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美智子さま、雅子さま、紀子さま、眞子さま…順番にバッシングされる皇族の悲劇

2022-02-15 11:00:00 | 日記
下記の記事は日刊ゲンダイデジタル様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

ひと昔前の秋篠宮ご夫妻の人気にくらべ、秋篠宮家の権威がずいぶん失われたように思う。最近の雑誌には「眞子さんの乱」も秋篠宮さまに原因があるとか、「皇室の危機」は秋篠宮ご夫妻が招いたなどと書かれているほどで、紀子さまが「3LDKのプリンセス」と騒がれた頃にくらべたら雲泥の差だ。雅子さまが「適応障害」で東宮御所に引きこもっていた頃、紀子さまは娘たちを連れて天皇皇后を訪問したり、一緒に会食したりしていることがメディアで報じられ、紀子さまが皇室を支えているかの印象を与えた。2006年9月6日に悠仁さまを出産すると、「皇統の危機を救った」といわれ、その評価は一段と高くなる。

ところが、しばらくすると紀子さまへの批判がこぼれ始めた。厳しく言いすぎるので辞める職員が後を絶たないとか、しきりに「皇嗣家にふさわしく」と言うので、娘たちと口論になったとか──。


考えてみれば、紀子さまは一庶民として一般社会で育った人である。それがいきなり皇族に嫁いだのである。宮家でいるうちはそれほど気を使うこともなかっただろう。それが、悠仁さまが誕生したことで皇嗣家になり、環境がガラッと変わってしまった。皇位継承者を育てる皇嗣家とそうでない宮家ではまったく違うといわれる。それなのに、紀子さまには相談する相手がいなかったのだろう。そんなプレッシャーと生真面目さから「皇嗣家らしく」しようとすればするほど、生まれながらの皇族である眞子さんたちとの関係がギクシャクしたのかもしれない。

ある意味で秋篠宮さまも同じだ。元来、皇位継承権のある男子が複数生まれたら、帝王学を受けるのは長子だけである。例えば、昭和天皇には3人の弟宮がいたが、東宮御学問所で特別の教育を受けたのは昭和天皇だけだった。今上天皇も将来の天皇としての教育やしつけを受けたが、礼宮時代の秋篠宮さまは、美智子さまの放任主義ではないかといわれるほど自由気ままに育てられた。兄弟に同じ教育を受けさせないのは、古から兄弟が皇位をめぐって争わないための知恵なのだ。秋篠宮さまが天皇になる教育を受けてこなかったのだから、紀子さまの相談相手になることはできなかっただろう。
■批判するのはどういう人たちなのか

 やがて眞子さんと小室圭さんの婚約が決まり、秋篠宮家が再び注目された。ところがその数カ月後、小室家の借金問題が噴出して、秋篠宮家の評価は再び落ちていく。

 評価が上がったり下がったり、これほど激しく変わるのも珍しいが、世論に近づいて報じるのがメディアなのだから、批判はおそらく世間の平均値だったのだろう。ただ、どういう人たちが批判していたのかだ。

 美智子皇后がバッシングを受けて「失語症」になったのは1993年。普賢岳が噴火した島原を訪問した両陛下(当時)が、膝をついて被災者に向き合ったことに対し、〈何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない。(略)立ったままで構わない。馬上であろうと車上であろうと良いのです〉と評論家の江藤淳氏が批判したのが95年だった。いずれも代替わりから数年後である。こうした時期に批判が集中するのは、前天皇を懐古する人たちがまだ健在であり、その中でもとくに保守的な人たちが前天皇と比較して批判するのだろう。そう考えると、秋篠宮家を快く思わないのも「眞子さんの乱」を批判するのも、あるいは昭和や平成を懐かしく思う人たちかもしれない。


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