いよいよ目の前に迫ってきました、愚息の永平寺上山日。
近隣の若手僧侶のお手伝いをいただきながら、食事のしかたや上山の威儀(雲水の着付)の練習など行っております。
安居修行したことのある人は皆そうでしょうが、私も永平寺上山で一番苦労したのが応量器を使った僧堂飯台(坐禅堂での食器の使い方、食事のしかた)でした。
前回も書きましたが、食器の使い方がわからないということは、ご飯が食べられないという事なのでありますね。
「大本山永平寺」という800年の修行道場の重み、坐禅や正座の足の痛み、修行独特の緊張感、そのうえ慣れない読経・・・
さらに訳の分からない食事作法・・・・食べられません・・・
食べたいのに食べ方がわからない・・手づかみで食べたい衝動にかられます・・
そのうち、食事自体が苦痛になってくるのですねぇ・・・(*_*;
こうなるとほかの修行にも悪影響がでてきます、なので食べ方だけは教えておかないといけません。
これまで弟子の康樹さん、玄明さん、伯父のP一道さん、ほか有縁の小僧さんたちに食事の基本を教えてきたのは、自分が大変だったから。
細かい作法は永平寺に行ってから教わるとして、とにかく食べ方の基本だけ教えておかねば、というところなのです。
応量器の使い方は、朝昼晩で違うので、初心の人にはかなり大変です。
茶道の作法の原型になったのが応量器展鉢だと言いますから、その難儀さは推してしるべし、であります。
家内に練習の様子を撮ってもらいました。
師弟仲良く御食事であります。
煮物や酢の物はおばあちゃんが作ってくれました。
坐禅堂ではないので実際はちょっと違うのですが、それでも坐禅を組んでの食事作法は一緒です。
食事の前にたくさんの偈文を唱えますので、けっこう時間がかかります。
それもこれも、食べ物や作ってくれた人、大自然に感謝をささげるためのものです。
下はお昼ごはんの時の食事作法。
生飯(さば)といって、いただいた食事を自分だけが食べるのではなく、鬼神や虫や鳥にも供養布施するという作法があります。
下は夕食のパターン。いちばん大きなお鉢は使いません。
やかんからお湯をもらって、それぞれの器をきれいに洗い、重ねて収納します。
で、飯台替わりの敷居を拭いてもらって終了。
覚えることが沢山あって大変なのですが、慣れると至極快適にご飯が食べられるようになります。
食器を持った躰が勝手に動くので、食事に集中できるわけですね。
黙々と食べる朝のお粥の美味さといったら・・・・!
お米の美味さが五臓六腑にしみわたるのですよ・・・(*^-^*)
どんな上等なレストランもかなわない、と私は思います。
応量器でいただく食事は、食は命だという事を身体ではっきりと理解できる修行です。
応量器で食べる食事、修行のすばらしさを、一日でも早く感じてもらいたいために練習を重ねているわけなのです。
ちっちゃな梅園の梅が盛りを迎えました。
香りだけでなく、色合いもすばらしい。
昨秋にいただいた河津桜も一輪咲いています。
樒(しきみ)の花が、いつの間にか満開になっていました。
おまけ
頭を剃ってあげました。
今日はここまで。