめぐっただけの境界を踏み越えている。まさにその踏み越えられた境界(私の「私」なるものがそこで終わる境界)が私を引きつけるのである。その向こう側で初めて小説が問いかける秘密が始まる。小説は著者の告白ではなく、世界という罠の中の人生の研究なのである。(p.280)
『存在の耐えられない軽さ』は私にとって今でも大好きな作品だ。そして彼のどの作品も、
同じように大好きだ。
クンデラ先生、お誕生日おめでとうございます!
Happy birthday, Mr.Kundera!
[引用文献:『存在の耐えられない軽さ』(集英社文庫 1998年11月25日)]