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虐待、薬物…壮絶な人生を逆転させた29歳の決断

2021-12-05 13:30:00 | 日記

下記の記事を東洋経済様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

写真家、文筆家の風間暁さん(29)は、子どものころに親から虐待を受け、今日まで生き延びたサバイバーだ。かつては生きる希望を見いだせず、10代のころは自殺未遂を繰り返した。薬物をやめられなかった時期もある。

そんな風間さんは現在、犯罪や非行をした人の更生を支える保護司になり、発達障害の人たちや非行少年など、さまざまな人たちの居場所としてカフェを経営している。さらに多岐にわたる活動のかたわら、二人の子どもを育てながら、司法試験合格を目指している。

「秩序の外」で生きざるを得なかった
風間さんは幼少期から母親の虐待を受けて育った。小学校低学年のころ、母親の意向で習っていたピアノをやめたことがきっかけで、虐待はエスカレートし、暴力も始まった。父親は見て見ぬふりで、助けてくれる大人はいなかった。

当記事は弁護士ドットコムニュース(運営:弁護士ドットコム)の提供記事です
小学4年生のころ、父親が飲酒運転で事故を起こして逮捕されたことを機に、両親は離婚。住んでいた家にいづらくなり、母親と別の町に引っ越した。転校先の小学校で風間さんを「仲間」として迎え入れてくれたのは、不良グループだった。

「仲間の多くは、家庭に問題を抱えた子どもたちでした。親が自殺していたり、刑務所に入っていたりする人もいれば、親が薬物を使っている家庭で育った人もいます。アウトローな親もいて、私も仲間の親にお酒を買ってもらったことがありますよ」

仲間たちとは、タバコや酒をのんだり、ガスを使ったり、夜中に集まって公園でロケット花火を打ち上げたり、原付に乗ったりする「遊び」をしていた。徐々に家に帰らなくなり、仲間の家に泊まり歩くようになった。「ルール」を破ることを何とも思わなかった。
「私たちは、秩序の外で生きざるを得ませんでした。パッと見、周りからはなんの問題もなさそうに見える親であっても、家に帰れば、薬物を使ったり、暴力をふるったりする。そこに秩序なんてありません。大人はみんなウソつきで信用できないと思っていました。

ルールを決めて作るのは、秩序の内側にいる大人たちです。でも、周りにいた大人たちは、誰もルールを守ってくれなかった。それでも私たち子どもにはルールを守れと強要しました。ウソつきの大人たちが作った、大人にとって都合のよいルール。自分たちだけが従うのは理不尽だと感じました。

学校の先生などに『ルールを守りなさい』と言われても、『どうせ家に帰れば、自分もルールを守らないウソつきの大人なんでしょ』などと思い、言うことを聞く気持ちにはなりませんでした」

「秩序の外」で生きる日々は、中学1年生まで続き、ある日、警察に補導された風間さんは、児童自立支援施設に入所することになった。

毎日「死にたい、自分を痛めつけたい」と
児童自立支援施設は、不良行為をした(あるいはそのおそれがある)か、家庭環境上の理由で生活指導が必要な子どもたちの自立を支援する施設だ。生活指導のほか、学習指導や心理的なケアもおこなわれるという。

しかし、風間さんは「こころが安らぐことはなかった」と施設での日々を振り返る。

入所後、風間さんは「解離性障害」と診断された。解離性障害は、自分が自分であるという感覚がなくなったり、自分の中にいくつもの人格が現れたりするなどの症状が出ることがある病気だ。主に、心的外傷(トラウマ)や大きなストレスを受けたことなどが要因で発症するとされている。

風間さんも「別の人格」が現れることがあった。しかし、その間の記憶がないため、施設にいるほかの子どもたちから「ウソつき」などと言われ、イジメを受けるようになった。

「毎日、死にたい、こんな自分を痛めつけたい、と思っていました。治療のために処方された薬を飲まずにためておき、オーバードーズ(処方薬などを多量に摂取すること)をしては、病院に運ばれ、胃洗浄を受けていました。施設を出たくて脱走したり、絶食して入院したこともあります」
施設を出たのは、中学卒業の年。顔には複数のピアスの痕、指にはリング状のタトゥー、手には根性焼きの痕。風間さんがアルバイト先をみつけるのは困難を極めた。たまたま知り合いに頼まれて撮影したライブ写真の評判がよかったことから、依頼が舞い込むようになり、フリーの写真家として生計を立て始めた。

誰かに必要とされることはうれしかった。しかし、処方薬以外に違法薬物にもハマり、薬を使う日々を過ごしたため、施設を出た後の記憶は、おぼろげにしか残っていない。

「親代わり」だった薬をやめた理由とは
転機が訪れたのは、2011年3月。当時19歳だった風間さんは、違法薬物を含む薬物のオーバードーズをして倒れた。その場にいた仲間は逮捕されることをおそれ、すぐに救急車を呼ばなかった。

風間さんが病院の集中治療室に運ばれたのは、倒れてからしばらく経過した後のこと。昏睡状態が2週間以上続き、同年3月11日に起きた東日本大震災のときも眠り続けていた。目を覚ましたものの、集中治療室に運ばれるまで足を交差した状態で倒れていため、座骨神経麻痺による左下肢機能全廃の後遺症を負った。

集中治療室を出た後は、解離性障害で通院していた病院に転院。リハビリに励む日々が約5カ月続いた。そこで医師に薬物をやめられない「薬物依存症」という病気があることを聞き、薬物依存症外来に通うことをすすめられた。風間さんは「薬を取り上げるのか」と込み上げてくる怒りをおさえられなかった。

「人間を信じられなかった私にとって、薬は『親代わり』でした。薬だけは、私が期待した通りの効果をかならずくれたので、信用できたんです。それに、そのときの私には、薬をやめる理由もありませんでした」

しかし、不思議と「薬物依存症」と診断されてからは、違法薬物を使うことはなくなった。

「お金も稼げませんでしたし、何より歩くことができなかったので、薬物を手に入れるのが億劫でした。それに、薬を一緒に使っていた仲間に迷惑をかけたので、もう戻れないとも思いました。ただ、アルコールならば警察に捕まることもないし問題ないだろうと考え、酒にハマり、朝からウイスキーの瓶をあけることはありました」

薬をやめる明確な「理由」ができたのは、22歳で「母」になったとき。妊娠がわかったとたん、アルコールやタバコをスッパリやめた。育児が落ち着いたころに飲みに行くことはあったが、飲みの席に行っても、浮かぶのは子どもたちの顔。気づけば、ほとんど飲まないまま、家路を急いでいた。
「薬はやめていましたが、なんのために薬をやめなければならないのかという理由がみつかりませんでした。でも、子どもたちの存在が『薬をやめ続けたい理由』になったんです。アルコールも必要ない……というか、もう酔っ払うことが面倒だと思っている自分に気づきました」


「ごちゃまぜCafeメム」(東京都江戸川区)の内装(風間暁さん提供)
薬をやめて、現在10年になるという風間さん。前オーナーに声をかけられ、2019年に経営を引き継いだ「ごちゃまぜCafeメム」(東京都江戸川区)では、ギャンブル依存症から回復の道を歩んでいる店長と二人三脚で、生きづらさを抱えた人や子どもたちに寄り添う活動をおこなっている。

「生きているのも、案外悪くない」
営業中に開催している「子ども食堂」ではアレルギー食にも対応し、「お腹がすいたら、いつでもおいで」とさまざまな子どもたちを迎え入れる。保護司として関わっている少年たちもカフェに訪れるという。

「店長は税理士を目指しているんです。私も司法試験合格を目指しているので、元ギャンブル依存症の税理士と、元薬物依存症の弁護士タッグを組めたら最高だなと思っています」

なぜ、風間さんは司法試験に向けて勉強を始めたのか。その理由は「当事者性に専門的な知識が合わされば、できることの幅が無限に広がる」と考えたためだ。

「私は学歴がないので、資格を取るためには壁もあります。でも、いろいろ調べているうちに予備試験のことを知り、中卒でも必死で勉強すれば可能性があると思ったんです。とはいえ、司法試験は文系最難関といわれる試験です。育児もあるので、10年以上はかかると思って、コツコツ勉強しています」

現段階では「なりたい弁護士」のビジョンが明確にあるわけではないが、「虐待に苦しむ子どもたちや依存症の人たちを助けたい。『かつての自分』が救われるような活動をしたい」という。また、司法試験に合格することで、「生きる希望」を見出せずにいる若い人たちに伝えたいこともある。

「私自身も『生きたい』という気持ちはありませんでした。自分は『世界で1番不幸な人間』だと思っていましたし、道ゆく笑顔の人たちを見るだけで殺意を抱いたこともあります。

でも、薬にハマってしまっても復活できる。学歴がなくても、どんなにつらくても、生きて諦めなければ、なんにだってなれる。私は、それを存在で示す『生き証人』になりたいんです。そして、若い人たちに伝えたい。『生きているのも、案外悪くないよ』って」

(※取材は新型コロナウイルス感染症対策のうえ、東京都内でおこなった)

(弁護士ドットコム編集部:吉田緑)

【風間暁(かざま・あかつき)さん】 保護司(2020年8月から)。文筆家・写真家。「ごちゃまぜCafeメム」(東京都江戸川区:https://www.instagram.com/gochamaze_mem)を経営。「特定非営活動法人ASK」社会対策部(薬物担当)。ASK認定依存症予防教育アドバイザー。2020年度「こころのバリアフリー賞」個人受賞。



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