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人口急減は止められないのか 失われた3度のチャンス

2021-12-13 12:00:00 | 日記

下記の記事を日経ビジネス様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

人口は国力の源である。国際関係の構造は、基本的に「大国」が定め、「小国」はその枠組みの中で生き残るすべを探るしかない。コロナ禍の影響もあり、出生数がさらに減る日本は、人口急減に直面し、政府が目標として掲げる「一億人国家」の維持すら危うい状況に陥っている。このまま、我々は手をこまねいて「小国」となることを受け入れざるを得ないのか。

小説形式で、多角的な視点から人口問題を論じた衝撃作『人口戦略法案』を著した山崎史郎氏が、日本が過去に逃した人口急減を止める3度のチャンスとは何だったのか、なぜ今人口対策に緊急に取り組まなければならないのかを解説する。

高齢化率40%の「年老いた国」になる危機

政府は各種の対策を講じているというが、いまだ少子化や人口減少に歯止めがかかっていない。このため、子や孫、さらに将来世代には一体、どのような社会が待ち受けているのか。国民の多くは、日本の将来に大きな不安を抱いている。そうした将来への不安が、人々のチャレンジする気持ちを萎えさせ、消費や投資を鈍らせてはいないか。

日本の人口は、このままいけば2110年には約5300万人にまで減少すると推計されている。今から約100年前の1915年は同じような規模の人口だったのだから、昔に戻るだけではないかという意見もある。

しかし、そうした意見は高齢化の問題を度外視している。人口減少は必ず高齢化の進行を伴う。1915年ごろの日本は、高齢化率5%の若々しい国であった。一方、予想される将来の日本は、高齢化率40%に近い「年老いた国」である。

なぜこんな事態になったのか。筆者は、これまでの人口をめぐる動きや人口政策の歴史を見るに、今日の事態を阻止できそうな機会が、3度はあったと考える。

1度目は、1970年代後半から80年代にかけて。2前後で安定していた出生率が大きく低下していった時期である。しかし当時は、戦前の「産めよ、殖やせよ」の政策への反省や、戦後の出生抑制政策の流れが強かったことから、出産奨励策はタブー視され、対策はまったく講じられなかった。

また、出生率の低下は「出産のタイミングの遅れ」による一時的現象で、いずれ回復するだろうという楽観的見通しが、専門家の間でさえ共有されていた背景もあった。「出産奨励のタブー視」である。

2度目は、1989年に出生率が「ひのえうま」の年を下回った「1.57ショック」をきっかけとして、政府が少子化対策に乗り出した90年代前半である。初めて取り組んだ姿勢は評価できるが、政策は小粒で、有効な成果にまでは至らなかった。政府全体の力点が眼前の課題、高齢化対策に置かれ、少子化対策への取り組みは質量ともに十分でなかったことや、子育て制度の拡充について関係者の理解が十分得られなかったことが理由にあげられる。「政策の後回し」である。

人口減少を阻止できる機会は過去に3度あったが……(写真:StreetVJ/shutterstock.com)

就職氷河期世代と幻の「第3次ベビーブーム」

そして3度目は、2度とやって来ない貴重な機会であった。1970年代前半に年間200万人もの出生数があった「第2次ベビーブーム世代」が、結婚し子どもを生めば、「第3次ベビーブーム」がやってくるのではないか。そうなると、少子化の動きも緩和するのではないかと期待されたのである。

その時期とは、彼らが20代後半から30代を迎える、1990年代後半から2010年代前半で、最も期待されたのが2000年前後だった。

ところが、その時期にちょうど日本は、金融システム不安に端を発した経済危機に見舞われ、さらにリーマン・ショックが襲いかかった。この時の最大の犠牲者は、第2次ベビーブーム世代をはじめ、後に「就職氷河期世代」と呼ばれた若者世代であった。若者の多くが、厳しい就労・生活環境に追い込まれ、すでに進行していた晩婚化はさらに進み、未婚者は急増した。

その結果、出生率は2005年には過去最低の1.26にまで落ち込み、その後も低迷した。これは、第3次ベビーブームを失ったという意味で、「世代の喪失」とも言うべき敗北である。

こうした動きの背景には、東京圏への「一極集中」があることも忘れてはならない。東京圏へは、今なお若年世代が大量に流入し続け、その東京圏は東京都の1.13をはじめ、出生率は非常に低い。このような人口移動の構造が、日本全体の人口減少に拍車をかけてきたことは否めない。

そして今や、東京圏には若年女性人口の3分の1が集まるまでになっており、東京圏の動きが日本全体の出生率を左右するような状況となっている。

これまでの対応は「不戦敗」ではないか

こうした中で、ようやく「どうにかなる」という根拠なき楽観論は下火になりつつあるが、逆に、今度は「もう、人口急減は止めようがない」というあきらめに近い考え方が広まりつつある。

今後の人口減少を想定して、付加価値生産性の向上を図っていくことは重要であり、人口減少に適応するだけでも取り組むべき課題が山積している。しかし本当に、受け身の対応だけでいいのだろうか。人口急減は止めようがないと、あきらめてしまっていいのだろうか。そして翻って、これまでの対応は、国民すべてが力を出し尽くした上での敗北だったのだろうか。

そうではなくて、「不戦敗」だったのではないか、と感じざるを得ない。多くの女性は自らの生活を懸け、仕事をあきらめてまで、出産、子育てに奮闘してきた。保育の現場では、人手が不足しがちな態勢の中で懸命に子どもを預かってきた。そして祖母たちは、娘の子育てを手伝い、わが国の子育て制度の空いた穴を埋めてきた。

一方、父親はどうだったか。企業はどうだったか。そして行政は、政治は、この問題に全身全霊をもって取り組んだのだろうか。多くの父親は仕事が忙しいこともあり、育児への参加はあまりに少なかったのではないか。子育て期にある若者を長時間働かせる職場は、今なお多いのではないか。目の前の問題への対処が優先されるからといって、少子化対策をなおざりにしてきたのではないか。

いろいろな制度をつくり、対策を講じても、本当に出生率回復に効果があるものは少なかったのではないか。我々は、今一度、人口減少を自らの問題としてとらえ、今の流れを変えることに勇気をもって挑戦する必要があるのではないか。このことが、筆者が、人口急減を止める抜本的な改革に取り組むべきではないか、と考える理由である。

これまで父親の育児参加が不十分だったのではないだろうか(写真:kazoka/shutterstock.com)

今後2~3年が、人口急減を止めるギリギリのタイミング

日本の出生率は、2005年に過去最低の1.26を記録した後に反転し、2015年の1.45までの10年間、上昇が続いた。これは久しぶりの朗報で、出生率回復に向けて本格的な動きが始まったのではないかとの期待も高まった。

しかし、残念ながら2016年以降、出生率は再び低下の世界に戻っていった。その背景には、この出生率回復は、出産を先送りしてきた第2次ベビーブーム世代などが子どもを生む限界の年齢である30代後半になり、「駆け込み出産」をしたことによる、一過性の現象だったということがある。

本格的な回復のカギとなる、20代後半から30代に差しかかる1990年代生まれの若者の出生動向は、現在のところ過去最低の水準で推移している。そして最近はコロナ禍の影響も加わって、出生率はさらに低下の方向に動くのではないかと懸念されている。先行的な指標である婚姻数や妊娠数の動向によっても、そうした動きは確認される。

このままだと、コロナ禍が終わっても、先送りされた出生は7~8割しか取り戻せないのではないか、という専門家の指摘もある(*1)。そうなると、出生率はもう一段低下し、かつての2000年代初頭の「世代の喪失」とも言うべき事態が、再来するおそれすらある。

こうした点で、これからの2~3年間は、日本の人口急減を食い止めるギリギリのタイミングにあると言える。ここで、我々が再び不戦敗を繰り返すならば、子や孫など将来世代に、これから100年近く、人口減少と高齢化という急な坂道を歩かせることになる。実態は切迫しており、我々は人口急減を止める抜本的な改革を急がなければならない。

*1 岩澤美帆「衝撃に強い社会、出生減を防ぐ」(日本経済新聞「経済教室」、2021年7月28日)

山崎 史郎

元内閣官房地方創生総括官・前駐リトア



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