下記の記事は婦人公論.jpからの借用(コピー)です。
新型コロナウイルスによる肺炎が重症化したタレントの野々村真さん。7日間の自宅療養を経て入院し、一時はICU(集中治療室)に。死を覚悟した瞬間もあったという約1ヵ月に及ぶ闘病生活を、妻・俊恵さんと一緒に振り返ります(構成=上田恵子 撮影=言美歩)
ワクチン接種の2日前に感染
真 退院から1ヵ月。おかげさまで、退院直後のやつれた感じは、だいぶなくなりました。
俊恵 退院したばかりの頃は、犬の散歩で200m歩いただけで疲れて引き返してくるし、お米5kgを持つのも一苦労。家族の中で一番非力になっちゃったけど、それでもずいぶん元気になったと思います。
真 肺の機能が戻りきっていないから、動きすぎると疲れるけどね。僕の肺は今、まだ完全には酸素を吸えてない状態なんだって。
俊恵 呼吸器の機能と全身の筋力の回復のために、病院でもらったガイドに沿って毎日エクササイズをしているのよね。
真 唯一の救いは、ご飯が美味しく食べられること。まだ舌の上に膜が一枚ある感じだけど、かなり味覚が戻ってきた。
俊恵 パパが発症したのは7月30日の夜だったね。
真 仕事の関係者に感染者が出て、僕も30日にPCR検査を受けたら陽性。仕事のスケジュールの都合でワクチンを打てていなくて、8月1日に予約を入れていたのに、あと2日というところで感染してしまったんです。
俊恵 私も8月中旬に予約を入れていたから、その時点では未接種。パパはその日、リモートで19時までテレビに生出演していて……。
真 生放送が終わった頃にPCR検査の結果が出て、感染がわかった。
俊恵 マネジャーさんいわく、軽い咳払いをしているという話だったのが、夜になって40度近い熱が出た。幸いだったのが、私はずっと地方の大学に通っている長男のところに行っていて、その夜に帰ってきたので、パパと接触する機会がなかったということ。私は濃厚接触者に該当したけれど、PCR検査を受けて陰性だった。
真 うつらなくて、本当によかったよ。
俊恵 パパは日頃からマスクをきちんとつけて、消毒もマメにしていた。外出だって仕事と犬の散歩以外していなかったのにね。
真 マスクを外したのは収録の本番中だけ。でもそういう仕事なんだから仕方ない。まさか自分が感染するなんてと驚いたけど、基礎疾患もないし、年齢的にも重症化する可能性は低いのかなと思っていたから、その時は家でゆっくり治すしかないな……という感じだった。
翌日呼吸が苦しくなって救急車を呼んだけど
俊恵 その日から自宅でパパの看病が始まった。
真 1階に僕が寝て、ママは2階の子ども部屋に。一切顔を合わさずスマホで会話すると決めたものの、LINEで「飲み物をください」と送るのが精一杯。
俊恵 私は呼ばれたら部屋のドアの前に経口補水液を置いて、パパが触ったドアノブや床を除菌スプレーで消毒する、という作業をひたすら繰り返していました。
真 翌日の31日に呼吸が苦しくなって、パルスオキシメーター(血液中の酸素飽和度を測る機器)で計測したら、標準値が96~99%のところ、僕は91~92%。この数値がマズイというのは知っていたから救急車を呼んでもらったんだけど、来た時には96%に戻っちゃって。
俊恵 その数値は、けっこう上下の変動が激しいんです。
真 そう。救急隊員の方が保健所に相談したら、「80%台にならないと入院できません」と。彼らは「保健所の指示に従うしかないんです、すみません」と謝りながら帰って行かれました。
俊恵 救急隊員の方が帰る際に「どういう状況になったら入院できますか?」と尋ねたら、「何度測ってもメーターが低い数値のままなら肺炎を起こしている可能性があります。その時は僕らを呼んでください」と言われて。でも今となれば、その時点でもう肺炎を起こしかけていたのかも。
医師が帰ったあと一人で泣いた
真 31日に電話で医師と話せて、翌日に往診していただいたんだけど、答えは救急隊員の方と同じで。その時の絶望感といったら……。
俊恵 私も、何もしてあげられないのが本当にもどかしかった。
真 これはママにも初めて言うけど、医師が帰ったあと一人で泣きました。57歳の男が、情けない話だけど。
俊恵 熱に関しては、解熱剤の効果によって3日ほどで一時下がったものの、息ができない状態がずっと続いて、パパはずっとコロナと闘っていた。
真 苦しくて、ほとんど眠れなかったよ。とうとう8月4日にメーターの数値が90%になった。再び救急車を呼んでもらったけど、やっぱり80%台じゃないから搬送できない。数値が1つ足りないだけで命の線引きがされてしまうのが、恐怖でしかなかったな。
俊恵 ところが5日になって、突然保健所から連絡が来て……。
真 「病室が空いたので入院できますが、どうしますか?」と言われて「入院します」と返したら、「準備するものを言いますからメモしてください」って。そんな体力はないから、「妻に電話してください」ってママのスマホの番号を教えたの。
俊恵 私が保健所の方と話したのは、その時が初めて。その日のうちに迎えが来て、荷物を持ったパパが歩いて車の後部座席に乗り込むのを2階の窓から見てた。痩せ細った、ヨボヨボのおじいちゃんみたいな姿が本当にかわいそうで……。しかもパパの部屋を片付けようとしたら、ペットボトルのゴミが分別されていて、ラベルもきちんとはがしてあって。病気の時までちゃんとしなくていいのに……。
真 普段、厳しく言われてますから(笑)。病院に着いてCTスキャンを撮ったら、肺が真っ白だった。すぐに点滴を3本刺されて、鼻からの酸素吸入を開始。その後、口からの酸素吸入も始まって、一日6リットルの酸素を入れるようになったんだ。初日から絶対安静で、トイレにも行けない状態だったな。
「重症者リストに登録されました」と連絡が来た時
俊恵 入院した夜に病院から「肺炎が重症化するかどうか、今夜が峠です」と連絡が来た。「そんなに悪かったの!?」と茫然としました。翌朝になり「容体が安定しました」と電話があってホッとしたのもつかの間、またすぐに「今夜が峠です」と連絡が来るの。「いったい何度、峠が来るの?」と思って、毎日、朝が来るのが怖かった。
真 そこからもう一段悪い状態になったのが11日。自分でも意識が混濁し始めたのがわかった。途切れ途切れに聞こえる声の中に、「ICU」という単語が聞こえて、ストレッチャーでバーッと廊下を運ばれて行った時は、本気で「俺はここで死ぬのかな?」って思ったよ。
俊恵 「重症者リストに登録されました」と連絡が来た時は、目の前が真っ暗になったもの。
真 その頃の酸素供給量は10リットル。ECMO(エクモ=人工肺とポンプを使った治療)を使うかどうかの瀬戸際だったらしい。
俊恵 ICUにいたのは数日で、そのあとICUと一般病棟の中間に位置する「HCU(高度治療室)」に移されたのよね。
真 そう。そのあとも咳をしたりトイレで力んだりしただけで酸素飽和度が90%を切っちゃうし、呼吸も苦しいまま。生き地獄が延々と続いている感じだったよ。正直、こんなに苦しいなら、意識を失ってECMOに繋がれたほうがましだと思ったことも。不謹慎ですよね。でも、それだけ追い詰められて、余裕がなかったんです。自暴自棄にもなったし、「神様、もう一度仕事を頑張りたいんだよ。何とかしてくれないかな」って祈ったりもしました。
俊恵 私は私で「今できることをやらなくちゃ」と思い、家の隅々まで掃除して、消毒して、断捨離をしました。空気清浄機もすべての部屋に設置して。
真 唯一の支えは、家族からのLINEのメッセージだったな。
俊恵 パパから「俺、もうダメかも」なんてメッセージがポツリと来て、何言ってるの! と思ったこともあったけれど……。HCUに移ってから、やっとマメに《既読》がつくようになってきて、私も子どもたちもホッとしたわ。その頃には電話で、少しコミュニケーションを取れるようにもなっていたしね。
真 うん。家族だけでなく、お世話になっている方々から励ましや心配のメールをたくさんいただいて、本当に勇気づけられました。おかげさまで容体は徐々に落ち着いて、PCR検査で2度陰性が出て退院が許可された。24時間態勢で懸命に治療して、寄り添ってくださった医療関係者の方々には、感謝の言葉しかありません。リアルな姿を見てほしくて
俊恵 8月24日に退院。私が車で迎えに行き、一緒に帰りました。
真 家に着いた時は「ああ、生きて帰って来た」と感慨深かった。
俊恵 ソファーの定位置にパパが座って、膝の上に犬が乗って。やっと普通の光景が戻ったね。
真 すぐにマネジャーに退院報告の動画を撮影してもらって、翌日の25日にはYouTubeチャンネルで公開しました。退院当日に撮ったのは、僕のリアルな姿を見て、世間の方々にコロナの恐ろしさを知ってほしかったから。今はそれに加えて、打てる人はぜひワクチンを打っておいたほうがいいですよ、とお伝えしたい。いろいろ事情はあると思いますが、現状ではほかに対策がないから。そして打ったあとも気を緩めず、しっかりと予防策をとっていきましょう。
俊恵 パパも退院後に打ったしね。仕事にも徐々に復帰して。
真 約1ヵ月ぶりにレギュラー番組にリモートで出演した時は、終わった途端、疲れて寝ちゃったけど、仕事は一番のモチベーションになるなとしみじみ思ったよ。10月には再演となるミュージカルも控えている。こんな状況だからこそ、観る人が元気になれるような楽しい舞台にしたい。そのために稽古に励んでいます。
俊恵 仕事に復帰して、生き生きとしているパパを見ると、ああ、本当に命があってよかった、と思う。家族は以前よりも痩せたパパを見て、カッコよくなったね、そのままでいてよ、なんて言っています。(笑)
真 感染する前は70kgあった体重が入院時には64.5kgに落ち、今は66.8kgまで戻った。美味しいご飯のおかげですよ。
俊恵 それは嬉しいけど、体重はそのままキープしてね。(笑)
真 はい、筋トレ頑張ります。(笑)
構成: 上田恵子
撮影: 言美歩
ヘアメイク: 豊田千恵
スタイリング: 小山よし子
出典=『婦人公論』2021年10月26日号
野々村真
タレント・俳優
1964年、東京都生まれ。『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の初代・いいとも青年隊としてデビュー。『世界・ふしぎ発見!』(TBS系)、『バイキングMORE』(フジテレビ系)、『アップ!』(メ〜テレ)にレギュラー出演中。23年ぶりに出演のミュージカル『オープニングナイト 桜咲高校ミュージカル部』は10月29日〜11月7日東京・新国立劇場で再演予定
野々村俊恵
タレント
1964年、広島県生まれ。82年に坂上とし恵の芸名でアイドル歌手としてデビュー。10年以上の交際を経て野々村真さんと95年に結婚。一男一女の母であり、タレントとしても活躍中
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