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「『家政婦』扱いするあなたに愛情はない」。妻に切り捨てられた定年夫の悲哀

2021-12-16 15:30:00 | 日記

下記の記事は婦人公論.jp様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

自分の人生を生きるため、“主婦業” を前向きに卒業していく女性に対し、定年を前にした夫たちは立ちすくんでしまうケースが少なくない。人生の節目で、夫婦の明暗が分かれてしまうのはなぜなのか──(取材・文=奥田祥子)

2人で温泉巡りでも……と思っていたのは夫だけ

リタイアして初めて、家庭に自分の居場所がないことに気づくという男性は多い。私は新聞記者時代から20年にわたり、「夫婦関係」について、さまざまな人に継続的にインタビューを行ってきた。佐藤良一さん(62歳・仮名=以下同)もその一人だ。誠実な人柄で、真面目に仕事に取り組んできたことは疑いようがない。だが一方で、夫、父親としてはどうだったのだろうか。

「長い間、家族のことを思って懸命に働き続けてきたんです。定年後はかみさんとゆっくり温泉巡りでも、と思って、継続雇用も希望しなかったんですが、まさかこんなことになるとは……」

2018年初春、兵庫県内の高級住宅地にある自宅近くのカフェで、佐藤さんは時にを紅潮させ、また時に唇を小刻みに震わせながら、思いの丈をぶつけた。

 

佐藤さんと知り合ったのは1999年。大手メーカーで課長職に就いていた彼に、成果主義人事制度の根幹をなす人事考課の考課者としての悩みを聞いたのが始まりだった。

「賃金に影響する評価を相対的に5段階に振り分けねばならず、低い評価の者のことを考えるとつらい。彼らにも家族はいるわけで……。でもそれは自分も同じ。妻子のためにもこの仕事は避けて通れないんです」

考課制度の矛盾を批判しながら、自他問わず、家族を思いやる気持ちが伝わってきたのが印象的だった。

不況時にはリストラ対象者を選ぶ役目を命じられ、うつ状態が続いたこともあった。苦境を乗り越えられた要因を尋ねると、彼の口から出た言葉はまたしても「家族」だった。

しかし、当時すでに妻と長男、長女の子ども2人との心の隔たりは着々と進行していたのだ。

52歳の時に部長に昇進するまでの間、2回転勤を経験したが、いずれも子どもたちの中学、高校受験を理由に妻子は赴任地に同行しなかった。仕事に力を注ぐあまり、いつしか自宅への帰省回数も減っていく。

大阪本社に戻った時には、高校生の子どもたちは父親の話しかけにもろくに応じない状態になってしまっていた。「大事な時にそばにいてくれなかったくせに、偉そうなこと言わないで」と長女が放った言葉が、胸の奥深くに突き刺さったという。

そうして2017年、自身の定年退職の日、妻から「これからは自分のために生きてみたい。あなたのお世話をする余裕はもうありませんから」と告げられた。理由を尋ねると、「これまで自分を犠牲にしてきた。それはあなたが家庭に気を配ろうとしなかったから」と淡々と答えたという。

専業主婦だった同い年の妻は、長男が大学を卒業すると中堅商社で派遣スタッフとして、結婚前に職務経験のあった貿易事務の仕事に就いていた。実績が認められて転勤のない「限定正社員」に登用されたのだという。

「かみさんが長年不満を募らせていたことを定年の日、初めて知ったんです。彼女は直接、私に怒りをぶつけることはありませんが、あの日を境に夜遅く帰宅したり、週末に出かけたりすることが増えました」

18年初春の取材で、佐藤さんはそう寂しげに語った。

定年から2年近く過ぎた今年の春、佐藤さんはかつて勤めていた会社の子会社に嘱託社員として再就職する。この7月、1年半ぶりに再会した際、心なしか表情が明るくなったように感じた。

そして、「今の会社を退職する時までに、再び家庭に居場所を取り戻したい。そのために料理をしたりして自分なりに努力しているんですが、かみさんがそれをどう思っているかはわかりません」と語った。

 

佐藤さんのように、仕事ひと筋で家庭を顧みてこなかった理由として、「妻子のためを思って、仕事を頑張ってきた」と主張する男性は非常に多い。しかし現実は、その苦労をねぎらってもらうどころか、居場所を失ってしまう。

問題はその思いを言葉で伝えてきたのかということ。家族は自分たちへの無関心と受け取ってしまうだろうが、知らぬは父ばかり……なのである。

 

出世していく妻に敗北感が募って

現在61歳と51歳の山田幸太郎さん、美津子さん夫妻には、15年前から取材に協力してもらってきた。

もとは2004年、当時36歳の美津子さんに、女性の仕事と家庭の両立をテーマにインタビューしたのが最初だった。大阪に本社のある専門商社に総合職として勤務し、33歳の時、仕事で知り合った10歳年上の男性と結婚。取材時は、長男出産後1年近く育児休業を取得し、職場復帰して半年過ぎた頃だった。

夫婦ともに地方出身で、近くに親、きょうだいはいない。子育てと仕事を両立するうえで重要な点を尋ねると、間髪容れずに夫の協力を挙げた。

「夫は私が子育てをしながら、仕事を続けて力を発揮していくことを応援してくれています。保育園の送り迎えを手伝ってくれたりして、とても助かっているんですよ」

両立の疲れを微塵も見せず、そう明るい表情で語ったことが取材ノートにも克明に記されている。今ほど企業の両立支援策が整備されていなかった時期に、珍しいケースだった。

その後、美津子さんの紹介で夫の幸太郎さんに同席してもらい、インタビューを重ねることになる。幸太郎さんは当時46歳で、部次長職に就いていた。重責を担い、仕事量も多いことが想像に易かったが、育児を担っていることについて、「子育ては楽しい。世の中のお父さんたちがどうして奥さん任せにしているのか、疑問ですね」と言ってのけた。「イクメン」という言葉が登場する何年も前のことである。育児に積極的に関わる男性の先駆けだったのだ。

ところがある時期を境に、事態は一変する。まず異変の兆しは、幸太郎さんが取材に応じてくれなくなったこと。リーマン・ショックの翌年、09年のことだった。

それから数年は、美津子さんだけに話を聞くことになるが、子どもが小学校に上がる少し前から夫婦の会話が少なくなり、幸太郎さんは育児に関わらなくなっていったという。

「子会社に出向したのが何らかのきっかけになっているんでしょうが、息子ともあまり口を利かなくなったのが全然、理解できません。お父さんとキャッチボールをしたりして遊んでもらいたいみたいなんですけれど、かわいそうで……」

58歳になった幸太郎さんへの取材が実現した16年。彼は出向先の会社に転籍していた。

 

「あの頃は部長になれず、左遷されたことが大きなショックでした。子育てを分担していて、仕事に集中できなかったのが影響したのではと考えてしまって……。それに妻が順調に出世しているのに、自分が情けなくて……」

一人息子は、まったく口を利いてくれないという。「息子との溝をなかなか埋められない」と背中を丸めて漏らす姿が、痛々しかった。

幸太郎さんは1年ほど前に定年を迎え、現在は継続雇用制度を利用して週に3回、同じ会社に勤務している。パート勤務を選んだのは、今春高校に進学した息子と、部長昇進間近という現在51歳の妻との関係を改善させたかったから。

だがつい先日、あらためて心境を問うと、「この10年あまり祝っていなかった結婚記念日や妻の誕生日に食事に誘ったら、『予定があるから』と断られ、息子の進路相談に乗ろうとすると『放っておいて』と拒絶され……。必死になればなるほど、妻と息子には避けられているようです」と、苦しい胸の内を明かした。

美津子さんにも取材をお願いしたのだが、現時点では応じてもらえなかった。ただメールで返事をくれた。承諾を得て一部を紹介する。

〈今さら良い父、夫になろうとされても、どう接していいのかわからないのです。ただ、彼が頑張っている姿を見て、夫婦の「定年」が終わりではなく、何かの始まりになればいいな、とは思い始めています〉

仕事で能力を発揮し、管理職に昇進して活躍する妻と、そんな妻を応援して積極的に育児に携わるイクメン夫は今、社会が求める理想の夫婦像のようである。しかし、夫婦が十分にコミュニケーションをとって相互理解に努めなければ、思わぬ亀裂を生じさせてしまう。

子育てに関わることが大切であると理解しながらも、本音の部分ではいまだ、固定的な性別役割分担意識に支配されている男性は少なくない。出世の先を行く妻に対して、敗北感を抱くこともありうるのだ。そして自分から家族と心理的に離れていく──。自分自身のなかにある“伝統的な規範意識”はなかなか変えられない。定年も近づいた50代、60代になって、そのことに気づく人もいる。

 

 

「家政婦」扱いをし続ける夫にもはや愛情はない

東京都在住の佐々木由美さんには2008年、「婚外恋愛」をテーマにした取材で出会った。それが、結婚している女性が行う不貞行為、つまり不倫であることは紛れもない事実なのだが、当の女性たちは「恋愛」と主張するケースが増えていた。

当時44歳の佐々木さんもそんな女性の一人だったのだが、夫以外の男性と「恋愛」に走った理由が独特で軽い衝撃を受けた。「夫の日常」のせい──。取材対象者の多くが夫の浮気などを理由に挙げたの対し、彼女はそう答えたからだ。

短大卒業後、事務職の仕事を10年近く務め、30歳で本人が「夢だった」という専業主婦の座を射止めた。翌年に長女を出産、その3年後には義母から望まれていた念願の長男を授かった。だが、「長男の嫁の役目を果たした」達成感もつかの間、夫とはセックスレスとなり、自身の気持ちに変化が芽生え始めたのだという。

「夫が『お茶』『飯まだ?』と私をこき使うのが、無性に腹立たしくなってきたんです。妻は家庭のことをこなして当たり前と思い込み、感謝の気持ちなんてこれっぽっちもないんですから……」

気丈に振る舞っていた佐々木さんが、目に涙を浮かべて話す姿を今でもはっきりと覚えている。

婚外恋愛に走った佐々木さんだが、1年あまりでその関係に終止符を打つ。ちょうど、長男が私立中学受験を控えて塾通いなどで忙しくなり始めていたからだ。そしてしばらくすると、今度は公立中学校に通う娘が、いじめが原因とみられる不登校になる。わが子を巡る問題は夫との関係をさらに悪化させる要因となった。

「夫は私に対してだけでなく、子どものことにも無関心で、すべて私任せ。『仕事が忙しい』の一点張りで、キレるとすぐ口にするのが『誰のおかげで生活できると思っているんだ』です」

40代半ばを過ぎた頃、そうつらい心境を語った佐々木さんは、当時すでに旧態依然とした男らしさに囚われている夫に見切りをつけていたのかもしれない。

長女は高校生になると学校に通えるようになり、長男も大学までエスカレーター式で進学できる第一志望の私立中学に合格した。子どもたちの成長を見届け、通信講座で簿記の資格を取り、契約社員として食品卸売会社で働き始めた。48歳の時だ。

19年春、面会での取材は約1年ぶりとなる佐々木さんは胸元にレースをあしらったピンクベージュ色のワンピースをまとい、55歳という年齢より若く見えた。3年前に役職定年となった夫は、在宅時間が増え、細かなゴミを見つけては掃除を指示したり、食事の味付けにうるさく文句をつけたりするなど、以前にもまして妻を「家政婦」扱いするという。

「もう限界です。夫が定年退職したら離婚するつもり。実は、働きに出てから知り合った男性とお付き合いしているんです。昔のとは違って、今回は真剣なので……。夫と違い私のことを気遣ってくれる優しい人で、信頼できて、経済力もあるし、時が来たら再婚したいと思っています」

 

長年の怒りが積もった夫に見切りをつけたからだろうか。佐々木さんは11年に及ぶ取材で、最も穏やかで、すがすがしい表情を見せた。

***

かつて結婚は安心、安定をもたらすものとされたが、今では不安やリスクを増大させるものへと変容してしまっている。にもかかわらず、人は自分を必要とし、認めてくれる親密な存在としてパートナーを求め続ける。承認欲求は生きていくうえで欠かせないが、それを満たす関係を何十年も続けていくのもまた難しい。

今回紹介した事例の夫たちも、家族のために懸命に働いてきたことに偽りはないだろう。しかし夫たちは結局、妻の家事や子育てをする力に甘えていたのだ。

長年、家庭を妻任せにしてきた夫たちは、自分に妻がうんざりしていることを知らぬまま、「なぜ汗水たらして働いている俺に感謝しないんだ」「妻が変わってしまった」と嘆く。また、今さらながら「良き夫」になろうとするが、どうにも妻の意向とかみ合わず、うっとうしがられる。そのうえ、性懲りもなく「妻の気持ちがわからない」と訴える。

妻たちの不満の根底に共通するのは、夫たちが己のしてきたこと、してこなかったことを妻がどう受け止め、感じているかについて、まったく「気づいていない」ことなのに。

出典=『婦人公論』2019年8月27日号

奥田祥子

近畿大学教授・ジャーナリスト

博士(政策・メディア)。専門は労働・福祉政策、メディア論、ジェンダー。新聞社在籍時より20年にわたり、一人ひとりに継続的なインタビューを行う。



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