下記の記事は週間女性プライムからの借用(コピー)です。
「これもご縁かと存じます。よいお仕事と、またお話しできる機会がありますことを祈りつつ、今日はお礼とお詫びを申し上げて、お電話をお暇させていただいてよろしゅうございますか?」
今年の夏のある日、川嶋辰彦さんは、やわらかな口調でそう断ってから、『週刊女性』の20代女性記者との約30分間におよぶ長電話を切った。
記者も心待ちにしていた“またお話しできる機会”は、残念ながら訪れることはなかった─。
美智子さまから孫娘への抱擁
「11月4日、紀子さまのお父さまで学習院大学名誉教授の川嶋辰彦さんが、中皮腫のため81歳でお亡くなりに。最期は紀子さまと佳子さま、眞子さんに見送られたそうです」(皇室担当記者)
川嶋さんは10月19日に都内の病院に緊急搬送され、そのまま入院。ICUで治療を受けていると報じられた。
小室さんと眞子さんの結婚まで1週間を切っていたため、皇室関係者の間では「会見を延期すべきでは?」という声が上がっていたというが、
「おふたりは予定どおり10月26日にご結婚。当日、川嶋教授の意識があったのかは不明ですが、初孫の晴れの日を迎えることができました。
10月29日には、小室さん夫妻がそろってお見舞いへ。“孫の夫”との面会が実現したのは、ご家族にとっても喜ばしいことだったのではないでしょうか」(同・前)
紆余曲折を経て、結婚という人生の節目を迎えた孫娘の姿を、川嶋さんは心待ちにしていたことだろう。
「眞子さんは結婚前日に上皇ご夫妻のお住まいを訪れ、結婚の挨拶を。帰り際に美智子さまは眞子さんを静かに抱きしめられたそうです。30年間、皇室で過ごしたかわいい初孫の門出ですから、募る思いがおありだったのでしょう」(宮内庁関係者)
父方の祖父母である上皇ご夫妻とは、これまで多くの時間を重ねることができた眞子さん。しかし、母方の祖父母との交流は少なかった。
「紀子さまを嫁がせた後、川嶋ご夫妻は必要以上に皇室に立ち入ることを避けてきました。秋篠宮邸への訪問や、ご一家と面会することすらも、控えていたといいます。
長年、学習院大学に勤めていたため“皇室と民間人の住む世界は違う”と、人一倍理解していたのだと思います」(宮内庁OB)
紀子さまが嫁いだ朝の出来事
大学では馬術部の部長を担当していたこともあった。
「馬術をご趣味にされていた上皇陛下など、皇室の方々と最小限の交流はあり、秋篠宮さまは当時、紀子さまの第一印象について“川嶋教授と雰囲気が似ている”とおっしゃっていました」(同・前)
皇室をよく理解していた川嶋さんは、秋篠宮さまと紀子さまのご婚約が正式に決定した日には、娘に礼節のあるコメントを送った。
「紀子には皇族としての責務をしかと自覚し、自覚のもとに自重し、自覚に照らし合わせ両陛下に対して尊敬申し上げ、礼宮さまのご指導のもとに新しい家庭、宮家の中で気負うことなく人間性を結実してくれればと願っています」
'89年8月、秋篠宮さまとの婚約内定後、川嶋辰彦さんとともに初めて報道陣の前に出られた紀子さま
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自宅にテレビやマンガ、雑誌を置かないという教育方針のもと“まじめで”“礼儀正しく”“温かく”をモットーに紀子さまを育ててきた。
「旅行はもちろんのこと、父娘で美術館へ足を運ばれることもありました。学生時代は大学内で待ち合わせて、一緒に帰ることも多く、仲のよい父娘だったと聞きます。皇室へ嫁ぐ朝、自宅を後にされる紀子さまに対し、川嶋教授は送り出すその手をいつまでもふりやめなかった……。その姿には、涙してしまいました」(前出・宮内庁OB)
こうして幕を開いた紀子さまの皇室生活。まさか、これほど波瀾万丈な日々を過ごすとは思われなかっただろう。
「眞子さんの結婚問題が混迷を極めていた時期、紀子さまは近しい関係者に“娘を守れていませんね……”と、漏らされていたこともありました。
結婚当日も複雑なお気持ちを抱えておられたと思います。大切に育ててきた長女の結婚を、多くの国民が納得し、祝福してくれる状況で送り出すことができなかった……。自責の念は、今も紀子さまを苦しめていると拝察します」(皇嗣職関係者)
「テレビに映る眞子さんは、皇族時代とは打って変わって暗い表情で、やせてしまったように見えます。ご家族も体調を心配されているでしょう。
さらに、圭さんがNY州の司法試験に不合格だったのは、秋篠宮ご夫妻にとっても想定外だと思います。小室さん夫妻の今後に暗雲が立ち込めている現状に気が気でないのでは……」(同・前)
川嶋さんの妻からお気遣いを
長女の結婚問題と義理の息子の“失策”、さらには最愛の父が亡くなった紀子さまのご心痛は計り知れない。川嶋さんの命日から、秋篠宮ご一家は服喪期間に入られた。
「秋篠宮殿下が7日間、紀子妃殿下が90日間、佳子内親王殿下と悠仁親王殿下が30日間、喪に服されます。
皇室を離れた眞子さんは宮中の慣習にならう必要はなく、一般の人の“祖父が亡くなった場合”の対応と同じです。来年の年賀状は取り止めるなど、どういう形で喪に服するかは、眞子さん個人の判断です」(宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さん)
ごく近い親族のみで行う家族葬となったのは、川嶋さんの遺志だったという。
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